Fashion Plate 2

 雨はいつの間にか、やんでいた。

水に洗われてポタポタと透明の雫を落とす街路樹と、雲の間からのぞく青空と、それを映し出す水たまり。そんな舗道に波紋を作りながら、わたしとみっこは歩いていた。

「ねえ。みっこはどうして、西蘭女子大を選んだの?」

自分の進学の動機を思い出しながら、わたしはみっこに訊いてみた。

「あたしは、そうね… さつきはどうしてなの?」

「わたし?」

「あれだけたくさんの本を読んでるんだし、なにか目的があるのかなって」

「そうね。目標、できたかな?」

「どんな?」

みっこに訊かれるまま、わたしは西田教授のこと、小説への想いを語る。そしてこれから計画していることを、みっこに打ち明けた。

「十月から九州文化センターで、新聞社主催の小説講座が開かれるの。半年の受講で毎週金曜日の6時半から8時半。わたし、ここに通うことにしたんだ」

「へえ。もう着実に夢に向かって走りはじめてるのね」

「そうなの。やっぱり同じ様に、小説家目指してる仲間がいた方が楽しいだろうし。

でもこの講座のいちばんの魅力は、半年ごとに作品コンクールがあって、そこでいい成績とれれば、その新聞社が出版している文学雑誌で、デビューできるってとこなの!

そうすれば作家として認められるし、前途が大きく開けるって夢が持てるのよ」

「じゃあ、さつきは作家のたまごってわけか」

「でも、入賞なんて難しいんだろうな。経験ある人も来るだろうし。最終選考に残るだけでも上出来かも…」

「そう?」

「小説家なんて、なろうと思ってなれるもんじゃないだろうし…」

「でも。なろうと思わなきゃ、なれないんじゃないの?」

わたしを見つめ、みっこはニッコリと微笑む。

その笑顔を見ていると、なんだか元気が湧いてくる。

「そうよね。なにかを夢見て、自分を試してみるのはいいことよね。わたし、本当に物語りが好きなんだ。

たとえプロの小説家になれなくても、わたしは一生お話しを書いていたい。それが『弥生さつき』って人間が存在している理由なんだって、思うときもある。えへ。大袈裟かな」

「ううん。でも… うらやましい。

そんなに打ち込めるものが、あなたには見えてて…」


ふと立ち止まり、雨に濡れたはっぱがキラキラと陽をはじいているポプラの樹を、みっこは眩しそうに見上げ、つぶやいた。

「あたし… 今はまだ、なんにも見えない」

彼女は視線を落とす。心なしか曇った表情。

「みっこは将来、なにになりたいの?」

「あたし…」

しばらく口をつぐんで、みっこは逆にわたしに訊ねた。

「さつきはあたしが、なにになればいいと思う?」

「え? わたしは… そうねぇ。

だいいちわたし、みっこのことまだよく知らないもの。あなたがなにが好きでなにが嫌いで、なにが得意なのかとか…」

「ふふ。あたしが好きなのはピアノを弾くことと、踊ること。嫌いなのは学校の勉強。得意は洋服選びよ。さ、行こ! この先にあたしのお気に入りのブティックがあるの」

かすかにのぞいた心のかげりを払いのけるように、みっこはクルリと綺麗なターンを描いて歩きはじめた。フレアーのロングスカートがふわりと綺麗に舞い上がる。

みっこの歩き方は、とても綺麗。

腰から振り出す脚は、つま先が少し外を向き、後ろに残した脚のひざが、一瞬ピンと伸びる。

腰は左右に揺れて、スカートの裾がひらめくけど、上体は背中をシャキッと伸ばして胸を張ったまま、少しも揺れない。

それは、モンローウォークみたいな媚びたお色気じゃない、凛とした清楚な色香。

この子って、ただ外見が綺麗なだけじゃないんだな。

ちょっとした身のこなしがとても洗練されていて、印象的なんだ。

まるで、ファッションモデルみたいに…




 みっこが入っていったのは『ブランシュ(Blanche)』と看板の掲げられた、フランス窓のあるアンティークな、いかにもデザイナーズブランドって感じのブティックだった。

店先のワンピースでさえ、3万円以上の値札がついている。奥からはすました感じのマヌカンが、『なにしに来たの』といった顔で、わたしたちを冷ややかに見ている。昔からわたしの興味は本とか料理に向いていて、ファッションにはあまり関心がなく、女磨きは怠りがちだったから、こんな高級そうなお店は敷居が高い。


「みっこって、いつもこういうとこで服買ってるの?」

戸惑って訊くわたしに、みっこは笑いながら答える。

「まさかぁ。こんなとこでいつも買ってちゃ、おこずかいがいくらあっても足りないわよ。ふだんはショッピングモールとかディスカウントショップとかをのぞいてるわ。こまめにいろんなお店を回って、安くていいものを探すようにしてるの。バーゲンにも早起きして出かけるしね」

