CANARY ENSIS 5
モルディブの夜は、神秘的な漆黒の世界。
星明かりが砂浜を照らし、静寂のなかにかすかな潮騒だけが繰り返している。
そんな南の島で、このホテルの中庭だけが明るく、賑やかだった。
その夜はかがり火を焚いた中庭で、わたしと川島君の歓迎会と、みっこのカムバックパーティを催してもらった。
テーブルに並んだ料理は、お皿からはみ出しそうなロブスターに、ホタテやシャコ貝の貝柱。ソースがたっぷりかかった、見たこともないようなカラフルな魚のソテーに、ローストチキンや大きなステーキ、甘酸っぱい香りのたちこめたトロピカルフルーツといった、8人じゃ食べきれないほどのリゾート・ディナー。
みんなでワインで乾杯して、ご馳走を食べているうちに、わたしの緊張も少しづつ解けてきた。
はじめは、こんなすごいプロフェッショナルな人たちとうまくやっていけるのかと、とても心配だったけど、藤村さんや星川先生は、撮影の裏話やみっこの昔のエピソードを聞かせてくれたり、写真のうまい撮り方を教えてくれたりと、とっても気安く接してくれる。
わたしたちは何度も乾杯を繰り返した。
「さつきちゃん。みっこちゃんはこの業界じゃ『お姫様モデル』として、有名だったんだよ」
藤村さんはワイングラスを掲げながら、機嫌よく話しはじめた。
「『お姫様モデル』ですか?」
「いつでも優雅にニッコリ微笑んで、自分のわがままを通してしまうのさ」
「文哉さんったら…」
恥ずかしそうに藤村さんをつつくみっこを横目で見ながら、彼は愉快そうに続けた。
「メイクが気にいらないと、何度でもやり直させるし、嫌いなカメラマンの前じゃ、ポーズをとろうともしない。星川さん、あのときのこと、覚えてる?」
藤村さんが星川先生に話を振る。
「ええ。あれはみっこちゃんがまだ、中学生の時のことでしょ? CF撮りをやってて、監督が絵コンテを自分流に解釈して、みっこちゃんに不自然な動きの指示を出した時のこと」
「そうそう。そのときみっこちゃんは、カメラが回っているのに、セットからニコニコと降りてきて、カメラのファインダーを覗いて、『ダメね』って、監督にひとこと言ったんだ。ぼくは側で見ていて、冷や汗かいたよ。さつきちゃん、これがどんなにすごいことか、わかる?」
「監督にダメ出しするなんて、すごいって思いますけど…」
「それだけじゃないよ。本番のカメラのファインダーってのは、監督とディレクターと照明さんしか覗けないってのが、この業界の『しきたり』なんだ。一介のモデルが口を挟む余地なんかないのさ。なのにみっこちゃんは、堂々とファインダーを覗いて、ちゃんとコンセプトにあった演技をし、結局、監督を黙らせたんだからな」
「へえ~。なんか、みっこらしいですね~」
「そうよね~。ほかにも、アシスタントがレフ版をうまく扱えないでモタモタしてるときも、彼にモデルをやらせて、自分がレフ板を当ててたりしてたこともあったわよね。衣装のコーディネイトやメイクが気に入らないと、スタイリストがだれだろうと容赦なくダメ出しするし、まったく、みっこちゃんと仕事をしていると、ハラハラしっ放しよね」
「まったく『わがままなお姫様』だよ」
「失礼ね。『完璧なプロ根性』と呼んでほしいのに」
そう言ってむくれるみっこを見て、藤村さんはさらに愉快になったらしい。
「あははは。彼女のわがままにまともにつきあえるのは、星川さんくらいしかいないよな。みっこちゃんはファザコンの気があるし、星川さんはロリコンだから、ちょうど気が合うのかな?」
「あたし、ファザコンじゃないもん」
「失礼ね。私のこと、犯罪者とでも言いたいの?」
みっこと星川先生は、いっしょになって反論する。星川先生は笑いながら続けた。
「でも私。みっこちゃんを撮るのは大好きよ。去年は寂しかったけど、あなたがモデルに戻ってきてくれて、本当に嬉しいわ」
「ありがと、センセ」
はにかみながら肩をすくめてみっこは言うと、藤村さんの方に向き直った。
「文哉さんも、少しはあたしがモデルに復帰したことを、喜んでくれたらどうなの? 意地悪なことばっかり言うんだから」
「はははは。もちろん喜んでいるよ。こうやってまた、わがままお姫様といっしょに仕事できて、天にも昇る気持ちだよ」
「もうっ。な~んか嘘臭いんだから」
プンとすねた振りをして、みっこはロブスターのはさみで、藤村さんの鼻をつまんだ。
そうか。
このメンバーって、みんな古くからのつきあいだったのね。
だから、はじめから
そのとき、となりに座っていたメイクの仲澤さんが、わたしにポツリとつぶやいた。
「わたし、ほんとはすごく、緊張しているの」
「え?」
わたしは彼女を見た。ソバージュのヘアの陰から、かがり火に仄かに照らされた不安げな表情が、ちらりとのぞく。
「わたしまだ24歳なのに、こんな大きな仕事を任されて、うまくやれるかどうか… 森田さんって厳しそうだし」
「心配いらないわよ」
みっこがテーブル越しに身を乗り出して、仲澤さんの手をポンポンとたたいた。
「あたし、仲澤さんのセンスって、とってもいいと思うわ。新鮮で、品がよくて、魅力的で。
これは大きなチャンスじゃない。アルディア化粧品の夏キャンのメイクなんて、だれもが望んでできる仕事じゃないわ。抜擢されたことに自信を持って、いっしょに頑張ろ!」
そう言ってみっこは仲澤さんの手を握り、微笑む。彼女もコクンとうなずき、明るい表情になった。
みっこはいつだって、ムードメーカーになるのが上手。
「みっこちゃんはわがままなようで、いつでも回りに気を遣っているんだよ」
藤村さんはみっこに気づかれないように、そっとわたしにささやいた。
つづく
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