PERKY JEAN 5

「放してよっ!」


その時、リンと澄んだ声があたりに響き渡った。

反射的にわたしはみっこを振り返った。

砂浜に座り込んでいるサングラスに向かって、みっこは少し離れて立ち構えている。

「いっ… 今さらカマトトぶるなよ。おまえだって承知でついてきたんだろ」

狼狽ろうばいしたような声で、サングラスはみっこに言った。

突然のことにニキビも思わず手を緩め、声の方を見る。その隙にわたしはニキビの腕をすり抜け、みっこの方にかけ寄った。

「調子にのらないでよね。あたし、承知なんかしてない」

「じゃどうしてオレ達の誘いに乗ったんだ!」

「食事おごってもらうためって、最初に言ったわ」

「6万円もしたんだぞ!」

「あなたが連れてったお店よ」

「じゃ、夜の海が見たいってのは、なんなんだ!」

「見に来ちゃいけないの? ただそれだけよ」

「誘ってたじゃんか!」

「うぬぼれないで」

「そんな勝手なことぬかすな!」

「じゃあどうしてほしいの? 食事のお礼にキスでもセックスでもしてあげればいいわけ? あたしはそんなに安っぽくないわ。バカにしないで!」

サングラスを睨みつけながら、みっこは速い足取りでわたしの方へ歩いてくる。あまりの迫力に気圧けおされたサングラスは、呆然と彼女を見ているだけ。


すごい!


まったく毅然としていて、相手につけいる隙も与えない。

「行きましょ。まったくこの人たち、不愉快だわ」

かけ寄るわたしの手をとって、みっこは憤慨しながら国道に向かって早足で歩いていく。

「おい、待て。待てって言ってんだよ! おまえら! くそっ!」

我に返ったサングラスは、期待を裏切られた怒りと恥をかかされた悔しさで、顔を真っ赤にして追ってくる。ニキビもこちらに走ってきた。やばいよ、やばい!

「み、みっこ。早く逃げよ!」

わたしは彼女をせかした。

凶暴になったふたりに、なにをされるかわからない。

やばいよ!


「ふふ。大丈夫よさつき。ほら」

国道に出たみっこは、微笑んで向こうの明かりに手を振った。

時間待ちしていたバスが来たんだ。海水浴場から!

わたしたちを認めて、バスはスピードを落とした。

「じゃああたしたちはバスで帰るわ。あなたたちも早くクルマに戻った方がいいかもよ。あたしすぐ戻るつもりで、窓もドアも開けたままにしてきたから。あんなカッコいいクルマだし、荒らされたりしたら大変だものね」

わたしの背中を押しながら、みっこはバスのステップを軽やかにかけ上がり、ようやく追いついたふたりに向かって微笑んだ。男たちもさすがにバスの中までは追いかけてこれないみたい。