「そう! わかるわかる! 安くていい服探すのって大変よね~」

「最近は、路地裏のインディーズショップ巡りにはまってるの。まだ無名だけど、おもしろい服作るお店に出会えたら、やったねって感じよ」

「そっかー。でも『プリティウーマン』みたいに、ブランドものの服をポンと大人買いするのなんて、快感だろな~」

「まあね。でもあたしは宝探しの方が、好きかな」

「宝探し?」

「ほしいお洋服をイメージして、脚が棒になるくらい、あちこちのお店を探しまわるの。ものによっては何年も探し続けることだってあるわ。そうやってやっと理想のものを見つけたときは、とっても感動するわよ。宝物を発掘したみたいにね」

「うん、わかる! わたしもレアな本に巡り会ったときは、宝物発掘した気分になるもの」

「そうよね。オシャレって、お金で買える物じゃない」


入口のワンピースから順に眺めていきながら、みっこは訊いてきた。

「さつきは、カラスが舞踏会に行く話、知ってる?」

「えと… いちばん美しい鳥を決める舞踏会が開かれたけど、カラスだけは『真っ黒で醜い』って理由で招かれなくて。でも、どうしても舞踏会に行きたかったカラスは、他の鳥たちが落とした綺麗な羽をまとって参加した、ってお話し?」

「舞踏会で、カラスは『いちばん美しい鳥』だって称えられるけど、他の鳥の羽をまとっているのがバレて、身ぐるみはがれて醜い羽をさらけだすでしょ。わけも分からずに有名ブランドに群がっている人たちって、そんなカラスみたい。

自分じゃ価値の判断ができなくて、みんなが褒めるものを欲しがるのなんて、みっともないだけよ」

「みっこはブランド嫌いなの?」

「そんなことないわ。ブランドものって確かに品質もデザインもよくて、素敵な物もたくさんある。でも、あたしみたいな小娘が、シャネルのスーツ着て、ロレックスの時計はめて、ヴィトンのバッグからグッチの財布出して、親のカードでミンクのコートとか買ってたりしたら、カッコ悪すぎるわ」

「そうよね~。でも世の中バブルのせいかなぁ。最近はそんな女子大生が多いじゃない。

デパートのブランド服売り場で、若い女の子が何十万円もするコートやワンピースをバンバン買いあさってるのなんて、まさに『醜いカラス』ね」

「笑っちゃうわよね。老舗の高級ブランドって、その価値に似合う品格とセンスを身につけなきゃ、持つ資格がないと思うのよ。チャラチャラしたエセお嬢様の見栄で買われるのって、デザイナーやお洋服に対する冒涜ぼうとくだわ」

そう言ってみっこは、つんと鼻をそむけた。

お金にあかせてDCブランドを買いあさる女の子たちを、明らかに軽蔑している様子。

わたしだってそういうのは、自分ができないというやっかみもあって好きになれないけど、みっこからは彼女たちに対する反感以上に、服やファッションに対するポリシーを感じる。

「…カラスもね」

洋服を選ぶ手をとめて、みっこは言った。

「つやつやした漆黒の羽は、とっても綺麗だわ。カラスが、それが自分の個性だと自信を持って舞踏会に行けば、きっと他の鳥たちにも認めてもらえたと思うのよ」

「そうか。おしゃれって、個性の表現なのね」

「だと思う」


そういえばみっこは、学校やちょっとしたショッピングのときは、麻とか綿のジーンズとか、パッと見ふつうっぽい服を着ていることが多い。

なのに、誰とも違う個性が光っている気がするのは、そんな格好の中にもどこか必ず、おしゃれな要素が入っているから。細かいデザインが凝っていたりとか、色と柄の難しい、とても真似できそうもない大胆なコーディネイトを、さらりと取り入れたりしているからだ。

いつかも、講義の空き時間にファンシーショップで買った安いレースの端切れを、ジーンズのスカートにザクザク縫い付けて、綿シャツに合わせて着てたりしたこともあったな。ジーンズとレースの組み合わせなんて考えつかなかったけど、みっこがやるととたんにおしゃれになってしまう。

うちの大学にもそれなりにお嬢様っぽい女の子はいるけど、他の子たちがどんなに高級なブランド服を着てきたって、みっこの方がさりげないけど、ハッと目を惹きつけられるおしゃれをしている。それが森田美湖の個性で、ファッションに対する哲学なのかもしれない。

みっこの羽は人から借りたものじゃなく、自分自身のものなんだ。


彼女からは自分の築いてきたスタイルに対する自信を、いつだって感じられる。

羨ましい。

ちょっとしたことで自信がぐらついて、すぐに不安になってしまうわたしとしては。


つづく

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