Vo.12 CANARY ENSIS

CANARY ENSIS 1


 空から見下ろすインド洋は、どこまでも果てしなく広がる、コバルト色の絨毯じゅうたん

遥か遠くの水平線がゆるいカーブを描き、『地球』という惑星を実感させる。

その中に、まるで大小さまざまの真っ白い真珠の粒をばらまいたような、リーフに囲まれたたくさんの小さな島々が散らばっている。

「あと10分くらいで、モルディブよ」

窓際の席に座っている森田美湖が言った。

言葉で聞かされると、なんだか感動がこみ上げてくる。

わたしのとなりの川島君も、興奮を隠せないかのように、瞳をキラキラ輝かせている。


モルディブか…


まさか、日本から出たこともなかったわたしが、こんなインド洋の赤道近くまで来ることになるなんて、つい一ヶ月ほど前までは、思いもしかった。




 そう… あれは先月のはじめ。

ちょうど後期の試験がはじまる頃で、これから迎えるテストの日々にもかかわらず、早々と春休みのバカンスを、みっこと計画していたときのこと。

アルディア化粧品のサマーキャンペーンの打ち合わせで、東京に戻っていたみっこから、電話があった。


「3月上旬に1週間くらいのロケ撮影が決まったんだけど、さつきもいっしょに行かない? ついでに春休みのバカンスにもなるような場所よ」

「え? わたしが行ってもいいの? だったら絶対行きたい! どこで撮影するの?」

「ふふ。電話じゃ言いにくいわ。会って話した方が手っ取り早いから、明日さつきの家に行ってもいい?」

「いいわよ。でも、言いにくいって… 企業秘密とか? この電話は盗聴されてないわよ。多分」

「あはは。じゃあ、明日ね」


そう言って電話を切ったみっこは、次の日の午後、わたしの家にいろんな書類や資料を抱えて、やってきた。

彼女は分厚い封筒を差し出すと、嬉々とした顔で言う。

「はい。モルディブでのスケジュール表と、向こうでのガイドブックに、揃えなきゃいけない書類なんかのリストや資料よ」

わたしは一瞬、自分の耳を疑った。

「え… モルディブ?」

「そう。モルディブ」

「それ、どこ? 日本じゃない… よね?」

「インド洋の真ん中よ。赤道直下の南の島」

「インド洋ぉ~?!」

「ふふ。ナオミが予想してたパリじゃなかったけどね。ちょっとびっくりした?」

「ちょっとなんてもんじゃないわよ! みっこったらとんでもないこと言うんだもん。インド洋なんて遠くて… 簡単に行けるわけないじゃない! わたしなんにも準備してないし」

「まだ一ヶ月近くも先の話よ。準備なんてゆっくりできるじゃない」

「そうじゃなくて、お金の準備が… だいぶかかるんでしょ? 貯金とかもしてないし」

そう言って肩を落とすと、みっこは『ふふ』と笑って言った。

「さつき、アルバイトしない?」

「アルバイト?」

「割のいいのがあるの」

「え? そんなに収入いいの? でもわたし、『お水』なんてしないわよ」

「そんなんじゃないわ。モルディブでの撮影スタッフのバイト」

「ええっ?!」

あっけにとられたわたしを見て、彼女は微笑んだ。

「どうかしら? 時給はすっごい安いけど、役得として、モルディブまでの交通費や向こうでの滞在費用は、ぜんぶ会社持ちよ。悪いバイトじゃないと思うわ」

「ほ… ほんとにわたしなんかでいいの? わたし、なんにも役に立てない自信があるわよ」

「あは、大丈夫。うちのマネージャーさんが途中からしか来れないから、さつきにはその代理を頼みたいの。ぶっちゃけ、横で見てればいいだけよ」

「ほんとに?」

「ええ。あと、実はもうひとり募集してるの。力仕事ができて、撮影のアシスタントが勤まりそうな男の人」

「男の人?」

「そちらの人選はさつきに任せるわ」

「みっこ… それって、川島君のこと?」

返事の代わりに、彼女はニッコリ微笑んだ。

「そのかわり、ふたりでビシバシ働いてもらうわよ。いい?」

「みっこ… ありがと!」


みっこはわたしに本当によくしてくれる。彼女の厚意がとっても嬉しかった。

はじめての海外旅行。

おまけに、みっこがモデルの仕事をしているところまで、間近で見れるって。なんてラッキー!



 モルディブの空の玄関口、マーレ空港に降り立ったわたしたちを最初に迎えてくれたのは、熱帯独特の高気圧の爽やかな風。そして、ほとんど垂直から降りそそぐ、遮るほこりひとつないような、強烈な陽の光。

赤道の近くにあるこの島国は、年間の半分近くは比較的雨の多い季節だけど、今はベストシーズンらしく、すべての景色がくっきりと、原色で描かれているって感じ。珊瑚さんごのコンクリートでできた建物は、白いコントラストが鮮やかで、目がくらみそう。


「素敵! わたしこんな景色見たの、はじめて! 日本の海とか空とかの色と、ぜんっぜん違う!」

「本や絵はがきで見るモルディブの景色って、嘘だったな」

川島君が、額に手をかざしながら言う。

「え? どうして?」

「この景色の色って、印刷で出せる色の範囲を超えてるよ!」

「そうよね! 葉っぱとかまで、キラキラ輝いてて、単なる『緑』なんて言葉じゃ表せないわね!」

「葉っぱだけじゃないよ。日本から1万キロだもんな。これはもうカルチャーショックだよ!」

そんな感嘆符つきの言葉をわたしと川島君は発しながら、回りの景色をキョロキョロと見回した。

ほんとにこのモルディブってところは、今までのわたしたちの世界とはまったくかけ離れていて、もう見慣れたはずの川島君やみっこの顔さえも、ここの光で見ると、ハッとするような新鮮さに溢れているような気がする。

「確かにね。これだけ綺麗な海や景色をバックにした絵は、日本じゃ絶対撮れないものね」

「そうだろうな。ほんと、森田さんには感謝してるよ。こんなすごい所に連れてきてくれただけでなく、撮影の現場にまで入れてくれて。ありがとう!」

うわ。川島君、すごい張り切ってる。

そうよね。川島君はカメラマンになるのが目標だから、彼にとってはプロの撮影の現場を体験できる、またとないチャンスなわけよね。

「ふふ。頑張ってね川島君。さ、行きましょ」

そんな『海外旅行はじめて組』の、興奮しまくっている川島君とわたしを引率しながら、みっこは税関のゲートをくぐって、空港のロビーへ出た。


つづく

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