CANARY ENSIS 4

 更衣室の前で川島君は両手に缶ジュースを持って、ビーチに立っていた。

パインジュースを差し出しながら、茶化すようにわたしたちに言う。

「残念」

「え? なにが?」

「全世界がひれ伏す『アート』は、拝めないのか」

「もうっ。川島君ったら」

みっこは不敵に微笑んだ。

「ふふ。そんなに拝みたいなら、特別に見せてあげるわよ」

そう言うと、みっこはいたずらっぽく微笑みながら、背中のブラのホックをはずしてひもを持ち、両手を広げる。

「えっ。森田さん」

「みっこ!」

「…なぁんてね」

ギリギリのところで手を止めて笑うと、みっこはホックをとめなおした。

「川島君って、口ほどにもなく、純情なんだ」

あわてて目をそらした川島君を見て、みっこはおかしそうに笑った。

う~ん…

人がドキドキするようなことを、平気でやれるみっこの方が、やっぱり一枚上手かも。


 わたしたちが着替え終わるとすぐに、メイクの仲澤さんがやってきた。

「森田さん。日射しが強いから、これ塗って下さい。わたしがしますから」

そう言いながら彼女は、日焼け止めを差し出す。

「そうね。じゃあ、お願いします」

そう応えて、みっこはなぎさのビーチパラソルの下に並べられた、ビーチチェアに寝そべる。仲澤さんはみっこの背中にクリームをタップリと乗せ、広げはじめた。クリームで濡れた肌がテカテカ光って、そのままコマーシャルの絵になりそう。

「川島君、なにぼんやりしてるの? さつきにも早く、日焼け止め塗ってあげてよ。すぐに真っ赤になっちゃうわよ」

「そうだな。さつきちゃん、横になって」

みっこに促され、川島君はみっこのとなりのビーチチェアを指差した。

え? 川島君が塗ってくれるの?

なんだか嬉しいような、恥ずかしいような…

わたしが横になると、川島君はクリームを手に取り、背中の上に伸ばしはじめた。


わたしの背中をなぞる、大きな手。

そのごつごつとした感触が、からだにまったりとした快感を残していき、手が離れたあとも、余韻が残る。

川島君の手は背中をまんべんなく撫でると、肩甲骨をなぞり、肩から二の腕を握るようにしていく。

それからひるがえって、ふたたび背中を下の方に滑っていくと、腰からさらに下に、手が伸びていく。

「やん。くすぐったい」

わたしは思わず声を出した。

「あ。ごめんよ」

そう言いながら川島君の手は、わたしの太ももの裏側をやさしく愛撫するようになぞる。どうして好きな人に触られると、気持ちいいんだろ? なんだかジンジンくるようなうづき…

川島君とは『Moulin Rouge』でキスして以来、少しずつお互いのからだに触れるようになったが、まだスキンシップに慣れていないというか、あんまり触れられすぎると、突然やってくる妙な感覚に戸惑ってしまって、怖くなってくる。

「あ、ありがと。あとは自分でできるから」

お尻の下あたりに触れられたとき、思わずからだの奥がきゅっと締めつけられるような快感に戸惑い、あわててわたしは、ビーチチェアからからだを起こした。


 そうしているうちに、スタッフのみんなが水着姿でビーチにやってきた。

「やあ、みっこちゃん。お待たせ」

「あらぁ。みっこちゃん、いかしたビキニ着てるわね。それ撮影用?」

「センセ、乙女に対する褒め方が違うわよ。『あたしがいかしたビキニ着てる』んじゃなくて、『いかしたあたしがビキニ着てる』でしょ?」

「みっこちゃん、相変わらずね~」

藤村さんと星川先生の間で、じゃれるように両手を組んだみっこは、天真爛漫てんしんらんまんな微笑みを見せていた。

「みんなも来たし、さっそくゲームしましょ。ビーチバレーボール」

「みっこちゃんはいつまでも子どもだねぇ」

「んもう。『ちゃん』づけはやめてって、言ってるのに」

「みっこちゃんにもう少し色気が出てきたら、『美湖さん』って呼んであげるよ」

「それもなんだかイヤだな~」

おとなの中にいて、全然違和感なく会話をするみっこ。わたしじゃこうはいかない。

みっこが年の割に、考え方も言動もおとなっぽく感じるのは、こうやって小さい時から、おとなに混ざってモデルの仕事をしているからだろな。



 みんなでビーチバレーボールをやったり、ダイビングを習ったり、ボートに乗ったりして遊んでいるうちに、陽は西に傾き、インディアナ・オーシャンは綺麗な緋色ひいろに染まっていった。


「ねえ。太陽が海に沈むのを見に行こうか?」

陽に焼けてほんのりと色づいた肌を、インド更紗さらさのサリーに包んだみっこは、ホテルの裏の小さな丘に、わたしと川島君を案内した。

 そこではかすかに風が吹いていて、うなじを抜ける空気の流れが心地よい。

わたしは水平線の彼方に、今にも身を沈めそうにのたうつ、紅い太陽を見つめた。

「よく聞いててね」

さっきまであんなにはしゃいでいたみっこは、金色に染まった夕陽に似合うような、しっとりとした口調で言う。

「海に太陽が触れた瞬間。『ジュッ』って音がするのよ」

「ほんとに?」

「ええ」

遠い大気が大きな丸い輪郭を震わせ、夕陽は揺れながら海へと近づいていく。

そして太陽が海に触れた瞬間、燃える赤い球は炎を水平線にまき散らし、海は沸騰したかのように、泡立って見えた。

そんな眺めを見ていると、なんだかギュッと胸が締めつけられてくる。

「…聞こえた?」

「…みたいな気がする」

みっこの問いに、わたしは答えた。

「本当に、太陽は海に沈むんだな」

川島君は、はるか彼方の水平線を見つめて、静かにつぶやく。

「…はぁ。感動したよ」

あまりの美しさにため息をつく彼を黙って見つめて、みっこは微笑んだ。


つづく

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