PERKY JEAN 2


 海の家の近くにある自動販売機の前に立ち、コインを手にしたまま、わたしはまだ、さっきのとりとめのない気持ちを整理していた。

そのときだった。

「オレがおごってやるよ」

突然、人影で光がさえぎられたかと思うと、自販機がガチャガチャ動いて、わたしの目の前にいきなり缶コーヒーが差し出された。

「え?」

反射的に受け取って振り返る。そこには20歳くらいの大学生風の男の人がふたり立っていた。

声をかけてきた方は、サングラスをかけたキザで怖そうな人。もうひとりは頬にニキビがいっぱいあって、ちょっとイモっぽい。わたし、サングラスって、相手の目が見えないから、怖くて好きになれない。

「な、なんなんですか?」

平静を装ったものの、ドキドキしてうまくしゃべれない。


『ナンパだ!』


話には聞くけど、自分が経験するのははじめて。

あんまり好みのタイプでもないし、なんだか不良っぽいし、無視した方がいいのかな。

でも、断って怒らせたりしたらどうしよう…

「おまえ、あの紫の水着着た女の友達だろ」

サングラスの男が言った。みっこのこと?

ていうか、いきなり『おまえ』呼ばわりはやめてよ。

「実はこいつがその子と話したいってサ。だから紹介しろヨ」

『こいつ』と呼ばれたニキビづらの男は、柄にもなく照れている。

な~んだ、みっこが目当てか。

そんなものよね。

別にどうでもいい相手なんだけど、やっぱりちょっとヘコんでしまう。

「ちょっとだけでいいんよ。頼むけ」

「でも…」

「いいじゃん。時間とらせねーヨ」

「だけど…」

どう答えていいのかわからなくて、しどろもどろになっていた、とその時、ふたりの肩越しにみっこがやってくるのが見えた。

「さつきぃ。あたしも『午後の紅茶』買いにきたよ。サンドイッチにはやっぱり…」

明るく笑顔を振りまいていた彼女は、ふたりの男に気づいて顔色を変え、口を閉ざした。

「さっきはどーも」

サングラスの男が言う。みっこは構えるように少し頭を下げる。

「知ってる人?」

小声で聞くと、彼女は吐き捨てるように耳打ちした。

「さっきあたしがつまずいた、『ゴミ箱』よ」

あっ、なるほど。

でもキツい表現ね。

「あの。ちょっとでいいけ、時間くれん?」

「もうあなた達と話すことはないわ。さよなら」

「へ。そんな気取るなヨ。おまえらだって男に声かけられて嬉しいんだろ」

「さつき行きましょ。紅茶を買ったらもうここに用はないから」

みっこは自販機から『午後の紅茶』を取り出すと、わたしの背中を押す。男達は未練がましくつきまとってきた。

「つきあいわりィな」

「…」

「な。頼むけつきあってくれよ」

「…」

「おまえらも女ふたりで来てんだから、ナンパ目当てなんだろ」

「…」

「俺たちがずっと見よっても、あんたより可愛い女、ほかにはおらんよ」

「…」

「見なヨ、オレのクルマ。あそこのメタルパープルの『セルシオ』だぜ。チューンナップした乗り心地抜群のVIPカーだぜ」

「…」

「あのクルマで、高級フランス料理のフルコースでも食いにいこうぜ。オレいい店知ってんだ」

「…」

「もちろん俺たちのおごりやけ。行こうや」

「…」

代わるがわる話かけてくるふたりの声がまるで聞こえないかのように、みっこはどんどん歩いていってしまう。そのうちやっとふたりも諦めた。


 食事に戻ったみっこは、なにごともなかったかのようにサンドイッチを頬張った。

「あっ!」

わたしは思わず声をあげ、手もとの缶コーヒーをみっこに見せる。

「どうしたの? さつき」

「これ、さっきのサングラスの人がくれたんだけど… 捨てた方がいいかな」

「缶コーヒーに罪はないわ」

「そうよね。ただでもらえてラッキーと思えばいいよね」

「ほんとは紅茶がよかったのにね」

みっこはそう言って微笑む。やっぱりなごむな、この笑顔。わたしは缶コーヒーのリングプルを引っぱりながら言った。

「でも、ちょっともったいなかった気もするなぁ」

「なにが?」

「さっきのふたり」

「さつきは、ああいうのが好みなの?」

「そっ、そんなことないけど… でも、高級フランス料理ってのには惹かれるかも」

「あんなサングラスとニキビ顔見ながら食べる料理が、おいしいって思う?」

「う… おいしいわけ、ないか」

「じゃ、どんな男にでもシッポ振るようなマネはよしなさいよ。くだらない男に関わってると、こちらまでつまらない女に見られるわよ」

「つまらない女って… ひどいんじゃない? みっこ」

「ほんとのこと言っただけよ」

「む…」

少しムッときたけど、まあ、みっこの言うことがもっともかも。

