Invitation 2

「招いたのは、さつきがはじめてよ」

はにかむようにみっこは言って、部屋のドアを開けた。


「わあ! いい香り」

最初にわたしを迎えてくれたのは、玄関の飾り棚に置いてあった、ハーブのポプリの甘い香りだった。

大きめの1LDKってところかな?

女子大生がひとりで住むには、ちょっと贅沢なくらいの広さ。

玄関に入ると短い廊下があり、左右には木製のドア。廊下のつきあたりにはステンドグラスのはめ込まれた扉があって、その向こうの部屋からは、冬の木漏れ日が長いプリズムを作りながら、床にこぼれている。


 そんなステンドグラスの扉の奥の部屋へ、みっこはわたしを案内した。

そこはリビング・ダイニングキッチンだった。

正面にはバルコニーへ続く掃き出し窓があり、右側の出窓からの光が、ライトブラウンのフローリングの床に、陽だまりをつくっている。

「すっごく素敵ね~」

わたしはフロアを歩きながらみっこを振り返り、部屋の中を見渡した。

光がいっぱいに溢れたリビング・ダイニングキッチンは、とっても明るくてさわやか。

リビングに置かれたローチェストは、アンティークな生成りの白で、その上には、ミニコンポやテレビ、ちょっとした小物と花が、キチンと置かれている。

ローチェストの前には低めの丸テーブル。台形の大きな出窓は、床板がベンチになっていて、可愛いクッションが並べられている。

キッチンとリビングの仕切りになっているバー・カウンターは、ひとりの食事にはちょうどいい大きさだし、キッチンのこまごまとした小物を、リビングから見えないようにする役目もしている。

12畳ほどのLDKを、みっこは上手に無駄なくレイアウトしていた。


「みっこはインテリアのセンス、いいわね~」

「ありがと。みんなお気に入りの家具なの」

みっこはちょっと恥ずかしげに答える。

「他の部屋も、見ていい?」

「いいわよ。あたしその間にお茶入れてるから。さつきはコーヒー? 紅茶?」

「ん~。じゃあ、紅茶」

「やっぱりマドレーヌに合うのは紅茶よね。『FAUCHON』のアールグレイがあるのよ」

キッチンの棚から金色に輝く紅茶缶を取り出して、みっこはお茶の支度をはじめる。その間にわたしは廊下に出た。


 玄関を正面に見て、右側のドアを開ける。そこはユーティリティで、その奥はバスルームになっていた。

タオルやボディブラシなどの小物は、全部ロイヤルブルーで統一されていて、棚に置かれたタオルの端が、みんなキチンと揃っているのが気持ちいい。みっこって几帳面だなぁ。


 ユーティリティを出て、向かいにあるもうひとつの部屋は、みっこのプライベートルームだった。

ドアを開けると、ひんやりとした冬の空気が漂ってくる。

部屋に入ったわたしは、まわりを見回しながらゆっくりと歩いた。厚手の絨毯じゅうたんに足音が吸い込まれていく。

この部屋はリビングと違って、シックで落ち着いた印象。

アンティーク調の深い木目のライティングビューローに椅子。ベッド、本棚、電子ピアノ。天井まである折れ戸のクロゼット。

条件反射のように、わたしは本棚に並んだ背表紙のタイトルを眺めた。

ファッション・プレート全集や、服飾事典、『流行通信』『ヴォーグ』といった、ファッション関係の雑誌が、大部分を占めている。

その隅に、日頃見慣れている大学の教科書に、ノート、関連資料本。

だけどそれらは、ファッション系の本に追いやられるように、どこか場違いな感じで、窮屈そう。

そんなみっこの本棚を見て、モデルをめざしていたのに想いを果たせなかった、彼女の『いきさつ』が、漠然と、だけど実感として、伝わってきた。


みっこが今、いるべき場所は、ここじゃない。

彼女には、わたしと同じ大学に通うよりも、他にやることがあるんじゃないかな…


『モデルにはならない』と言いながらも、いまだに並べられているファッションの本と、そのとなりで居心地悪そうにしている大学の教科書を交互に見ながら、そんな想いがわたしの胸の中にとめどなくわきあがり、複雑な気持ちになってくる。

