CANARY ENSIS 2

 モルディブの空の玄関口、マーレ空港に降り立ったわたしたちを最初に迎えてくれたのは、熱帯独特の高気圧の爽やかな風。そして、ほとんど垂直から降りそそぐ、遮るほこりひとつないような、強烈な陽の光。

赤道の近くにあるこの島国は、年間の半分近くは比較的雨の多い季節だけど、今はベストシーズンらしく、すべての景色がくっきりと、原色で描かれているって感じ。珊瑚さんごのコンクリートでできた建物は、白いコントラストが鮮やかで、目がくらみそう。


「素敵! わたしこんな景色見たの、はじめて! 日本の海とか空とかの色と、ぜんっぜん違う!」

「本や絵はがきで見るモルディブの景色って、嘘だったな」

川島君が、額に手をかざしながら言う。

「え? どうして?」

「この景色の色って、印刷で出せる色の範囲を超えてるよ!」

「そうよね! 葉っぱとかまで、キラキラ輝いてて、単なる『緑』なんて言葉じゃ表せないわね!」

「葉っぱだけじゃないよ。日本から1万キロだもんな。これはもうカルチャーショックだよ!」

そんな感嘆符つきの言葉をわたしと川島君は発しながら、回りの景色をキョロキョロと見回した。

ほんとにこのモルディブってところは、今までのわたしたちの世界とはまったくかけ離れていて、もう見慣れたはずの川島君やみっこの顔さえも、ここの光で見ると、ハッとするような新鮮さに溢れているような気がする。

「確かにね。これだけ綺麗な海や景色をバックにした絵は、日本じゃ絶対撮れないものね」

「そうだろうな。ほんと、森田さんには感謝してるよ。こんなすごい所に連れてきてくれただけでなく、撮影の現場にまで入れてくれて。ありがとう!」

うわ。川島君、すごい張り切ってる。

そうよね。川島君はカメラマンになるのが目標だから、彼にとってはプロの撮影の現場を体験できる、またとないチャンスなわけよね。

「ふふ。頑張ってね川島君。さ、行きましょ」

そんな『海外旅行はじめて組』の、興奮しまくっている川島君とわたしを引率しながら、みっこは税関のゲートをくぐって、空港のロビーへ出た。


「よっ。みっこちゃん。無事に着いたね」

「あっ。文哉ふみやさん! こんにちは!」

ロビーでわたしたちを出迎えてくれたのは、40歳がらみだけど、なかなかいかした感じの男の人。

背が高くてスタイルもよく、頭がよさそうな、女の子好みの甘い感じの顔立ちで、『若い頃はたくさん女の子を泣かせてきました』ってオーラが出ている。(今でもかな?)

そんな彼のうしろには、長い髪をオールバックにして個性的な眼鏡をかけ、スコッチひげを生やした、いかにも『アーティスト』という風体のおじさんと、Tシャツにジーンズ姿のスタッフらしい男女が2人程いて、みっこを見てそれぞれ挨拶をした。

みっこはしばらく『文哉さん』と呼んだ男の人と話をしていたが、わたしたちを振り返るとにこやかに、彼のことを紹介してくれた。

「この人が今回のCMディレクターの藤村文哉さん。今までに何回もいっしょに仕事している凄腕ディレクターさん。超一流よ。超一流!」

「おいおい、みっこちゃん。二回いうのはお世辞じゃなくて、ヒニクなんだよ」

藤村さんはみっこの『ヒニク』も笑って受け止め、微笑んでいる。みっこがそんな風に言えるってことは、このふたりは、かなり親しい仲なのね。

「ようこそ。弥生さんに川島君だね。みっこちゃんからいろいろ聞いてますよ」

藤村さんはわたしたちの前へ歩み寄ると、微笑みながら手を差し出した。わたしたちは恐縮しながら、交互にその手を握り返す。こうやっておとなの人と握手するなんて、『ビジネスの世界』って感じで、緊張してしまう。

「あははは… ふたりとも、そんなに固くならなくていいよ。ぼくは小さい頃からのみっこちゃんを知っているけど、彼女は学校でもモデルクラブでも、あまり友だちがいなかったんだ。だから、彼女の友だちなら大歓迎だよ。まあ、今回のロケは遊びにきたつもりで、楽しんでいってよ」

