Rip Stick 5
「みっこ。ごめんね… ありがとう」
丘の小径を先に下りていくみっこに、わたしは急ぎ足で追いつき、背中から声をかけた。
彼女は少し歩をゆるめたものの、立ち止まろうとはせず、
「…いいの」
と、わたしの顔も見ずに、ようやく聞きとれるくらいのか細い声で、応えた。
「みっこ… どうしたの?」
「ん? 別に… なんでもないわよ」
振り向きもせず、彼女は丘を下る。その背中は気のせいか、淋しげ。
わたしは気になって、みっこのとなりに並んで、彼女の顔をのぞきこんだ。
「みっこ?」
立ち止まった彼女はチラッとわたしを見返し、繕うように微笑む。
「大丈夫。さつきたちのことが、ちょっと羨ましくなっただけ」
「ご、ごめん」
「あやまることないじゃない。まあ、あたしには『モデル』っていう、大好きなお仕事があるから。それで幸せなのよ」
そう言ったみっこは、『さ、早く』とわたしを促し、アリーナへ向かった。
…そうか。
みっこは自分の恋の辛さをまぎらせるのに、精一杯なんだな。
そう言えばあの夜も、みっこは言っていた。
『もう会うまい、って心に決めるんだけど、それでも会えない苦しさの方が辛くて、他のなにでもその気持ちは埋められない』
って。
あの夜、わたしの作ったケーキを食べながら、ポロポロと涙をこぼした彼女だった。
今日のみっこは、そんなことまるで忘れてるかのようだけど、笑顔の彼女の心のなかには、『埋められない』気持ちが、今でもくすぶっているに違いない。
そんな、報われない恋をしているみっこに、わたしと川島君のことが、羨ましく映るのも、当然のこと。
それなのにわたしは、ささいなことで川島君に当たったりして、なんて心が狭いんだろ。
そう。
ささいなことよね。
きっと…
川島君はわたしのことを愛してくれて、とっても大事に思ってくれているんだから、ふたりにとって重要な問題なら、いつかはキチンと話してくれるわよね。
わたしは川島君が話してくれるのを、待っていればいいのよね。
そう考えれると、気持ちも晴れてきた。
みっこには感謝しなくちゃ。
せっかくの文化祭だもの。楽しまないとね!
「みっこ!」
ファッションショーの会場になっているアリーナに入ろうとしたわたしたちに、そう声をかけてきた人がいた。
振り向くと、こちらに歩いてくる背の高い男の人が見える。
あっ、この人はみっこの元恋人。藍沢直樹さんだ。
仕立てのいいスーツを着こなし、藍沢氏はみっこに微笑みながら、手を挙げて歩み寄ってきた。
「久し振りだね。ちょうどよかった。今、楽屋に行こうとしていたんだよ。あ、弥生さんもいっしょなんですね。こんにちは」
「こ、こんにちは」
「あら。直樹さん。お久し振り」
戸惑うわたしとはうらはらに、みっこはにこやかに微笑み返す。
その表情は、去年の『Moulin Rouge』で見せたような、藍沢氏に対するもやもやした感情など微塵も感じられず、明るくて晴れやかだった。
彼女はもう、藍沢氏のことは、完全に吹っ切れたんだろうな。
「君が大学のファッションショーに出るって聞いてね。はい、これお祝い」
「ありがとう! 直樹さん」
差し出された真紅の
「CMも見たけど、すごくよかったよ。いろいろ出てるんだね。モデル、頑張ってるみたいだね」
「ええ。今は忙しくって、毎週東京と福岡を飛んで回ってるわ」
「そうか。大変そうだね。でも、君がモデルに復帰してくれて、ぼくも嬉しいよ」
「直樹さんの方は、お仕事とか、どう?」
「ああ。夏から本社に戻っててね。今日は君のショーを見に、東京から来たんだよ」
「栄転?」
「まあ、東京に転属願いを出してたから、それがOKされたってとこかな。もう福岡にいる意味もないから」
藍沢氏はそう言って、意味深に微笑む。
そうか。
藍沢氏はみっこを追いかけて、わざわざ会社に転勤願いを出して、福岡に来たのよね。
そんな彼の遠回しのアピールも、みっこはすんなり受け流した。
「そうね。直樹さんも、東京の方が友だちもたくさんいるし、行きつけのお店もあるし。馴染みのない福岡で、あたしの誕生日にディスコで憂さ晴らしなんて、もうしなくてすむわね」
「はは。相変わらず口が悪いな、君は」
「それは直樹さん仕込みよ」
「あははは。なんか安心したよ。いつものみっこで」
「ふふ。直樹さんも、お仕事頑張って、早くいい人見つけてね…
って。もういるんでしょうね。直樹さんモテるから」
「まあ、その辺は、ご想像にお任せするよ」
「そんなこと言ってると、あたし、すごい妄想しちゃうわよ」
「ははは。なんだか怖いな。みっこの方は、どうなんだい?」
「あたし? 今は仕事が恋人よ」
「ほんとうかい?」
「ふふ。じゃあ、『恋人』が待ってるから、あたしそろそろ行くわね。お花、ありがとう」
「ああ。ステージ、楽しみにしてるよ」
「ちゃんと見ててね。あたしと別れたこと、後悔させてあげるから」
憎まれ口を叩きながら、みっこは楽屋のドアを開けて入っていく。
わたしも軽く頭を下げ、みっこのあとに続こうとしたが、どうしても言いたいことがあって、藍沢氏を振り向いた。
今考えると、このタイミングでみっこの元恋人と再会できたのは、必然のようにも、運命のいたずらのようにも思える。
去年のみっこの誕生日。藍沢氏からは運命論みたいな、彼の恋愛観を聞かされた。
まだつきあいはじめたばかりの川島君とわたしだったけど、そのときは、そんな彼の考えには納得いかなかった。
だけど今。
川島君とひととおりの経験をして、藍沢氏の言う『ターニング・ポイント』を通過して、川島君とつきあうことは、運命なんかじゃなく、永遠でもなく、お互いが寄り添おうとする、強い気持ちが必要なんだと、気づかされた。
恋人との別れなんて、すぐそこにある危機なんだと実感した今、わたしは、彼が言いたかったことが、やっと少し、わかった気がする。
だけど、わたしは運命に屈したくはない。
藍沢氏とみっこのような失敗は、繰り返したくない。
「藍沢さん」
「なんです? 弥生さん」
「わたし、光から陰に変わって、まっさかさまに坂を転げ落ちていく恋愛でも、きっと食い止めてみせます」
つづく
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