Moulin Rouge 6
今はみんな沈黙している。
激しいディスコ・ミュージックの旋律も、レーザーのイリュミネーションも、ステージの
わたしたちみんなの視線を背負いながら、みっこはゆっくりかがんでポーチを拾った。
「お久し振りです。あなたこそお元気そうで、なによりです」
相手の顔も見ずに、みっこはやけに
がしかし、『彼』はそんなみっこの気持ちなんて、すっかり見透かしている様子。
「しばらくお会いしない間に、また一段とお嬢様っぷりに磨きをかけられ、恐悦至極に存じ上げますよ。ぼくは今春から福岡に転勤になってね。週末は気晴らしにここに来ることがあるんだ。君もぼくに会いたいときは来るといいよ。まあ、ここは『思い出の場所』だしね」
「…」
『彼』の台詞なんて耳に入らないといった様子で、みっこはパンパンとポーチの埃を払う。
いったいこの人はだれ?
親しげな口のきき方といい、みっこの普通じゃない驚き方といい…
わたしは直感的に『別れた恋人』だと感じた。
背中を『彼』に向けて、視線を床に落としたまま、みっこは
「ふざけないで。どうせ、女連れでしょ」
「それはそうだ。ディスコなんて、彼女と来た方が楽しいからね」
「…」
「まったく奇遇だな。あれからちょうど一年。君も新しい彼氏でも、できたかい?」
「…」
「なんてったって、君は『スーパーモデル』だから、モテて当然だろ」
からかうように言った彼を、みっこは振り返って厳しく睨むと、挑むような口調で言った。
「あなたの彼女。当然あたしなんかより綺麗なんでしょ!」
わあ。すごいイヤミな言い方。
わたし、みっこの皮肉や毒舌もいろいろ聞いてきたけど、こんなに露骨で挑戦的なのははじめて。
だけど『彼』は、そんなみっこの挑発も、涼しい顔で受け流すように言う。
「そういうのは、『負け犬の遠吠え』って言うんだよ」
「なんですって」
「君より綺麗かどうかは、自分で判断すればいいさ。さあおいで、紹介するよ」
「けっこうよ! そんなもの、見たくもないわっ!」
二の腕を掴もうとした彼の手を思いっきり払いのけて、みっこは声を荒げた。
その顔は、まるで
こんなに緊張したみっこは、今まで見たこともない。
「あ、あの… みっこ。そちらは…」
「え…? あ、ああ…」
わたしの呼びかけに『救われた』というように、ほっとため息をついたみっこは、気を取り直して、わたしたちに『彼』を紹介してくれた。
「この人、藍沢直樹さん。あたしの… 古い知り合いなの」
「はっきり言ってもかまわないだろ。『元恋人』だって」
藍沢直樹氏はそう言って、意地悪くみっこに微笑みかけた。
やっぱり。
直感は当たってた。
彼の言葉に知らないふりをして、みっこはわたしを紹介する。
「…藍沢さん。彼女はあたしの友だちで、弥生さつきさん」
「よろしく」
藍沢氏は微笑みながら、右手を差し出す。
みっこはわたしに耳打ちした。
「気をつけてさつき。この人かなりの遊び人だから」
「みっこ程じゃないですけどね」
藍沢氏はわたしの手をとって、微笑む。みっこの皮肉にまったく動じることのない、不敵な微笑み。さすがのみっこも、藍沢氏には敵わないという感じ。
「…こちらは、さつきの彼氏の川島君」
気を取り直して、みっこは紹介を続ける。
「そして彼が、あたしの… 恋人の、羽賀君」
その言葉に、一瞬、藍沢氏の眉がピクリと反応した。
それでも彼は、なんでもないかのように挨拶を交わし、そのままわたしたちのボックスのソファに腰をおろして、みんなとの会話に入ってしまった。
「Moulin Rougeって、なんだか知っていますか?」
ソファで脚を組み、グラスを揺らしながら、わたしたちに語りかけてくる藍沢さん。そんなキザな仕草がサマになっているのは、年齢を重ねた大人の魅力と、端正な顔立ちのおかげかもしれない。
「確か、パリのキャバレーの名前だったと思うけど…」
川島君が答えると、彼はニコリと微笑んだ。
「そう。ベル・エポックの時代に流行った、パルの名前。『赤い風車』って意味だそうですよ。
ほら、パリの観光写真でよく見かける、ピカピカ光った風車の建物。もう100年も前からカンカン踊りをやってる、パリの名所ですよ」
「あ。わたしその頃のロートレックとかミュシャのポスター、好きです。確か、ムーランルージュも出てきたと思います」
「ロートレックは娼婦や踊り子のような夜の女を愛して,ムーランルージュに入り浸って、彼女らを描いていましたからね。ミュシャの民族愛に溢れた生き方とはだいぶ違うけど、どちらもアールヌーボーを代表する巨匠ですね。ぼくもミュシャが好きで、部屋には『スラーヴィア』のレプリカを飾ってますよ」
「『スラーヴィア』いいですね~。わたしも画集で見たとき、たっぷり10分くらい見惚れてました」
「へえ。さつきさんとは趣味が合いますね。川島君はどんな絵が好きですか?」
「ぼくはアールヌーボーより、印象派の方が好みです」
「ああ。ドガやルノアールみたいな? いいですよね」
そう言って藍沢氏は、川島君に微笑みながらグラスを差し出す。その言葉に少し打ち解けたのか、川島君はグラスを受け取り、口元をゆるめて言った。
「ええ。ぼくはドガの踊り子シリーズとか好きなんです。高校で美術部にいたときは、何度か模写しました」
「すごいな。あんな難しい絵を?」
「あはは… もちろん、ドガの足許にも及ばなかったですけどね」
「わたしもルノアールは好きよ。今度、大濠美術館で『印象派展』があるでしょ。みんなで見に行かない? ね、川島君。みっこに芳賀さん」
「いいね」
「ん…」
「俺、絵にはあまり興味はないな」
川島君はうなずいてくれたけど、みっこはそっぽを向いてしまうし、芳賀さんはまったく気のない様子。少し白けかけた雰囲気を盛り上げるかのように、藍沢氏は明るく喋りはじめた。
「それは楽しそうですね。じゃあ、これ使って下さい」
彼はスーツの内ポケットから財布を取り出すと、中から数枚のチケットを、わたしたちに差し出す。
「今度の『印象派展』の招待券ですよ」
「でも…」
戸惑う川島君に、藍沢氏は明るい調子で続ける。
「心配ないですよ。ぼくの会社で今、得意先に配っているものだから。いつもたくさん回ってくるので、いくらでも使って下さい」
「どうもありがとうございます」
川島君がお礼を言って受け取ると、藍沢氏はニッコリ微笑んだ。
う~ん…
さっきから感じているんだけど、藍沢氏の微笑み方って、どことなくみっこの印象と重なってしまうのよね。
つづく
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