ぱらいそ・ヴァンパイア ~相棒は訳ありヴァンパイア! いつかヴァンパイアが溢れるこの島を出るためにハンターやって稼いでいます~
千石綾子
第1話 ヴァンパイアハンター、参上
細い月が冴え冴えと光る夜。人々は我が家に帰り着き、皆安らかな眠りについている頃。
どこにでもある赤煉瓦の家の一室で、1人の少女が眠っていた。
栗色の巻き毛に白い肌、そばかすの愛らしい12,3歳ほどの少女は白いベッドに横たわり、ブランケットに包まれて安らかな寝息を立てている。
ふと、その部屋に風が舞い込み、白いレースのカーテンを躍らせる。
部屋の窓が音もなく開いたのだった。
風のいたずらだろうか。──いや、そうではない。
なぜなら窓の外には黒い人影があったのだから。
闇を具現化したようなその黒い影は、すう、と宙を浮いて部屋の中央に舞い降りた。
黒いマントに黒のタキシードの長身の男。撫で付けられた黒髪に真っ赤な瞳。口を開けば白く大きな犬歯が輝いている。
「…………?」
少女が、その気配に目を覚ました。
しかし、その体は縫い付けられたように固まって動かない。辛うじて動くその目だけが、恐怖に震えていた
「迎えに来たぞ。我が美しき
両手を大きく広げた大仰な仕草と口調で、少女に告げる。そして男はベッドで震える少女を抱き起こし、その目を覗き込んだ。
「怖がることはない。我が一族に加わることを心から喜ぶがいい」
男と視線を合わせた瞬間、少女は催眠術にでもかかったように夢見るような表情になる。ぐったりと少女の体から力が抜け落ちた。
影が嗤う。
三日月のように開かれたその紅い口を少女の首筋に近づけ、長い犬歯を柔らかい肌に押し当てた――その時。
ドゴォッ!!!
凄まじく重い音が響いたかと思えば、黒い影が綺麗に宙を跳んでいた。
自ら浮遊したのではない。何者かが男に不意打ちを食らわせたのだ。
弾き飛ばされたその体は壁に激しく打ち付けられ、部屋全体が大きく揺れて天井からぱらぱらと埃が舞う。
まるで巨象の突進を思わせるようなその攻撃を放った主の正体は……。
「はぁーい、そこまでよん。変態さーん」
蹴りを放ったと思える姿勢から、軽やかに体勢を整えて着地したのは、短い黒髪をした女だった。
崩れ落ちそうになる少女を素早く抱きとめて、ベッドに横たえる。
「全く。こんな小さな女の子相手に目の色変えちゃって……。ホント信じらんないわあ」
女は少女の髪を優しく撫でた。
「き、貴様何者だ。人間ごときが私の邪魔をするというのか!」
紅い瞳を怒りに燃やして、男は女に向き直る。
「何者って聞かれりゃ答えてあげてもいいわよ。あたしはミハイラ。ここいらじゃNo.1のヴァンパイアハンターよ」
女……ミハイラはそう名乗りを上げて、優雅にウインクをした。気の強そうな大きな蒼い瞳に白い肌。
形の良い紅い唇が不敵に笑う。黒いタンクトップは丈が短く、動くたびに引き締まったウエストが露になり、カーキ色のホットパンツからはすらりとした長い足が伸びている。
あまりにも身軽なその格好は、これからヴァンパイアを狩るという状況には、およそ似つかわしくないものだった。
彼女が腰からぶら提げているナイフと銃が、辛うじてその生業を示しているくらいである。
「女のヴァンパイアハンターだと? 小癪な。今日はお前の血も貰って行こう」
男は、くはぁ、と口を開いた。冷気を帯びた白い息が吐き出される。
しかし、ミハイラには全く緊張の様子は見られない。ちらりとクローゼットに目をやると、誰かに報告するように大きく叫んだ。
「はーい、等級確認。黒髪に紅い目。Bクラス間違いなーし! さっさと片付けるわよー」
男は目を細めて再び嗤うと、冷ややかにミハイラを見下ろした。男は2mはあろうかという長身。
そんな彼に比べて、ミハイラは160cm足らず。その体格の差は歴然だ。
「威勢のいい小娘だ。お前の血はさぞやこの月夜に映えるだろう。美しい死のダンスを踊るがいい」
叫びにも似た声と同時に男は両手を広げ、マントを翻してミハイラに飛び掛かる。
同時に、ミハイラも床を蹴って跳んでいた。その身長差をものともしない跳躍力で、軽々と宙に浮くと、そのシューズの裏で男の顔面を捉えていた。
ドガンッ!