「降りろよ。もう少し話そうゼ」

「いやよ。あなたたちといると、いつ帰してもらえるかわかんないもん」

「すぐに家に送るからサ。な」

「それにあなたたちといても、ちっとも楽しくないの。食事はおいしかったけどね。じゃあさよなら」

心から『してやった』といった顔で、みっこは微笑む。バスはふたりの男を後に走り出した。


 次第に小さくなっていくふたつの影を見送るわたしは、次第に爽快な気持ちになってきた。

いやらしいけだものたちに、最後はピシャリと平手打ちをくわせてやれたからかな。

シートにからだを沈めて、わたしはほっと胸をなでおろした。と、その時、大変なことに気がついてしまった。

「あっ! わたしのバッグ。クルマに置いたままだった!」

バッグには水着に財布、アドレス帳まで入ってる。いっぺんでわたしたちの住所も電話番号もバレちゃう。一瞬でわたしの目の前は真っ黒になった。

「はい。さつきのバッグ。ふたつも持つとけっこう重いのね」

みっこはそう言いながら微笑んで、わたしのバッグを差し出した。

「え? どうしてみっこが持って…」

「もう、クルマに戻るつもりはなかったから」

「じゃ、はじめからみっこは、バスで帰るつもりだったの?」

大きくうなずきながら、わたしの質問を察しているように、彼女は話しはじめた。

「最初にバスの時間は見てたわ。バス停の近くで座ったのも、計算のうちよ。あそこからは時間待ちしてるバスがよく見えたでしょ。もう出るかなって思ってたら、サングラスがキスしようとしたのよ。その時バスが発車するのが見えたから、ケリをつけたわけ。だけど怒るタイミングが難しくってね。ちょっとアセっちゃった」


ケリをつけたって…?

すべて計算ずくだったんだ、みっこは。


あの時…

『逆ナンパしよっか』

と言って男たちの誘いにのって、『ケリをつけ』てバスに乗るまで、なにもかも?

そうやってみっこは、あの男たちの下心を、見事に暴き出して見せてくれた。

それは、男の人のことをよく知らない、わたしのため。


 この、みっこの大胆な緻密さに、わたしはしばらくは返す言葉がなかった。

ようやく緊張がほぐれたかのように、彼女は穏やかな顔をして、窓の外の流れていく夜景を見ている。

わたしが見つめているのを知ってか知らずか、彼女はひとりごとのように言った。

「あたし。女をただのモノや飾りにしたがる男って、許せない」

「モノや飾り?」

「同じ人間として扱ってくれないような人には、相手にもそうしたって文句は言えないはずでしょ」

「それは、そうかもしれないけど…」

「ごめん、さつき」

「なにが?」

「『男の人のこと教えてあげる』なんていうのは、ただの口実かもしれない」

「え?」

「せっかくのバカンスなのに、さつきに迷惑かけちゃった」

「そんなことないよ。確かにかなりハラハラして怖かったけど。まあ、無事だったし…

それになかなかできない体験もさせてもらったし。フランス料理も美味しかったしね。

あいつらのお薦めってのはシャクだけど」

「まあね。でも、フランス料理に…」

「『罪はないわ』よね」

わたしの言葉に、みっこはクスリと笑う。

「あたしね…」

少し間をおいて、みっこは言った。

「昼間、『恋したことない』って、言ったでしょ」

「うん」

「あたし、ほんとの自分を見てくれる人が現れるまで、もう、恋しないつもり。あたしをひとりの人間として見てくれる人じゃないと、もう、いっしょには、いたくない」

そう言いながら、自分のセリフに少し照れたように窓に肘をついて、みっこは外の景色に視線を戻した。


あ…

なんだか少しだけ、彼女のことがわかった気がする。


『もう、恋しない』

『もう、いっしょには、いたくない』


それは、『生意気でわがままな小娘』という生き方を貫いている森田美湖の、言葉の端に垣間見える、過去の恋愛のかけら。

今はまだ、それがどんなものなのか、わからない。

みっこはどんな人と、どういう恋をしてきたのか。

時折見せる彼女の翳りは、過去の恋との葛藤なのかもしれない。

彼女はそんな自分の姿を、他人ひとに見せないようにしている。

つややかで美しい彼女のロゼカラーの口紅は、きっと自分を守るための、鎧。

そして彼女は、鎧の下に隠れた本当の自分を見てくれる人を、待っているのかもしれない。


そんなみっこは、痛々しく、だけど、今まで以上にとっても魅力的で、惹きつけられる。

わたしなんて、いつもまわりに流されてしまう弱い人間だけど、少しでもみっこのことをわかってあげたい。ひとりの人間として。


「わたしもPERKY JEAN… いいなって思うわ」


ひとりごとのように、わたしはポツリと言った。

彼女はわたしを振り返り、ニッコリと、とびきり素敵な微笑みをくれた。


END


24th Jan. 2011 初稿

23th Sep.2017 改稿

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