第3話 それは本当に事故だったのか

 数分後、ヴァルラとミハイラは古びた紙幣の束を前に目を輝かせていた。


「この度は、本当に有難うございました。何とお礼を言って良いやら……」


 娘の父親が丁寧に頭を下げ、母親がお茶とクッキーを運んでくる。


「いえいえ。迅速・丁寧・任せて安心がモットーですから」


 ヴァルラがにこにこと愛想の良い笑顔で、札束を懐に仕舞う。代わりに取り出した名刺をテーブルに置いて、にっこりと笑う。口の端から牙がきらりと覗いた。


「またご家族ご親戚近所の誰かがヴァンパでお困りになりましたら、当社『ぱらいそ・ヴァンパイアハンターサービス』までご一報下さいませー」


 こうして、ミハイラたちの今宵の仕事は完了した。二人は帰路に着きながら、ほくほく顔である。


「はー、儲けた儲けた。Bクラスで5000シードル(1シードル=1米ドル)なんて良い仕事だよねえ」


 夜とはいえ、大通りはまだ賑やかだ。そんな往来を堂々と歩きながら、ヴァルラは先ほどの札束を数えている。


「さっすが腕利きのマネージャーね。んー、ヴァルちゃんえらーい!」


 ご機嫌なミハイラは、ヴァルラの頬に軽くキスをする。その瞬間だった。ヴァルラはとっさに、その隙にミハイラの腰に提げてあった銃を、すばやく抜き取る。


「あ……」


 マガジンを抜き、中を確かめてからヴァルラはじろりとミハイラを見た。


「……やっぱり。また弾入れてない! もしものために必ず入れておけっていったでしょ!」


 ミハイラは上目遣いで口を尖らせた。


「だってえ。銀の弾は高いんだもん」


 ヴァンパイアは銀を使った攻撃に弱い。触れるだけで体が燃えるのだ。

 そこでミハイラのナイフも銀製であり、銃に装填する弾丸も当然銀なのだが、彼女の言うとおり銀は値が張る希少金属の一つだ。報酬の何割かが、装備の新調に消える事もよくある。

 そんな事を気にするミハイラに、ヴァルラはため息をつく。


「はー、もう。そんなところでケチらないの! 今日はうまく行ったけど、いつ追い詰められるか分からないんだからね!」


 ぷう、とふくれてミハイラはヴァルラの手から銃を取り上げる。


「大丈夫よ。あたしはもう一流のハンターよ? 今更しくじったりしないわよ」

「またそんな事言って! 油断が一番の敵なんだからね……」


 くどくどと説教を続けるヴァルラを尻目に、もうミハイラは聞く耳も持たない。先程の手際からしてもわかるように、ミハイラのいう事は嘘ではない。彼女は第一級のハンターだ。しかし、ヴァルラはそんなミハイラの自信に、どうしても危うさを感じてしまう。


「あー、そんなことよりヴァルちゃん、あたしお腹空いちゃった! ごはーん! ごはーん!」


 ミハイラは、甘えたようにヴァルラの腕に掴まって揺さぶった。

 見ためは同じくらいの年だが、その姿はまるで父親と子供だ。いや、ヴァルラの世話性からしても、まるで母親と子供というべきだろうか。


「はいはい。そうだな。俺も腹減ったー! 景気づけに肉食お! 肉!」

「さんせーい! お肉大好き!」


 買い物を済ませて二人はアパートに戻った。事務所を兼ねた快適な住まいだ。帰ってすぐに、ヴァルラは食事の支度を始める。マネージメントと家事全般がヴァルラの担当、 ハンティングがミハイラの担当、としっかり役割分担が出来ている。


 ヴァルラは、くせのある長い髪を束ねてエプロンをかけ、鼻歌まじりで野菜を刻む。


 彼は以前、始祖ルーツのマスターに仕えていた。言わば主と下僕のような関係で、マスターの身の回りの世話は、全てヴァルラが行っていたのだ。その時に彼は一から家事全般の修行をして、今やその腕前は全てにおいてプロ並みだ。

 一方、ヴァルラが料理をしている間。ミハイラは熱いシャワーで戦いの汗と疲れを流していた。お気に入りの石鹸の香りが、戦闘で尖った心を癒してくれる。


「ふぅー、いい気持ちー」


 泡立てた石鹸を熱い湯で流すと、美しい肌が現れる。白い肌には目立った傷痕もなく、その美しい姿がミハイラの強さを物語っていた。

 しかし、シャワーの中ではミハイラも一人の乙女である。リラックスしたように伸びあがる手足に熱い水滴が流れ、思わずお気に入りの歌が口をついて出る。


 さっぱりとしたところでキッチンに行き、冷蔵庫からビールを取り出す。栓を抜いてぐいっと一気に喉に流し込んだ。


「ちょっと! ミハイラちゃんその格好!」


 見ればミハイラは、下着姿に首からタオルをかけただけ。美しい肢体が惜しげもなく晒されている。


「いーじゃない。どーせヴァルちゃんとあたしだけなんだし」


 当のミハイラはけろりとしている。少女時代から一緒にいる仲だ。今更彼の目を意識することは全く頭にないらしい。


「そういう事じゃないでしょ! そんなことしてるとお嫁に行けないよ? てゆーか、風邪ひいちゃうでしょ!」


 ヴァルラはぶつぶつ言いながら奥へ引っ込むと、丁寧に畳まれたTシャツを手に戻ってきた。


「せめてこれ着てなさい」

「はぁーい」


 渋々ミハイラはTシャツを受け取る。近くに寄ると、石鹸の良い香りが漂って来る。


「全くけしからん。こんなに育っちゃって!」


 ヴァルラは思わずミハイラのブラを摘んで引っ張った。白い胸の2つのふくらみがぽよん、と揺れる。


「うほっ」


 ヴァルラは鼻の下を伸ばしてじっと覗き込んだ。


「ちょ! このエロヴァンパイア!!!」


 叫び声と共に、びたーん、と強烈な平手がヴァルラの頬に命中する。


「げほぉ!」


 ミハイラの渾身の一発に、ヴァルラの体は真後ろに倒れ、後頭部をしたたか床に打ち付けた。しかし不幸なのはそれだけではなかった。倒れこんだヴァルラの手の中には、しっかりとミハイラのブラが掴まれている。吹き飛んだ勢いで彼女の下着を引き剥がしてしまったのだった。


「……あっ!」


 思わず手の中のブラを見、その後見上げた彼の目に映ったのは……。 

 胸を露にしたミハイラの、怒りに燃えた蒼い瞳。そしてその手には銀製のメリケンサック。


「この……どスケベヴァンパイアぁ……!」

「あっ! 待ってっ! 話せば分かるよミハイラちゃん。ねっ? ねっ?」


 先ほどヴァンパイアに襲われた時の再現を見るかのように、両手を突き出しながら後ずさるヴァルラ。

 しかし今回は退路もない。助けに来る味方もない。

 ある意味ヴァンパイアよりも恐ろしい、この怒れるハンターを前に、ヴァルラが出来ることはただ一つ。


「問答無用っ」


 心の中で十字を切るだけである。


「百万回死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 真夜中の住宅街に、凄まじい打撃音と一人のヴァンパイアの悲鳴が響き渡った。


「ぎゃあぁぁぁぁぁ! 燃ゆるうぅぅぅぅぅ!」

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