「世の中って、うまくいかないのね…」

そんなひとりごとを言いながら、わたしはみっこの机に目をやった。

猫足のライティングビューローの上には、スチール製のペン立てと、ふたつのフォトスタンド。それに象眼がほどこされた、古いオルゴールのジュエルケースだけが置いてあった。

『1912 Made in England』と刻まれたそのオルゴールは、長い年月に磨かれた光沢が、蓋に嵌め込まれた貝殻のかけらとあいまって、鈍く輝いていた。

四隅の飾りは、女性が横たわったアールヌーボー調の彫刻。

蓋を開けると、オルゴール独特のはじけるような、もの哀しい澄んだ金属音が、チャイコフスキーの『眠れる森の美女』を奏ではじめた。しばらくの間、わたしはその旋律に、うっとりと聴き入った。


 そうしながら、わたしはなにげなく、机の上のフォトスタンドに目をやった。

せかけた蒼色のフォトグラフと、鮮やかな新しいプリントが対称的な、ふたつのフォトスタンドが並んでいる。

古いフォトスタンドは、椅子に座った男性とそのとなりに立つ女性。そして、彼のひざに抱かれて、オルゴールを持っている少女が写っている写真が入っていた。

ああ。これはみっこの家族ね。

四十がらみのお父さんは、ちょっとおなかが出ていて貫禄あるけど、めがねをかけた目元が聡明そうで、顔立ちも鼻筋がくっきりと通っていて、なかなか渋くて魅力的。

守るようにみっこを抱いている大きな手は、ほんとに娘のことを大事にしているって感じで、とっても愛に溢れている。

一方のお母さんは、パパよりひと回りくらいは年が離れているらしく、若くてすばらしく綺麗な女性。

いかにも『モデル』という感じで、背が高くて脚が長く、キリリとした目元や唇に、みっこが言うような意志の強さを感じる。

やっぱりみっこはママ似だ。

みっこもあと10年もすれば、こんな感じになるのかなぁ。

なんだか、未来の彼女を見てしまったようで、わたしはひとりでクスクス笑った。

そして、3歳くらいの森田美湖は、天使と見違えるほどの美少女だった。

瞳がぱっちりとして黒目が大きく、睫毛が長く反っていて、信じられないくらいの可愛らしさ。

ほっぺたなんかぷくぷくしていて、まるでマシュマロのよう。クルクルと巻いた長い髪に、レースで縁どりされたボンネットをかぶり、ペチコートたっぷりのドレスを着て、ジュモーかアンドレ・テュイエのアンティーク・ドールみたい。

以前、由貴さんから見せてもらった広告写真でもそうだったけど、絵から抜け出たほどの美しい姿を見ていると、森田美湖は、わたしとは違う世界で生きている女の子かもしれないなと、ちょっぴり切なくなってしまう。


そんなことを漠然と考えながら、もう一枚の写真の入ったフォトスタンドに視線を移した瞬間、わたしははっと目を見張り、思わずスタンドを手に取った。

その写真は、青い海と空をバックにした、ふたりの女の子が並んで写っているものだった。


そう。

今年の夏。

みっこと海に遊びに行ったときに、ふたりでふざけながら撮った写真。

強い日射しに深い影を刻みながら、みっこに肩を抱かれ、カメラにピースしている、わたし。


胸がジンと熱くなる。

なぜ、こんな気持ちになるんだろう?

きっと、彼女の心の中に、はじめて自分の存在を見つけることができたから?

そんな気がしたから…


「さつき~。紅茶が入ったわよ」

そのとき、リビングから、わたしを呼ぶみっこの声がした。

「う、うん。すぐ行く!」

返事をしてフォトスタンドを机に戻すと、わたしはみっこの部屋をあとにした。


つづく

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