Moulin Rouge 5
5・6曲続けて踊ったふたりは、はぁはぁと息をはずませながら、ボックスに戻ってきた。
「最高!」
みっこはソファーに埋もれると、そう言ってひといきにハイ・ボールを飲み干し、芳賀さんはそのとなりで、『LARK』の箱をポケットから取り出した。
「みっこ。すっごいよかったわよ。ふたりとも息がぴったり合ってたし」
「ランバダってテレビでは見たことあるけど、生だと余計に迫力あるというか、悩ましすぎるダンスだな。森田さん、感動したよ」
わたしと川島君は、口々に感想を述べた。
「ありがと」
「あたりまえさ。みっこと俺は、ジャズダンスのチームメイトだからな」
「えっ。みっこはバレエの他にジャズダンスまでやってたの? わたし全然知らなかった」
「だろ。こいつ、秘密主義なとこあるんだよな。まぁ、そこがミステリアスで、魅力でもあるんだけどな」
みっこはソファーからいきなり身を起こすと、火をつけたばかりの芳賀さんの『LARK』をつまみ取った。
「あたしの前でタバコ吸わないでって、こないだ言ったでしょ」
『LARK』を灰皿でもみ消しながら、みっこは続けた。
「そうよ、チームメイト。でもあなたのダンスは、まだまだヘタクソよ」
みっこはそう言って芳賀さんをからかったが、川島君の台詞もあって、そのときのみっこの彼を見る目が、わたしにもとても冷たく感じられてしまった。
「そりゃ、おまえから見れば俺達全員、まだまだドシロウトさ」
「技術もだけど、芳賀くんって、いっしょに踊ってると『照れ』が見え隠れするのよね。特にランバダみたいなラテン系のダンスって、自分に酔うことが大事よ。ホールドしてる相手が照れてると、こっちまで恥ずかしくなってしまうんだから」
「ああ。悪りぃ。でも、おまえの柔肌が腕に絡みついてくると、だれだって意識しちまうぜ」
「もうっ。だからダンスのときは、そんなこと考えないでくれる?」
「あ、ああ…」
「あの… みっこと芳賀さんは、いつからいっしょに踊ってるの?」
わたしが横から口をはさむと、助かったとばかりに、芳賀さんが答えてくれた。
「今年の夏くらいかな? タウン誌にメンバー募集の公告を出したら、こいつが来たんだけど、いきなり最初からすごいテクニックで踊ってくれてさ。俺たちメンバーを、全員みじめな気分にしてくれたってわけさ」
「あたし、ジャズダンスはそんなに経験ないのよ。あのくらいの踊りでみじめになってるようじゃ、プロになんかなれないわよ」
「バカ言うなよ。おまえくらいスタイルと顔がよくて、踊りの上手い女なんて、プロのダンサーにだってそういないぜ。俺が惚れてしまうのも、無理ないだろ」
「…」
芳賀さんの言葉に瞳を閉じ、めまいを抑えるかのように、みっこはソファーに身を沈めていた。
そうか。
少なくとも芳賀さんは、みっこのことが好きなのね。
「みっこ。おまえが俺たちのチームに入ってきたのは、俺にとって運命だったんだ。
おまえとこうやって踊れるようになって、俺は最高に幸せなんだよ」
いきなり『ラテン男』に変身した芳賀さんは、みっこの肩に腕を回し、耳もとに顔を寄せて、恥ずかしげもなく愛の言葉を、熱くささやきはじめた。
「俺ももっと、おまえにふさわしい男になるからさ。いっしょにプロのダンサー目指そうぜ」
「あたしはプロになんか、なるつもりないわ」
みっこはむきになって、身をよじって芳賀さんを拒む。
「相変わらずつれないな。だけど俺は、おまえのそんなクールなところにも、惚れてるんだぜ」
「もうっ。恥ずかしいじゃない。そういう話は、ふたりっきりのときにするものよ」
そうたしなめて、みっこは肩に回された芳賀さんの腕を、ぎゅっとつねる。『つっ』と声を漏らした芳賀さんは、バツが悪そうにみっこから腕をどけると、取り繕うように上着のポケットを探った。
「ダンスのとき以外はあまりベタベタしないで。それからタバコ! やめてって言ってるのがわかんないのっ?」
芳賀さんがポケットから取り出した『LARK』を、みっこは箱ごとひったくって、フロアの方に投げ捨てた。
「みっこ!」
わたしは思わず叫んだ。
「あ…」
さすがのみっこも、うかつに見せた自分の失態に、一瞬沈黙した。
が、すぐさまいつもの笑顔に戻ると、わたしたちのグラスを集めて、にこやかに言った。
「ごめんね芳賀くん。あたし… 踊ったらいっぺんにラリっちゃって… つい興奮しちゃったみたい。芳賀くんは、あたしの大切なダンス仲間よ」
明るく取り繕い、みっこはみんなに微笑みを振りまいた。
「さ。飲も! あたし、作れるカクテルあるのよ。さつき、そっちのウイスキー取って」
わざとらしいくらい陽気にはしゃぎながら、みっこはわたしからウイスキーの瓶を受け取り、蓋を開ける。
『HAIG』にベルモットを三分の一。アンゴスチュラを数滴たらして、マドラーでかきまぜて…
だけど、グラスを見つめる彼女の瞳は虚ろで、どこか暗い
今日のみっこは、おかしい。
まるで深い
そんなことをわたしが思っているとき、みっこはマドラーを持つ手を気だるそうに止めて、できたばかりのカクテルを、アイスバケットに流してしまった。
そして、『ふぅ』とためいきを漏らすと、長い睫毛を伏せながら、眉間にしわを寄せた。
「気が滅入るの、わかってて、どうして来ちゃったんだろ…」
それは聞き取れるか取れないかくらいの、ほんとにか細いささやき。
ディスコの強烈なサウンドに掻き消されて、きっと川島君にも芳賀さんにも、聞こえていない。
だけどわたしには、はっきりそう聞こえてしまった。
「…みっこ?」
みっこが今にも消えてなくなりそうで、わたしは不安になる。
「…あ。いや~ね! あたしったらカクテル作るの、ちょっと失敗しちゃって… 久しぶりだからかな。これ作るの。あはっ。はははは…」
気分を変えるかのようにそう言って、みっこははしゃいでみせる。
だけどそんな演技さえ途中で投げ出し、突然“カタン”とマドラーを置いて、素早く立ち上がった。
「みっこ?」
「お化粧直し」
早口でそう言い捨てると、みっこは席を離れようとした。
しかしその刹那、わたしにははっきりと見えた。
彼女がいつも隠して見せまいとしている、深い哀しみの表情を…
「みっこ? みっこじゃないか! 久し振り。元気だった?」
そのときだった。
『彼』が現れたのは…
ドレッシングルームへ向かいかけたみっこは、振り向きざまに相手を認めると、思わず立ち止まった。
凍りついたように立ちすくむ彼女の顔から、さっと血の気が失せる。
わたしは声をかけた人を振り返った。
そこには25・6歳くらいの背の高い、仕立てのいいスーツを着た落ち着いた感じの、容姿の整った男性が立っていた。
“パサッ”
手にしていたみっこのポーチが、無情にフロアに転がった。
つづく
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