第4話 怪しげな来訪者はディナーの後に


「いっただきまーす!」


 元気な挨拶と共に両手を合わせ、にこにこと満面の笑みでフォークを手にするミハイラ。先ずは大好物の、仔牛肉のソテーを口に頬張る。


「んー、美味しい~っ」


 表面を香ばしく焼いた柔らかな肉は、ミハイラの好きなミディアム。ブラックオリーブとトマトのソースが、仔牛の風味を絶妙に引き出している。

 ミハイラの笑顔を更に輝かせる。一仕事の後に堪らない一品だ。


 ヴァルラはそんなミハイラの様子を嬉しそうににこにこと眺めた後、自分も彼女にならってはじめの一切れを口に運ぶ。彼の好みはマスタードソースで焼き方はレア。たった二人分とはいえヴァルラの料理は毎日こだわって作っているものだ。味は一級、いやそれ以上。


 互いの好みに手は抜かない。常に栄養のバランスのとれた、美味しいものを作って食べる。それがヴァルラの主義だ。さっきまで悪鬼のように恐ろしい形相だったミハイラも、美味しい食事を前に打って変わってご機嫌の様子である。

 一方、そのミハイラから銀の鉄拳制裁を受けたヴァルラも、持ち前の回復力でほぼ元通りに回復していた。ついさっきまで、蒼白い炎に包まれて転がりまわっていたのが嘘のようだ。

 ……少々まだ顔に焦げ目が残ってはいたが。


「ミハイラちゃんは好き嫌いなく美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があるねぇ」


 大皿に高く盛ったペペロンチーノを、くるくると巻きながらヴァルラはにこにこである。愛嬌のある少し垂れた目の、更に目尻が下がる。


「うん、ヴァルちゃんのお料理本当に美味しいんだもん。それに好き嫌いなんて言ったらバチが当たるわぁ。それにしても……」


 エビとブロッコリーのサラダを満足そうな表情で口に運びながら、ミハイラは食い入るようにヴァルラを見る。

 ヴァルラは3.5人前はあろうかというスパゲッティを、驚異的な速さで胃の中に収めつつある。

 既に500gの仔牛肉とサラダを平らげている。ミハイラが食べている倍以上の量をだ。


「しっかし本当によく食べるわねー! 胃の中にブラックホールでも飼ってるの?」


 毎回の食事での光景ではあるが、さすがに呆れたようだ。いや、呆れるのを通り越して彼女はくすくすと笑っている。


「そりゃあ、ね。”腹が減っては戦はできぬ”って言うしさ!」


 ヴァルラは胸を張って得意げに答えた。


「……ヴァルちゃん戦ってないじゃない」


 そんなミハイラの切り返しで、哀れにもヴァルラの笑顔は一瞬で引きつっていく。しかし負けじと切り返そうと思ったヴァルラが口を開いた。

 その瞬間。


「ちーす! ヴァルちゃんご機嫌いかがー?」


 いきなりダイニングの窓がガラリと開き、黒髪の男がひょいと上半身を覗かせ……すぐ消えた。

 一瞬の静寂。そして何かが地面に激突する音と、くぐもった呻き声が辺り一帯に響く。

 窓の内側には、ミハイラが足を突きだした状態で立っている。

 侵入者が顔を出すとほぼ同時。ミハイラは強烈な蹴りを、その顔面に放った。


 結果はクリーンヒット。見事に足は顔の中心にめり込み、男はそのまま地面まで叩き落とされたのである。見事に一撃で一機撃墜。

 しかし落ちたのは戦闘機でもなければ、屈強なヴァンパイアでもない。見た限りはごく普通の人間である。これにはヴァルラも青い顔をした。


「ちょ……! ミハイラちゃん、やりすぎ!!」

「……あ、思わずやっちゃった。てへへ」


 いわゆる条件反射というやつである。背後からの侵入者に気付いたミハイラの体が勝手に反応し、目にもとまらぬ速さで回し蹴りを放ってしまったらしい。

 つまりは職業病とでも言ったところだろうか。


「あーあ。ここ3階だよミハイラちゃん……」

「だってぇ。急に乱入してくる方が悪いと思わないー? さて、と。ごちそうさまでしたー!」


 悪びれた風もなく、ミハイラは最後に残ったブロッコリーを口に放り込むと、にこやかに両手を合わせる。済んだ事は気にしない。それがこの女ハンターの良さであり、また恐ろしい所なのだ。


「あれでも一応俺の友達なんだからさー。……ま、いいか」


 そう言うヴァルラもすぐに窓の外への興味は失ったようにてきぱきと食器の片付けを始めた。そんな相棒の姿を満足げに眺めつつ、ミハイラはごろんとソファに体を横たえ伸びをする。


「んー、美味しかった! 食べたらなんだか眠くなっちゃったわねー」

「食べてすぐ寝るとカバになるよ?」


 にかっと笑うヴァルラの言葉にぷーっと膨れつつも、傍らのクッションを抱きしめ、気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らしながら転がっている。カバというよりも猫のようだな、とヴァルラは笑みを漏らす。

 実に平和な夜だ。ただ一つさっきの侵入者を除いては。


 そんな和やかな食後のひとときを満喫している窓の……真下では。


「さ、流石だねミハイラちゃん……。一流の名は伊達じゃないよ……」


 車に牽かれたカエルよろしくアスファルトに貼りついていた男がよろよろと起き上がる。細面に切れ長の一重の目。見たところアジア系らしい。

 カンフー着に似た膝丈の上着、裾を膨らませた太い黒のズボンという格好で、真っ直ぐな長い黒髪を後ろできつく束ねている。

 その出で立ちはどこかのアクションスターのよう。しかし残念ながら先ほどまで道路に張り付いていたせいで、三下のやられ役にしか見えない。

 それでも男はすぐに気を取り直して歩き出す。


「でもねミハイラちゃん。このラウだって一流の情報屋。そうそう簡単に倒れは……」


 そう不敵な笑みを浮かべた瞬間、ズボンの裾がもつれて再び地面に激突した。


「……したっていいじゃない。にんげんだもの」

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