第2話 そのヴァンパイアはヘタレなのか

 ヴァンパイアと呼ばれるものは、恐るべき力を持っている。

 人外の存在が生み出すその一撃は、分厚いコンクリートでも粉々に砕くほどの破壊力を持っているのだ。

 並の人間であれば太刀打ちするどころか、一瞬で消し飛ばされて絶命するのがオチだ。


 腕利きのハンターとはいえ、ミハイラとて例外ではない。

 強烈な一撃を受け、床を滑るように吹っ飛ばされて、そのまま気絶したのかそれとも死んでいるのか。倒れたままでぴくりとも動かない。


「ふふ……。口ほどにもない。女だてらにハンターなど、命とりだったな」


 男がにやりと笑ってミハイラの髪を掴んだ。まだ息がある。まだ攻撃は終わりではない。その血を啜り、息の根を止めるまでが勝負だ……。

 邪悪な笑みを浮かべ、吸血鬼が口を開いたその時。


「ミハイラちゃん!」 


 突然、クローゼットの中から一人の青年が飛び出してきた。


「んん……? 仲間が居たのか」


 男はその青年に視線を向ける。

 22,3才くらいの、黒髪の青年。垂れ目がちでそこそこ顔立ちは整っているものの、デニムのパンツに白いシャツ、黒い革のジャケットと、どこにでも居るような若者だ。


 彼は右手に小型のビデオカメラを持ち、頼りない足取りでミハイラに近づこうとする。

 しかし見るからに及び腰で、良く見ればがたがたと全身が震えている。それでも近づこうと必死の様子はまるで壊れたからくり人形のようだった。


「ミ、ミミ、ミハイラちゃんから手を離せ! この、この……化け物!」


 男は、にやりと嗤った。


「ふふ。震えているではないか。お前はハンターではないな? ……うん?」


 ふと、青年を見つめる男の表情が変わった。


「その金の瞳……。お前、もしかして始祖ルーツのドナーか?」


 一見平凡に見えるその青年はただ一つ、金の瞳という変わった特徴を持っていた。そして、ミハイラを喰らおうとする男は、この若者を「ドナー」と呼んだ。


 始祖ルーツというのは、絶滅したと言われるヴァンパイアの純血種の事である。そこから現在の様々なヴァンパイアが派生したと言われているのだが、この男が表情を変えた理由は別にある。

 ドナーとはその純血種と1対1の血の契約を結んだ血液の提供者のことだ。そしてドナーの持つ特別な血を受けた吸血鬼は、始祖ルーツの如き強大な力を得られると言われているのだ。


「だ、だったらどうだっていうんだ! おっ……お前なんか怖くないぞ!」


 生まれたての仔山羊のように、足はがくがくと震えてはいるが、口だけは勇ましい。そんな姿を見ても、男は気にしない様子で目を細めた。

 彼の血への欲望に満ちた邪悪な視線は、今はこのドナーの青年に向けられていた。


「……これはなんとも幸運なことだな。本当にこの世に「ドナー」が居たとは。女子供はこの際どうでもいい。お前の血を頂こう。そして始祖ルーツの力を我が物にしてくれる!」


 男は嗤って、掴んでいたミハイラの髪から手を離す。気を失ったままのミハイラの体は糸の切れた操り人形のように、乱暴に床に転がった。そうして男は怪しい笑みを湛えながら青年に歩み寄る。


「えっ! ちょ、ちょっと待ってぇ?! お、おお、お、男の血なんか吸っても旨くないぞっ!」


 青年は青ざめて、手を前に突き出したまま後ずさった。そのまま気圧されるままにじりじりと追い詰められ、遂にその背中がクローゼットの扉にぶつかる。

 男の赤い瞳がすっと細められた。


「わーっ! ぎゃーっ! やめてやめて! ヴァンパ嫌ぁー!」


 青年は恐怖で泣きじゃくり、手足をじたばたさせて最後の抵抗を試みる。しかしそれも空しく、まるで子猫が人間にそうされるように、青年の体は吸血鬼によって軽々とつまみ上げられる。


「お、おわああぁッ!?」


 首に巻いたバンダナは引き千切られその首筋に白い牙が近づいた。


「見苦しいな。せめて最後は大人しく……」


 低く響いていた声が途中で止まった。男の目が大きく見開かれる。

 声が、出ない。

 そして。


「──余所見しちゃ、ダメよ」


 男の耳元で囁かれたのは、ミハイラの甘い声だった。

 ミハイラはいつの間にか男の背後に立ち、手にした銀のナイフは男の喉を切り裂いていた。並の人間ならば、その場でおびただしい真紅の鮮血を撒き散らしているところだ。しかし吸血鬼に出血はない。ただ切り口から蒼白い炎を上げ、サラサラと白い灰が雪のように舞い落ちていく。


「う……あ……」


 声にならない声。それが男の断末魔だった。

 傷口は見る見るうちに大きな穴になり、そのまま全身へと広がって崩れ落ちた。夢うつつのような間に、最期に自分を仕留めたものの声を聞いて吸血鬼はこの世から消え去った。

 最後に残ったのは大量の灰の山。それさえも窓から吹き込む生ぬるい夜風に巻き上げられて消えてゆく。



「はぁーい。任務完了。ヴァルちゃん、おとり役お疲れ様ぁ」

「し、しし、死ぬかと思った……!」


 少女の無事を確認してミハイラが振り向くと、青年はまだ床にへたり込んだままがくがくと震えている。ヴァルちゃんこと、青年の名はヴァルラ。ミハイラの相棒である。


「もうヤダ! 俺こんな役! ヴァンパ嫌い! 怖い! びえ~ん!」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で泣きじゃくっているヴァルラを一瞥して、ミハイラはため息をついた。


「もー、自分がヴァンパイアなのに何でヴァンパが怖いのよ!」


 そう言いながら、ミハイラは彼に手を差し伸べる。恨めしそうな顔のままその手を掴んで立ち上がりながら、ヴァルラは答える。


「子供の時にヴァンパイアに襲われかけたのが、ずーっとトラウマなんだよ!……あ、それはそうと」


 むくれていたヴァルラも、思い出したように手にしたビデオカメラで撮影した映像をモニタでチェックし始める。

 そこにはミハイラが男に留めをさす場面が、震えによって少しぶれた状態ながらも、鮮明に録画されていた。


「よし、録画もばっちり。これで報酬もガッチリだねん。むふふ」


 彼はそれで気を良くしたらしく、さっきの涙もすっかりどこかへ消えたようだ。

 二人は少女を連れ添って階下へと向かう。

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