Lucky Lips 3

そこまで言って、彼女は黙り込んだ。

そして、過ぎ去った遠い日々のできごとを、ひとつひとつ憶い出しているかのように、静かに瞳を閉じて、物思いにふけっている。

出会った頃の話をするみっこにつられて、わたしもあの日のこと…

西蘭女子大の入学式の日の景色が、心のなかに想い出されてきた。


「弥生さつき」の「や」。

「森田美湖」の「も」。

出席簿に続けて並んだふたつの名前。

入学式のセレモニーで、緊張していたわたしの横で、森田美湖はじっと瞳を閉じていた。

式が終わって学科に分かれ、講義室でオリエンテーションを受けている時も、彼女はとなりの席でうつむき、唇をキュッと結んだまま、教授の話さえも聞こえてないみたいで、自分の殻に閉じこもっているかに見えた。

そんな彼女の様子に、これからのキャンパス生活を想像して、戸惑いながらも興奮を隠せない他の女の子達とは違う、思いつめたような『なにか』を感じ、わたしは思わず声をかけたんだった。


そんな、もう二度と戻れない遠い日々が、懐かしい。

あの日からわたしたち、ずいぶん遠くまで、来ちゃった気がする。

一年半の月日が、重い。

わたしたち、どうしてこんな風になっちゃったんだろ。

もう一度、あの頃のような気持ちで、みっこと出会いたい。

まだ、彼女のことをなんにも知らない、まっさらな気持ちのままで…


「なんだか緊張してしまうわね。高校とはまるで違うんだもの。あ、わたし弥生さつきって言うの。三月五月なんて、なんだかふざけた名前でしょ」


不意に記憶の扉が開いたかのように、みっこはパチリと目を開け、わたしに向かって微笑みながら言った。

「えっ?」

なんだか聞き覚えのある台詞。

わたしは思わず、みっこを見た。

彼女もじっと、わたしの瞳を見つめている。

そして、とっても懐かしい微笑みを浮かべて言った。

「それがあなたからの、あたしへのはじめての言葉だった。あのときあなたに話しかけられて、あたし、本当に嬉しかったのよ」

「…」

「あたしね、ずっと思ってたの。

さつきがいたから、『もう一度モデルをやろう』って、決心できたって。

あたし、あなたのことはこれからも、ずっとずっと、忘れない。

ほんとうにありがとう」

「…」

なんだか涙が出そうになって、わたしは彼女から視線を逸らせて、うつむいた。

これが、みっことの最後なんだ。


「いろいろあったけど、あたしの九州での2年間の大学生活は、とっても輝いていた日々だった」

「…」

「最後にあんなことになって、さつきのことを傷つけてしまったことは、本当に後悔してるし、すまなく思ってる。

けど…

それまで、あたしたちは…

ほんとの親友、だったよね?」

「…」


『それまで』?

『親友だった』?

過去形?


「あなたが言うように、あたしはわがままで、ひどい女で…

親友なんてできなくて当然かもしれないけど…

だからこそ、はじめてできた親友は、とっても大切な存在だった」

「…」

「あたしたちが、親友として過ごしてきた一年半は、ほんとに大切な思い出として、これからもずっと、胸にしまっておいてもいいよね?」

「…」

「あたし、そうしてもいいよね?」

「…」

「さつき。今までありがとう。そしてごめんなさい」


たまらない!


どうしてこれ以上、なんの意地を張る必要があるの?

あんなに悪態ついたわたしのことを、みっこはまだ『親友』として、受け入れてくれている。

胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、喉がむせぶ。涙で空港のコンコースが歪んで見える。


「みっこ!」


わたしは彼女を振り返った。

そして、そのぱっちりと冴えた瞳を見つめたとき、息が詰まりそうになった。

みっこのつぶらな瞳にも、こぼれんばかりの涙がたまっていたのだ。

わたし、気がつかなかった。

顔を見ず、話だけ聞いていたときは、とっても穏やかで、晴れ晴れとした声だと思っていたのに…


「みっこ、ごめん。あやまらなきゃいけないのは、わたしの方なのに」

声を詰まらせて言ったわたしに、みっこは思いっきりかぶりを振った。

その拍子に、瞳にたまっていた涙がこぼれ、わたしの手の甲にポタポタと落ちた。

わたしはその手で、みっこの両手を包むように、強く握った。

「みっこ。わたしたち、もう会えないの?」

「嬉しい。そんな風に言ってもらえるなんて。さつきさえ許してくれるのなら、あたしたち、きっとまた会えるから」

そう言いながら、みっこはハンカチで涙を拭い、恥じらうようにニッコリと微笑んでみせた。

あなたのその微笑みは、いつだってわたしを元気づけてくれた。

わたしこそずっと、その微笑みを忘れないでいたい。


「あたしね。あなたに、聞いてほしいことがあるの」

気持ちを鎮めるように、みっこはハンカチを頬に当て、しばらくは目を伏せていたが、ゆっくりと話を切り出した。

わたしも、握っていたみっこの手を離し、ひざの上に両手を置いて、みっこの言葉に耳を傾ける。


「川島君のことなの」


つづく

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