Invitation 4

「そして、合格発表を直樹さんと見に行った帰りの喫茶店で、あの人からいちばん嬉しい言葉をもらったの!」

パッと目を開けたみっこは、瞳をキラキラと輝かせながら、花が咲くように言った。

「『みっこちゃんには、もうぼくは必要なくなっただろうけど、ぼくには君が必要なんだよ』って」

「うわっ。それで! みっこはなんて答えたの?」

わたしが訊ねると、そのときの告白を繰り返すかのように、みっこは頬を紅潮させて言った。

「『そんなことない。あたし、藍沢先生がほしい』って、あたし、慌てて言ったの」

「へえ~。意外なくらいストレートな返事ね」

「しかたないわ。はじめての恋だったもん。ほんとはもっと気の利いたセリフを言いたかったんだけど、ああいう場面じゃ、そんな余裕なんて、ぜんぶ飛んじゃうのよ。

だからあたし、さつきと川島君が、いろいろ回り道しながら、やっと心が通じあえて、つきあうようになったの、よくわかる。恋している人たちって、はたから見れば、滑稽こっけいだったり馬鹿みたいだったりするけど、本人たちにとっては、本当にマジメで重大なことなのよね」

「そうなの! 理性じゃわかっているんだけど、感情が勝手に別の方へ暴走していっちゃうのよ!」

「そうそう! そういう自分をはたから見ると、恥ずかしくってしかたないんだけど… どうにも止められないのよね~」

頬を上気させながら、みっこはわたしの言葉に相づちを打ち、はずんだ心を抑えるかのように、紅茶を飲んでマドレーヌを食べた。


「直樹さんって、強引なところがあるのよね~」

ひとしきり休むと、みっこはまた、当時を懐かしむような眼差しになって、話をはじめた。

「直樹さんってあたしより七つも年上でしょ。当然恋愛経験もあったし、いろんな面であたしより大人だったのが、なにより悔しかったわ」

「藍沢さんの過去の恋愛とか、聞いたりしたの?」

「なんとなく、ね。あの人、『そう言うのを話すのはルール違反だから』なんて言って、話してくれなかったけど、会話の端々に過去の恋の影が、見え隠れしちゃってるのよね~」

「う〜ん。確かにモテそうな感じだもんね。みっことつきあう前に、恋人のひとりやふたりいても、おかしくなさそう」

「そうなの! 家庭教師に来はじめたばかりの頃も、ちゃんと彼女がいたみたいだし。それってもどかしいけど、どうにもならないじゃない?」

「そうよね~。その『過去』があるから、今のその人があるんだし」

「まあ、そう言うけどね。だけど、頭でわかっていても、気持ちの整理なんて、そんなに簡単じゃなかったわ」

「確かに。そんなたくさんの『過去』持ちの彼氏だったら、やっぱり大変だろうなぁ」

「大変のひとことですめばいいけどね」

「あ。ご、ごめん」

「ううん。いいのよ。

あの頃は、彼についていくだけで精いっぱいで、自分のリズムが全然つかめなくて、ずっと引きずられてばかりだった。

だけど、心地よい強引さって言うかな… そんな毎日も、とっても新鮮で楽しかった。

デートのたびに、いつも新しいことの連続で、ちょうど高校生になって、なにもかもが変わったばかりの時期だったし、その頃の日記なんて、ハートや感嘆符つきの言葉がずらっと並んでいるって感じ。

今読み返すと、『こんな小さなことで、いちいち感動してたんだな~』って、なんだか自分が可愛く思えちゃう」

「うん。わかるわ、その気持ち」

「そうよね。さつきはちょうど今がそんな時期だもんね。ファーストキスのことなんか、何ページも使って日記に書いたんじゃない? さつきって文章力あるから、すごい名作になってそう」

みっこは軽くウィンクしてわたしをからかったが、あまりにもタイムリーな言葉で、わたしは思わず、頬っぺたに全身の血が集まってきた気がした。

昨夜のできごとが鮮やかによみがえって、われながらとんでもない大胆なことをしたものだと、恥ずかしくなってしまう。

そして、そんな気持ちを長々と日記に綴って、眠れなくて、それが今朝遅刻した原因でもあるんだ。

「み、みっこだって、そうだったんでしょ!」

恥ずかしさを隠すように、わたしはあわてて言う。彼女もポッと頬をピンク色に染めて、うなずいた。

「なんだかビデオを見ているみたい。その頃のあたしの情景は、心の中にはっきり見えるんだけど、今じゃ自分のことじゃないみたいで、映画かなにかのワンシーンみたいに感じるの」

「それで? みっこのファーストキスはどうだったの?」

好奇心にかられて、わたしは思わずみっこに突っ込んだ。

「どうって… 不思議なものね。本や映画や人の話なんかで、知識はいっぱいあるつもりだったのに、実際にくちびるが重なると、なにも考えられなくなっちゃう」

「そっか~。やっぱりそうよね」

「やっぱり?」

「いや… まあまあ。今はみっこの話だから。それで?」

「ふふ、まあ、いいわ。その話は、次の機会にたっぷり聞かせてもらうから」

「あ。藍沢さんって、キスとかも上手そうよね~」

話題を変えようとしてそう切り出すと、みっこは思い出にふけるように頬を染めながら軽く微笑み、また自分の『映画のワンシーン』に戻っていった。

「そうなのよ。直樹さんったら、軽いフレンチキスからディープなのまで、いろんなキスをしてくれたな。

キスしながらあの人、軽く唇を噛んだり、舌を動かしたりするの。そんな風にされると、つい、声が出ちゃって。ガマンしようとしても、どうしても漏れてきちゃうの。直樹さんは『みっこの声、とっても可愛いよ』なんて言うんだけど、そう言われると、もっと恥ずかしくなっちゃう」

「うん、うん、それで?」

「それで… 結局、そうなってしまったのよ」

「そうなったって… どうなったの?」

「もうっ。さつきったら、あんまり訊かないでよ。恥ずかしいじゃない」

耳たぶまで真っ赤に染めて、みっこは両手で拒むけど、わたしの好奇心は、もう止まらない。

「いいじゃない。昨日はみっこだって、わたしと川島君のこと訊いてたじゃない。あのときはみっこのことははぐらかされたけど、今日はここまで話したんだから、全部言っちゃいなさいよ」

「んもうっ…」

「それで、どうなったの?」

「どうって言われても… さつきも、してみればわかるわよ」

「わ、わたしはまだ、そんなことしないんだから!」

思わず興奮してかぶりを振ったわたしに、みっこは察したように言う。

「そんなこと言ってても、実際、キスをしてしまえば、そうなるのは早いものよ」

「そっ、そうかな?」

「あたしも直樹さんには、『高校卒業するまでは、エッチとかしない』って宣言してたのに、キスをされちゃうともうダメ。

肌が触れあうのが愛しい、っていうのかな?

もっと深いところまで愛してほしいっていうか、それ以上のものがほしくなってくるの」


つづく

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