Rip Stick 15

 そのあとの川島祐二の行動は、迅速で的確だった。


「さつきちゃんがしっかりしないでどうする!」

呆然と座り込んでいるわたしを叱りつけて正気に戻すと、『みっこを見ているように』と言い残し、川島君は森の外に飛んでいった。

が、すぐに戻ってきて、濡らしてきたハンカチで、みっこのからだに付いた血や泥を拭ってやり、自分の着ていたブルゾンを羽織らせ、スカートを直して破れたストッキングを脱がせると、引きちぎられた泥まみれのショーツを拾って、ズボンのポケットに素早く突っ込んだ。


「行こう。さつきちゃん」

早口でそう言うと、川島君はみっこを抱きかかえるようにして、足早に歩きだす。

「どっ… どこへ?」

「駐車場。みっこを家に送るんだ。みっこも、その方がいいだろう?」

川島君が尋ねると、みっこはうつむいたまま小さくうなずいた。

「うん。じゃあ、行こう。あ、そこのバッグ、さつきちゃんが持ってて。もう落ちてる物がないか、よく確認して」

地面に転がっているみっこのバッグを差して、川島君は指図した。今はなにも考えず、わたしは黙って彼の指示に従った。

「いいか。さつきちゃん」

できるだけ人目につかないように歩きながら、川島君は小声で言う。

「だれになにを聞かれても、『なんでもない』って言うんだ。どうしても答えるときは『みっこが池に落ちた』って言うんだぞ」

「だけど、藤村さんたちには…」

「もう会ってきた。星川先生はいちばん近い駐車場に、ぼくのクルマを回してくれているはずだ。みっこの友だちのふたりの女の子には、打ち上げパーティに行ってもらって、『みっこが池に落ちて、行けなくなった』って、伝言頼んできた」

川島君は念を押すように、わたしを見つめる。


「いいな、さつきちゃん。みっこは、池に、落ちたんだ!」


川島君の迫力に気圧され、わたしはうなずくしかなかった。



 何人かの知り合いの女の子をうまくやり過ごし、駐車場にたどり着くと、そこには藤村さんと星川先生が、赤い『フェスティバ』の中で待っていた。

わたしとみっこを後部座席に乗せると、川島君は星川先生と席を代わって運転席に着く。素早くイグニションキーを回し、ギアをローに入れ、カーコンポのスイッチを押すと、音楽を流した。

モーツァルトのハープとフルートのデュエット。

ゆったりとした静かなメロディが、心を落ち着かせてくれるよう。


 クルマは街なかを縫うように走り、15分ほどでみっこのマンションの前に、ピタリと止まった。

「川島君。みっこのマンション、知ってたの?」

「…」

わたしの質問には答えず、川島君はみっこをかばいながら、マンションのエントランスに駆けこんだ。

「暗証番号は?」

「1207」

かすかな声で、みっこが答える。

川島君はテンキーに番号を打ち込み、オートロックを解除すると、足早にエレベーターに乗り込み、迷いなくみっこの部屋の階のボタンを押し、わたしにみっこのバッグから部屋のキーを出させて、彼女の部屋に向かった。


 バタンと玄関のドアを閉じて、リビングのソファにみっこを座らせると、川島君はようやく安心したように、ほっと息をついた。

川島君の大きなブルゾンにからだを包んだみっこは、わたしたちと視線を合わせるのを避けるように、ずっとうつむいたまま、部屋の隅を見つめている。


「なんとか家に着けたね」

落ち着いた声で、藤村さんは言う。

「ほんとにこれで、よかったんでしょうか?」

確認するように、川島君は藤村さんに訊く。

「まあ、ベターな選択だろう。スキャンダルは避けたいからね」

星川先生は川島君に尋ねる。

「その男たちも、未遂で逃げていったんでしょ?」

「ええ」

「じゃあ警察に通報しても、みっこちゃんにとって、いいことはひとつもないわね」

「ぼくもそう思います」

「殴られたりした跡はないし、頬と手を擦りむいたくらいで、怪我も思ったより軽いようだ。不幸中の幸いだな」

みっこの状態を観察して、安堵するように藤村さんは言ったが、すぐに、悔しさを滲ませるような口調でつぶやいた。

「…にしても悔しいな、泣き寝入りなんて。川島君、そいつらをぶちのめしてくれればよかったのに」

「二・三発はぶん殴ってやったけど… ぼくも悔しいです」

「でも川島君、機転がきくわね。感心したわ」

「いえ… ぼくがもっと早く、みっこを見つけられたら…」

「川島君が自分を責める必要はないわよ」

「みっこちゃん…」

藤村さんはみっこの側に寄ると、彼女の頬を撫でる。怯えるようにピクリと反応して、みっこは藤村さんをじっと見つめていたが、無言のまま、視線を避けるように目を伏せた。

「今日はゆっくりと眠りなさい。あとのことはぼくたちの方でなんとかしてあげる。なにも心配ないからね」

「…ありがとうございます」

消え入るような声で応え、みっこは川島君のブルゾンに顔を埋めた。

藤村さんはしばらくみっこの顔を心配そうに見ていたが、こちらを振り向くと、申し訳なさそうに言った。

「側にいてやりたいのはやまやまなんだけど、明日はどうしても外せない仕事があって、ぼくたちはもう、引き上げなきゃいけないんだけど…

ふたりともまだ、みっこちゃんの側に、いてあげられるかい?」

「大丈夫です藤村さん。あとのことはぼくたちに任せて下さい」

「すまないな、川島君。なにかあったらすぐに連絡をくれよ。仕事が終わり次第、様子を見に戻ってくるから」

「はい」

「さつきちゃんも、みっこのことをくれぐれも頼むわね」

「は、はい」

星川先生の言葉に、わたしもうなずいて答える。


今は…

そう答えるしかない。


つづく

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