第9話 ピクニック気分でハンティング?

「ヴァルちゃん、早く早く! 置いてくわよー?」


 階下から、ミハイラの声が響いてくる。声の合間には、煽るようにバイクのエンジンを唸らせる音。彼女の言葉はあながち嘘ではないようだ。ぼやぼやしていると、本当において行かれかねない。


「分かった。分かったよ! 今すぐ行くから!!」


 ヴァルラはビデオカメラの予備のバッテリーを、革のバッグに慌ただしく放り込む。そして文字通り飛ぶように階段を駆け下りた。


「おっそーい! 早くしないとヴァンパが起きちゃうわよぅ?」


 せっかちな相棒は、ヴォンヴォンとアクセルをふかして抗議する。通りかかる人々は皆、そんなミハイラを遠巻きに眺めていた。

 彼女が目立っていたのは、その賑やかさだけではない。艶のある黒い革のライダースーツは、彼女の美しいボディラインを際立たせ、嫌でも人の目をくぎ付けにするのだ。

 ヴァルラはそんな無遠慮な視線を向ける野次馬達を、ひと睨みして追い払う。


「まだ昼前じゃないのさ。慌てなくたって大丈夫だってば」


 彼はミハイラのバイクに自分のバッグを括り付け、古びた革の帽子を目深に被りなおしてから、後ろの座席に飛び乗った。手袋そして首にはバンダナ。暑苦しいいでたちもまた、人の注目を集めている。


 お察しの通り、ヴァンパイアであるヴァルラは日の光が苦手だ。とは言え、彼は他のヴァンパイアと違って特別でもある。強い日差しを長時間浴びれば大やけどを負うこともあるが、それで命の危険を感じることはない。

 そう、彼は「昼歩く者デイウォーカー」なのだ。そしてそれは彼のマスターである「始祖ルーツ」の体質に由来する。


 始祖ルーツ。はじめにこの地に降り立ったヴァンパイア。それは、生粋の闇の血族だと言われる。ミハイラも以前何度か尋ねたが、ヴァルラは曖昧にはぐらかすばかり。始祖ルーツの存在は、今や伝説と化していて、詳細を知るものはいないという。


「ったくミハイラちゃん。大金が絡むと張り切りすぎる性格、良くないよ?」


 ミハイラはヴァルラの抗議の声を気にする風もなく、彼のでこぼこに膨らんだバッグをちらりと見る。


「何よ、その大荷物! ピクニックじゃないのよー?」


 彼女の声は呆れるのを通り越して、笑いさえ含んでいた。


「これから行くのは人里離れた場所なんだから、ある程度のものは揃えていかないとさ。それにいくら寝ているったって、油断しちゃダメだよ? 護衛を置いたり集団で寝てる場合だってあるんだからね」

「はいはいはい。じゃあ、いくわよー?」


 毎度聞かされる相棒の説教など、ミハイラの耳には入っていない。彼女の大きなバイクは、勢いよく走りだした。赤いメタリックのボディが、狭い路地を風を切って駆け抜ける。


「ミ、ミハイラちゃん! 安全運転お願いいいいいいい!!」


 彼らの駆け抜けた後には、乾いた砂埃とひたすら情けない悲鳴だけが残された。


+++


 見慣れた住宅街を過ぎ、郊外の果樹園やとうもろこし畑を通り抜ける。そこからはすっかり人影も少なくなり、単調な旧国道だけが、やせた大地の先へと伸びていた。

 そこを過ぎると再び林が現れ、道は細くなって森の中へと続く。その道はかなり古いもので、今は使われていないらしい。石畳のあちこちが、歯抜けになったまま放置されている。


「いだっ!! 痛ででででっ!!」


 スピードを下げないままそんな悪路を走り抜けるバイクは、暴れ馬のように跳ね上がり、合いの手のようにヴァルラが悲鳴を上げる。

 そんな声でずっとわめき続けられてはたまったものではない。ミハイラは思わず急ブレーキをかける。黒いタイヤは弧を描いて石畳を滑り、二人の乗った赤い車体は大きな樫の木の手前で停まった。


「うひゃっ」


 ぶつかると思ったのか、ヴァルラは首を竦めてミハイラに思い切りしがみついた。

 ぷにっ。

 しがみついたその右手が、何かを掴んだ。そう、巨大なマシュマロのようなそれは……。


「どエロヴァンパ〜っ!!!!」


 それがミハイラの豊満な胸だと気付いた時には、もうヴァルラの体は高々と宙に浮いていた。


「これがっ! 天にも昇る気持ちなのねええええええええ!」


 右手を掴まれて、力いっぱい投げ技をかけられたヴァルラは、青空高く舞い上がり、そのまま勢いよく白いフェンスに向かって落ちていく。

 受け身は取ったものの、ヘルメットの重さによろめいて、結局全身をフェンスに叩きつけられる。

 がいんっ!


「へぐぅ!」

「もー、ヴァルちゃん! いい加減にしないと、今度は串刺しだからねっ?!」


 脱いだヘルメットを小脇に抱えたミハイラは、恐ろしい形相で凄みながら、その白いフェンスを指さす。

 フェンスからは矢尻型の先端が長く伸び、長い年月や風雨にも耐えて、鋭く天を貫いていた。


「やめ、やめてぇ! 死ぬ! 死ぬからっ! それに今のはわざとじゃ……!」

「大丈夫よ。これ銀じゃないから、痛くても死ぬことはないから。それよりさっさと行くわよ。なんかここ、薄気味悪いんだもん」

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