「もうっ。ダメじゃない文哉さん。甘やかしちゃ。ふたりともバイトに来てるんだから、思いっきりこき使ってやってよ」

まるで、お父さんが娘を思いやるような藤村さんの言い方に、みっこは照れくささを誤摩化すかのように口を尖らせる。

「なに言ってんだい。みっこちゃんの友だちだから、甘いんじゃないか」

「文哉さんったら… 『ちゃん』づけはもうやめて」

みっこの頭をくしゃくしゃと撫でる藤村さんを、彼女は上目づかいにはにかむように見上げる。

このふたりは本当に仲がいいんだ。

さっきは『お父さんと娘』みたいな印象を受けたけど、まるで『お兄さんと、うんと年の離れた妹』のようにも感じるな。

「まだまだ未熟ですけど、精いっぱい頑張りますので、よろしくお願いします」

川島君は張り切って答える。

わたしも釣られて、『よろしくお願いします。なんでもしますので』と、ペコペコと頭を下げた。

「ははは。その様子じゃ、ずいぶんみっこちゃんに脅されたみたいだね。

まあ、確かに一応『スタッフ』なんだし、ちゃんと働いてもらうよ。弥生さん… 『さつきちゃん』でいいかな?」

「え? あ、はい」

「さつきちゃんには、みっこちゃんのマネージャーが来るまで、彼女のスケジュール管理と、身の回りの世話や雑用をやってもらうつもりだし、川島君は主に、撮影機材の設営や撤収の手伝いを頼むよ。その辺の指示は、星川先生から出るから」

「はい」「はい」

わたしと川島君の返事がダブる。

仕事の話になると、藤村さんは急にハキハキとした業務口調に変わった。話し方ははソフトなままなんだけど、冷静で客観的な物言いに、人を引っ張っていく力を感じる。

「ふたりとも、撮影スケジュール表には、もう目を通しているかな?」

「はい! 把握しています」

「はい」

川島君が答え、わたしも続いた。

「うん。その表にあるように、CF撮りは明後日からで、明日は先にスチルを撮るから」

「はい」

「川島君は写真の専門学校生という話だけど、技術的なことはともかく、君自身の機転で、積極的に行動してくれることを、期待しているよ」

「はい。頑張ります!」

「よし。他のスタッフを紹介しよう」

そう言って、藤村さんはスタッフひとりひとりを、わたしたちに紹介してくれた。


オールバックのひげのおじさんは、ディレクター・カメラマンの星川英司先生。この先生はしゃべり方がいかにも『業界人』って感じで、ちょっと女言葉がかっていておもしろい。

黒いTシャツで、地元の人みたいに真っ黒に日焼けした若い男の人は、チーフアシスタントの首藤さんで、そのうしろにはもうひとり、アシスタントの若い男性。

ソバージュのヘアをトップでくくった、ちっちゃくて綺麗な女の人は、メイクアップアーティストの仲澤さん。背が高くてスレンダーな長いワンレングスヘアの女性は、ヘアメイキャッパーのYUKOさん。それぞれわたしたちを、好意的に迎えてくれた。


「星川よ。川島君はカメラマン志望なんですってね」

「よろしく、首藤です。こいつはアシスタントの田中」

「は、はじめまして。メイクの仲澤美穂です。よろしくお願いします」

「ヘアメイキャッパーのYUKOです。みっことは何回もお仕事してるのよね」

えっ? YUKOさんって、男性?

声を聞いてわかった。

そういう人はテレビやマンガではよく見るけど、実際にこの目で見るのははじめて。なんか、すごい世界だわ。思わず気圧けおされ、声がうわずる。

「よ、よろしくお願いします。み… 森田さんのマネージャー代理で、弥生さつきです」

「川島祐二です。一生懸命頑張ります! よろしくお願いします」

「そしてあたしが、モデルの森田美湖。よろしくね」

みっこは最後にそう言って、おちゃめに舌を出す。こういう愛嬌のあるところが、みっこの可愛らしさよね。

自己紹介が終わって、藤村さんが締めるように言う。

「じゃあ、これからホテルに移動だ。

本隊のCF(コマーシャルフィルム)部隊は明日の夜着く予定だし、代理店のプロデューサーやクライアントのお偉いさんたちも、明日の撮影前にしか来ないから、今日は少しはゆっくりできると思うよ。ここにいるのはスチルの撮影部隊で、みんな気心の知れた連中ばかりだから、楽しくやっていきましょう!」

そうは言ってくれても、みんな、わたしや川島君に較べると、それぞれ一流のプロフェッショナルなクリエイターばかりだ。『緊張するな』って言う方が、無理というもの。


つづく

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