Vol.2 Fashion Plate

Fashion Plate 1


 今日は朝から雨が降っている。

秋の気配が漂う、少し肌寒い午後。

水着の日焼けのあとが、ひと夏の思い出を語っている。

学校の課題をすませ、部屋の片づけも終わってしまったわたしは、することもなく椅子にもたれかかって、ぼんやり窓に映る雨だれを見ていた。


なんにも変わらないよどんだ時間。

わたしは壁一面に作り付けられた本棚から、ヤーコブレフの『美人ごっこ』を取り出した。

お話が雨の情景で盛り上がってるからかな?

雨の日にはこの本が読みたくなる。




「かあさん、美人ごっこをしましょうよ」

「ばかばかしい!」

「いやよ、やるのよ。わたしが教えてあげるわ。わたしの言う事をよく聞いてね」

ニンカは、かあさんの手をしっかりにぎると、そっとそばに寄り、あのよそ者が来るまで、ぼくたちがニンカに捧げていたいつもの言葉を、ひと息に言いはじめた。

「かあさん、かあさんの首は白鳥の首。大きなひとみは青い海。かあさんの髪は金の巻毛。唇はさんご…」

雨は真っ暗闇の中の、見えない黒雲から、降り続けていた。足もとには冷たい海がひろがり、街のとたん屋根が、がたがたと音をたてていた。だが、うなる風や、秋の終わりの刺すような寒さを突き抜け、ふたりの不幸をなぐさめる言葉が、生き生きとあたたかい流れになって流れていた。

「かあさんの肌は、しゅすの肌。黒豹のように黒い眉。歯は真っ白な真珠の歯」


               <ヤーコブレフ 『美人ごっこ』より>




 人はどうして、外見に惑わされるのだろう?

女の子にとって『美しさ』って、どのくらい大事なものなんだろう?

ヒロインのニンカは容姿は醜いんだけど、とても心が暖かい。だけど男の子たちは、彼女を『ブス』と言って、バカにする。

男にとって、女性の評価の基準って、美醜だけなの?

ただの「きれいな飾り物」しか、必要としてないの?

フランス語じゃ「人間」(I’homme)と「男」(I’homme)は同じ言葉。イヴアダムの肋骨から作られた、男の従属物扱い…


文庫本のページをめくりながら、わたしは本の内容とは違うことを、漠然と考えていた。


「内助の功」

「良妻賢母」

「幼にしては父兄に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従え」


男たちの作った常識の壁は、高くて厚い。

社会は、男中心の倫理観で回っている。

そんなことを考えているうちに、わたしは森田美湖のことを連想した。

みっこは、男の言いなりになりたくない女の子だった。

あれから何度、先日のバカンスでのできことを、わたしは振り返って考えてみただろうか。

女の子を外見だけで判断して、ナンパしてくる男たち。

自分の性欲を満たすためだけの、道具扱いしてくる男たち。

彼女もそういうのに、憤りを感じているんだと思う。

もちろんみっこの場合は、容姿が醜いってわけじゃない。

でも、美しすぎるというのも、それはそれで判断を狂わす原因にもなる。


どうして女って、性格よりもまず、容姿を評価されるんだろう。

新聞や雑誌の記事なんかではよく、『美人OL』とか『美人医師』とかの表現を見るけど、『美男子サラリーマン』なんて見たことがない。

犯罪に巻き込まれた女性にしても、まずは容姿の表現からはじまる。

わたし,女に生まれて損しちゃったのかな?