「ぐおっ?!」
哀れ、男は両手で顔面を押さえて地面に転がった。
対するミハイラは、子猫をあしらった後にも見える程の気楽さで突っ立ったまま、溜息を吐いている。
その着地は、たった今放った攻撃の激しさを感じさせないもののようで、古い木の床は微かにミハイラの足音を跳ね返しただけだった。
「……あーっ。さっきから言おうと思ってたんだけど。あんた、アナクロすぎ!」
両手を組んで、ミハイラは悶絶している男を見下ろすなり、目の前に転がるヴァンパイアにそう告げた。
「そのさ、いかにもってマントとタキシード? でもって登場の仕方から言動のひとつひとつまでさぁ。古いのよ。ふ、る、い! 時代錯誤もいいとこだわ。相手しててこっちが恥ずかしくなっちゃうわよぅ」
はぁ、とため息を一つ。顔面を押さえたまま、男は怒りに身を震わせる。
「私を愚弄するのも大概にしろ小娘!」
そう叫ぶと同時に、男はその大きな体躯からは想像できない速さで跳びあがり、空中で両手を前に突き出した。
するとその指先から、黒い牙状の塊がミハイラに向けて無数に飛び出した。
小刀ほどの大きさを持っているが、撃ち出される数とスピードはマシンガンの銃弾さながらである。
「おっと」
風を切って飛び掛る黒い刃を宙返りで後ろに避け、続けて襲ってきた第2弾をナイフで次々と叩き落す。
それを脇で見ていた少女は思った。もちろん、先ほどミハイラに避難させられた少女である。
――只者じゃない!
そう、ミハイラの動きもまた常人の目に留まるものではなかった。
ミハイラは少し緊張した面持ちで、それでもにやりと不敵に笑う。
「ふぅん。意外とやるじゃない。そのくらいじゃないと張り合いがないわ。あたしを退屈させないでね」
そう言って2本の指を口に当て、鮮やかな笑みを浮かべて投げキッスを男に投げかける。
「ふふふ、今宵の獲物は威勢がいいな。せいぜい強がるがいい、小娘」
そんなミハイラを見ても男が動じる気配はない。そうして間髪入れずに黒い刃の雨を、再びミハイラに浴びせる。
美しきヴァンパイアハンターは、逆手に持った銀色に光る三日月形の大きなナイフで、男の執拗な攻撃を弾き返した。
一見有利に見えるミハイラの動きだったが、途切れることなく繰り出される飛び道具での攻撃に、なかなか間合いを詰められない。そんなことを繰り返しているうちに、ミハイラは徐々に消耗し始めていた。
「息が上がってきたぞ小娘。大人しく武器を捨ててひれ伏すがいい」
男はにやりと真っ赤な口を開けて哂う。彼女は全身の神経を集中して男の動きを追い、視線を標的に走らせる。
彼が黒い刃を放った後に、一瞬の隙が出来ることに気付いたのはその数秒後。そしてその隙を狙うと決めたのは、一瞬の判断。勝機があるとするとそこしかない。
「変態のくせに意外とやるじゃない……」
「その非礼を後悔させてやる。……死ね!」
再び黒い牙がミハイラを襲う。彼女は大きく横っとびに跳んだ。
羽根が生えているかのような身軽な跳躍の後、壁を蹴って男の背後に着地。それと同時に男の背中に銀のナイフを深々と突き立て……たかに思えた。
が、男は一瞬にしてミハイラの前から姿を消していた。
上級のヴァンパイアの中には、瞬間的に高速移動できる者もいる。この男がまさにそうだ。
渾身の一撃が空を切り、ミハイラは空振りによって崩れた姿勢を整え、男の姿を探す。
「どこを見ている……」
「なっ……?! 後ろ?」
咄嗟に振り返ろうとしたミハイラは、後頭部に激しい衝撃を感じた。
瞬く合間にミハイラの後ろに回った男が、両手を合わせた拳をしたたかに叩きつけたのだった。
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