Vol.10 Invitation
Invitation 1
まるで12月らしくない、さわやかな朝だった。
昨日までの重たい鉛色の景色は、綺麗にぬぐい去られ、軽やかな青い日射しの中に、冷たい空気がピンと張りつめてすがすがしく、心が洗われるようなお天気。
そんな土曜日のデートは、私鉄の小さな駅の前で、11時に待ち合わせ。
だけど、今日の相手は川島君じゃなく、森田美湖だった。
昨夜のディスコでのできごとは、今でもわたしの心の底に、モヤモヤしたものを残していた。
せっかくのみっこの19歳の誕生日だったというのに、わたしはなにもしてあげられなくて、それがたまらなく残念。
だからせめて今日一日は、みっこと楽しく過ごしたい。
わたしはいつまでも、彼女と友だちでいたいもの。
待ち合わせの駅に着いたときには、11時を少し回っていた。
みっこはもう来ていた。
ゴワゴワした大きめの革ジャンを羽織り、ボトムは洗いざらしのぴっちりしたチャコールグレーのジーンズ。ジャンパーの裾からちらりと見えるオーキッドピンクのセーターが、女の子らしさをアピールしていて印象的。ストレートの髪を頭のうしろでキュッと結んだラフな格好で、いつもの彼女のイメージとはちょっと違ったスタイルだった。
駅舎の横のテレフォンボックスにもたれかかり、心なしか寂しげな様子で、みっこはぼんやりと空を見上げている。改札を出たわたしは、遠くから呼びかけた。
「みっこ! 待ったぁ?」
駆け寄ったわたしを見て表情がぱっと明るくなり、みっこはやわらかく微笑んだ。
「少しね。でも今日はお天気がいいから、気持ちよかったわ」
「ごめんね。ちょっと買い物してて、遅れちゃった」
「なにを買ったの?」
「えへへへ…」
ピンクのリボンのかかった小箱が入った紙袋を、わたしは差し出した。みっこは不思議そうに、わたしと紙袋を交互に見た。
「はい。誕生日のプレゼント。わたし昨日は、なにもしてあげられなかったから」
「わぁ! ありがとうさつき。嬉しい!」
わたしからのプレゼントを胸に抱いて、みっこはニッコリ微笑む。
「あら? このプレゼント。なんだかいい香りがする」
「買ったものだけじゃ物足りない気がして、今朝マドレーヌを焼いて、それも入ってるの」
「わぁ。すごい! とってもおいしそう!」
「よかった。喜んでもらえて」
「マドレーヌ、大好きなの。匂いをかいだら、おなかがすいちゃった」
みっこは気持ちよさそうに目をつぶって、しばらく甘い香りにひたっていたが,ふと思いついたように瞳を輝かせた。
「ねえ、さつき。今からあたしのうちに来ない?」
「え。みっこのうち? いいの?」
「もちろんよ。このマドレーヌでお茶会しようよ」
「いいわね! 賛成!」
わたしがそう言うと、みっこは明るくうなずいた。
そう言えば、わたしはまだ、みっこの家には行ったことがない。
ひとり暮らしというのは聞いていたが、会うときはいつも外でだったし、特に招待もされなかったので、興味はあったものの、自分から『遊びに行ってもいい?』とは、切り出せなかった。
「着いたわ」
待ち合わせをした私鉄の駅から、バスで3分。なだらかな丘になった閑静な住宅街に、みっこの住む10階建てくらいのマンションがあった。
バッグから『MIKKO』のネーム入りのキーホルダーがついた鍵を取り出しながら、彼女は煉瓦づくりのポーチを抜けて、吹き抜けのエントランスに入っていく。
「すごいじゃない。みっこってこんな素敵なとこに住んでたの?!』
思わず興奮して、声をあげた。
わたしの家の古ぼけた二階建ての日本家屋と違って、とってもお洒落で、高級そうなマンション。
エントランスの横に面した、大きなガラス張りの広い部屋は、プールとダンススタジオになっている。その回りを囲むのは、煉瓦の外壁と、シックな街灯。