わたしなんか、どう見ても美人じゃないし、かといって、生涯の仕事にできるような才能があるかどうか、わからない。

わたしの行く先には、今日の天気みたいな黒雲が立ちこめていて、向こうが見えてこない。



「うーん。雨のせいで思考がスリップしちゃってるな~」

ひとりごとを言うと、わたしは文庫本を伏せて立ち上がった。

今日はあまり落ち込みたくないんだ。

だってわたしの19回目の誕生日なんだもの。

部屋を出たわたしは、玄関の電話の受話器をとって、森田美湖のナンバーを押した。

みっことは半月くらい会ってない。

彼女に会いたい。

あの子ならきっと、わたしのこの澱んだ思考を、さらさらと流してくれるに違いない。


RRRRR… RRRRR… RRR…


5回。10回。

ため息ついて、わたしは受話器を置いた。

『もうすぐ誕生日でしょ。電話するね』ってみっこは言ってたけど、いつまで待っても電話は鳴らない。

忘れちゃってるのかなぁ。

なんだか落ち込む。

なにもかも上手くいかない日って、あるよね。

仕方なくわたしは部屋に戻ってベッドに転がり、ポテトチップをパリパリつまみながら、読書の続きをした。



 『かなりやは悲しそうに鳴く』を読んでいたとき,玄関のチャイムがなった。

「お久し振り。元気だった?」

ドアを開けると、そこにはみっこが立っていた。

小花模様のビスチェにキャミソールを重ね着し、ひだがたっぷりの真っ白なスカートをはいて、わたしにニッコリ微笑みかける。

雨降りの憂鬱ゆううつをすっかり払ってくれるような、爽やかなファッションと、素敵な微笑みだった。

「どっ、どうしたの? 電話するって…」

「ふふ。いきなり来ちゃった」

「いなかったら、どうするつもりだったの?」

「会えるまで待ってる、なんてね」

そう言って、おちゃめにウインクしてみせる。

「あは。嬉しいわ! どうぞ上がって」

「ええ。お邪魔します」

「お茶いれるね」

突然の訪問にびっくりしつつ、彼女を自分の部屋に通すと、わたしはキッチンに立った。

なんだかウキウキしてしまったものだから、ダージリンにお父さんのブランデーをちょっと失敬して入れてみる。


「お待たせ」

トレイにティーカップをふたつ並べ、わたしは部屋に戻った。

「ありがと。ん、おいしい。スピリッツ・ティーにしたのね」

彼女はカップにくちづけて微笑むと、わたしの部屋をぐるりと見渡した。

「すごいのね。『読書が趣味』って言ってたけど、さつきはここにある本、全部読んでるの?

軽く千冊はあるんじゃない?」

壁一面に並んだ大きな二重書架を見渡し、みっこは驚きながら言った。

「買ったまま並べてる本もあるけどね。でも読書はわたしにとって、趣味と実益を兼ねているの」

「ふうん…」

感心するようにわたしと本棚を何度も見返しながら、みっこはうなずいた。



 わたし、物語が好き。

日本文学でも西洋文学でも、時代物でもSFでも… 文字があると、つい読んじゃう。

電車に乗ってても、中吊りの広告や路線図なんかを隅から隅まで全部読んでしまうという、いわゆる『活字中毒』ってやつ。


そもそもわたしが今の西蘭女子大学に進学したのも、わたしの尊敬する、西田潤一郎って教授がいるからなんだ。その教授の講義を受けたくて、わたしはこの学校しか目に入らなかった。

そして、ただ漠然と好きで国文科に入って、なんとなく小説家に憧れていたわたしの目を醒してくれたのは、その西田教授との邂逅かいこうだった。

初めての講義の冒頭で、教授のおっしゃった文学の心得のお話は、今でも耳の奥底に残っている。


「わたしの友人に書道の先生がいてね。いつかわたしは彼に質問したんだ。『書道家なんて特別な才能がないとなれないだろう』ってね。すると彼は『誰だって字を書くじゃないか』と答えた。なるほど、字さえ書ければそれを芸術にまで高める道は、誰にだってひらけるわけだ。

ところで諸君らも、文学は『特別な才能を持った、選ばれた人間の芸術』だと思ってるんじゃないかな? でもそれはわたしの書道の認識と同じで、思い違いだ。字を書くのと同じように、『小説を書く心』は、誰でも持っている。

例えば諸君らは、この学校に合格した時、どんな感情を抱いたかね?

嬉しいと心から感じた人。ほっと安心した人。中には希望の学校じゃなくて、不満や疑問を感じた人もいるかもしれない。その感情こそが、『小説を書く心』なんだよ。

大学合格という客観的事実を、諸君らがどう受け止めて感じ、行動するか。それを具体的に文章で表せば、それはもう立派な小説だ。

つまり文学とは、自己の経験、感情、哲学を投影させた、事実の再構成ということに他ならないんだね」

教授の口調は、ひとりひとりにやさしく語りかけるようで、それでいて熱がこもっていて、わたしの心を揺り動かした。

あの日から4ヶ月。

その間に『短い小説を書いてみよう』なんてユニークな課題も出されて、創作するおもしろさを知ったわたしは、自分の将来に、本気で小説家を描いてみるようになった。


「ねえ、さつき。あたしこれからお買い物に行こうと思うんだけど、よかったらつきあってくれない?」

ティーカップをトレイに戻して、みっこが言った。

「え? いいわよ。なに買うの?」

「お洋服」

そう言って彼女は立ち上がった。


つづく

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