それにしてもみっこの口調は手厳しい。単にあのふたりに対する嫌悪なのか、それとも男嫌いなのか…


「みっこは彼氏、いないの?」

唐突な質問に、われながら驚いてしまう。

さっきの煩悶が、まだどこかに引っかかっていたのかもしれない。

『意外』といった顔をして、彼女はわたしを見た。

「そんなの、いないわよ」

「うそぉ。あなたみたいに綺麗な女の子だったら、恋人いないって方が不思議よ」

「綺麗だから性格もいいって、限らないんじゃない?」

「それは言えてるかも。みっこって、言いたいことをズバズバ言いすぎるもんね」

「そ… そうかな? ごめん。気にさわったなら気をつける」

なぜか少しあわてた口調で、みっこは謝った。

別に、気をつけてもらったりしなくていいんだけど…

そのよそよそしい謝り方のほうが、わたしには気にかかる。

少し躊躇ためらったあと、みっこは逆に訊いてきた。

「さつきの方こそ、恋人、いるの?」

「え、わたし? わたしは… そりゃほしいなって思うことはあるけど…

わたしって読書くらいしか趣味ないし、ファッションとかおしゃれとか疎いし、自分に自信がなくて…」

「あら? さつきって可愛いわよ。女の子らしいし料理も上手だし、胸も大っきいし」

「えっ? そっ、そんなことないよ」

「でも、恋したことは、あるんでしょ?」

「ん~。そりゃ、あるにはあるけど…

まだ、恋に恋してるってのかなぁ。高校の頃に好きな人はいたけど、見てるだけで話もほとんどできなかったし、告白しようと思っても、なんだか怖くて。

それに、好きとか嫌いの前に、男の人ってよくわかんないのよ」

「ふうん。そんなものなの?」

「いいじゃない。そんなものよ! だいたいわたしは、みっこのこと聞いてるのよ」

「あたしは…」

彼女は最後の紅茶をひとくち飲みほすと、遠い水平線に視線を移しながら言った。

「あたしはまだ、心から好きになれる男の人に、出会ったこと、ない…」

「恋したことがないの?」

彼女は黙っている。今までの明るさは影をひそめ、はじめて会ったときに見せた厳しい横顔と、追いつめられたような眼差し。

しばらく虚空こくうを見つめ、みっこはポツリと答えた。

「…あるわ」

「え。あるの? どんな人?」

「…」

「その人とはどうなったの?」

「…」

「みっこ?」

「この話はもう、やめよ?」

「ご、ごめん」

「ううん。いいの」

そう言うとみっこはいきなり立ち上がって、なぎさへかけ出した。一瞬よぎった心のかげりを、かき消そうとするように。

「そのうち話せるかもしれないから。今はなにも考えないで、海で遊びましょ」

波打ち際を走りながら、みっこは振り向いて手を振る。少し強くなった波が、彼女のからだで砕け、ビーズの様な水玉が空に跳ねた。



「さつき。今日の晩ごはん、どうしよっか?」

たっぷり遊んだ後、ビーチボールの空気を抜きながら、みっこは訊いてきた。

「そうねえ。どこかでなにか食べて帰る?」

「高級フレンチのフルコースなんてどう?」

「ええーっ? なんなのそれ!」

「逆ナンパしよっか」

「逆ナンパァ?」

突然のことにどうリアクションしていいかわからず、びっくりしているわたしの手をとり、みっこはスタスタ歩きだした。


 彼女の行った先は、例のふたり組の毒々しい紫色のクルマの前。

『ナンパ不発』といった冴えない顔で、サングラスとニキビはクルマのドアにもたれていたが、わたしたちを見てびっくりした様子。

「あれぇ?」

「はぁい」

みっこは愛想よく応えて、軽く手をあげた。

ええっ!

どうしたのみっこ?

さっきは『ゴミ箱』扱いしていた人たちなのに。

「どうした。なんか用か?」

「ひどいあいさつね。せっかくあなたたちのクルマに乗っけてもらおうと思ったのに」

「お、オレ達の?」「俺達の?」

驚くふたりの声がハモった。わたしだっていっしょにハモりそうになったわよ。

「もう先約があるなら、いいんだけどね」

「そっ、そんな事ないサ。あってもおまえなら最優先だゼ」

「さっきは冷たかったのにな、へへへ。いったいどうしたん?」

「気が変わったの。じゃあ、あたしたち着替えてくるから、ちょっと待っててね」

ニヤニヤうなずくふたりに愛想笑いを振りまきながら、みっこは更衣室に向かう。

いったいどうなってるの?

『くだらない男に関わるな』って言ってた彼女が、こんな人達を『逆ナンパ』するなんて。

まさか、ほんとに高級フランス料理のためとか…

「み、みっこ。待ってよ!」

わたしは彼女のあとを追った。すっかりみっこのペース。


つづく

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