「マンションにプールとかスタジオとかあるなんて、すごいわね~」
「1階はカルチャーセンターも兼ねてるのよ。スタジオでも時々、ジャズダンスやエアロビクスのレッスンをやってるし、マンションの住人は管理人さんに言えば、どちらも自由に使えるの」
自分の部屋のポストをチラリと覗きながら答えたみっこは、風除け室のテンキーを押した。
「わ。これって、
「パパがね…」
「え?」
天井まである木製の大きなドアを開けると、みっこはわたしを招き入れ、奥のエレベーターに向かいながら、話を続けた。
「西蘭女子大進学に、両親が大反対だったってことは、前にも話したでしょ」
「うん。それは聞いた」
「それはもう、激しくやりあったのよ。
それでママは、『そんなに大学に行きたいのなら、自分のお金で行きなさい。家からは1円も出しません』って言うから、あたしは自分の貯金崩したり、アルバイトをしたりして、学費や生活費にあてるつもりにしてたの。だから最初は、学校の寮に入るつもりだったのよ」
「へえ。お母さん厳しい~。みっこも意地になってたのね」
「そう。だけど実際に、あたしが入学の手続きとか荷造りとかはじめると、ふたりとも慌てちゃって。それでパパが、『四年間もひとり暮らしするのなら』って、このマンションを探してくれて、ママに内緒で仕送りもしてくれてるの」
「わぁ~。優しいお父さんね!」
「ふふ。なんだか『パパの囲われ女』みたいでしょ。おかげでバイトしなくてすんじゃった」
「よかったわね~。しかも、スタジオまで付いてるのなら、ダンスが好きなみっこにとって、理想的なんじゃない?」
「ふふ。パパも意外と策士よね」
「どうして?」
「きっと、いつでもダンスやモデルのレッスンできるように、モデルに復帰しても困らないようにって、ここを選んだのがバレバレ。
だけど、結果的にはよかったって思えるのよ。強制されるのはイヤだけど、完全に離れちゃうと、なんだか寂しくって。
やっぱりあたしって、根っからダンスは好きみたい。パパはよくわかってるわ」
「わぁ~。いいパパね。それで、お母さんとは、どうなの?」
「う~ん… そっちはうまくいってないわね~」
「え? そうなの?」
「でもね… やっぱり気にしてはくれてるみたい。このマンション買うのにも、ママは反対しなかったらしいし、パパが内緒で仕送りしていることも、知ってて黙ってるみたいだし。
時々、生活用品とかお洋服とかをパパが送ってくれることがあるけど、あきらかに『ママチョイスでしょ』ってものが入ってるし」
「じゃあ、よかったじゃない。みっこの生活も認めてもらえたってことじゃない?」
「ふふ。そんな簡単じゃないわ。あの人、とっても強情で、自分が決めたことを変えたがらないし、絶対自分の方から折れたりしないから。
今でも、たまに家に電話しても文句ばかりだし、美容のチェックは厳しいし、いろんなオーディション探してきては、『受けなさい』って、うるさいのよ」
「あは。なんだかみっこそっくり。みっこって、母親似なのね」
「え~… そうかなぁ。やだなぁ~」
エレベーターで7階まで上がって、部屋に着くまで、彼女はずっとパパやママのことを話してくれた。
興味を持ってみっこの話を聞く一方で、彼女がこんなにも
昨日までのみっこは、親しく話をしているようでも、どこか殻に閉じこもっていて、チェーンのかかったドア越しに話しているように感じることがあったけど、今日のみっこにはそんな隔たりがない。
昨夜の『Moulin Rouge』でのできごとは、重たい鉛色だったみっこの心を、綺麗に拭い去ってくれたのかもしれない。
つづく
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