Campus91
茉莉 佳
Vol.1 PERKY JEAN
PERKY JEAN 1
プロローグ
押し入れの奥から出てきた、20年以上も前の古ぼけたキャンパスノートの束。
ぎっしりと綴られた文字。
何度もめくられた、ページの端のすれ。
1990年の大学時代。
日記代わりに使っていたこのノートたちは、まぎれもなく、わたしの青春のしるしだった。
パラパラとページをめくり、走り書きされた文字を拾い読みしていく。
そこには、当時わたしがもっとも親密につきあっていた親友のことが、頻繁に記されていた。
記憶の鍵を開くと、その時の感情が甦る。
それはまるで、ひとつの物語。
甘く、懐かしく、ときには苦い。
掃除の手を止めて、わたしはその場に座り込み、ノートの1ページ目から目を通していった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
夏の日射しの中を、少女がかけてくる。
熱いアスファルトの舗道に陽炎が立ちのぼり、彼女の姿が蜃気楼の様に揺れる。
それはまるで、いつか見たシネマのワンシーンみたいに、幻想的。
「ごめん、待った?」
そう言いながら、彼女はわたしの前で息をはずませた。頬がピンク色に上気して、薄紫色のワンピースによく映える。
「ううん。わたしも今来たばっかり」
そう答えると、彼女はニッコリ微笑んだ。冴えたロゼカラーの口紅が、印象的。
「綺麗な口紅ね」
「ありがと。PERKY JEANっていうのよ」
「PERKY JEAN?」
「『生意気でわがままな小娘』とでも言えばいいかな。うふ。気に入ってるの」
そう言って彼女は肩をすぼめ、ペロッと舌を出した。
ふうん。
まるで化粧品のCMの受け売りみたいだけど、彼女にはその口紅がすごく似合っている。
「やぁね、そんなに見ないでよ。さ、早く行かないと電車に遅れるわ」
そう言って、彼女はわたしを促した。
***
わたしはまだ、彼女のことをよく知らない。
彼女と知り合ったのは、今年の春。
通いはじめたばかりの福岡の街はずれの学校、
入学式のセレモニーで、緊張していたわたしの横で、彼女はじっと瞳を閉じていた。
式が終わって学科に分かれ、講義室でオリエンテーションを受けている時も、彼女はとなりの席でうつむき、唇をキュッと結んだまま、教授の話さえも聞こえてないみたいで、自分の殻に閉じこもっているかに見えた。
そんな彼女の様子に、これからのキャンパス生活を想像して、戸惑いながらも興奮を隠せない他の女の子達とは違う、思いつめたような『なにか』を感じ、わたしは思わず声をかけたんだ。
「な、なんだか緊張してしまうわね。高校とはまるで違うんだもの。あ、わたし弥生さつきって言うの。『三月五月』なんて、ふざけた名前でしょ」
わたしの言葉に、彼女は我に帰ったように顔を上げてこちらを見つめ、厳しい表情から打って変わった、ニッコリと素敵な微笑みを向けながら言った。
「よろしくね。森田美湖よ」
人と人の出会いって、つくづく不思議。
『森田美湖』の『も』。
『弥生さつき』の『や』。
出席簿に並んだふたつの名前が、ふたりを結びつけ、たがいの未来を紡いでゆく。
それは運命の織りなす、気まぐれな模様かもしれない。
選択教科や好きなミュージシャンとかがいっしょだったのもあって、わたしと彼女はすぐに親しくなった。
今じゃ彼女はわたしを『さつき』って呼ぶし、わたしも『みっこ』ってニックネームで、彼女を呼んでいる。
ふたりとも海が大好きで、『夏休みになったら遊びに行こう』って計画立てていた。
でも、海に行く以上にわたしにとって興味があったのは、
『森田美湖』
そのものだった。
“プシュー”
ホームに滑り込んできた電車のドアが開く。
降りてきたサラリーマン風の男の人や、買い物袋を下げた主婦、若い女の子達までもが、みっこを見ると驚く様に目を見張り、視線がくぎづけになる。
「さつき。あそこが空いてるわ」
そんな周りの視線にはおかまいなしに、みっこは電車に乗ると座席に腰をおろして、窓の外の景色に目をやる。そのとなりに座って、わたしは彼女を横目でのぞきこんだ。
まったく… とびきりの美少女。
初めて会った時から、森田美湖はだれよりもひときわ美しく、際立ってみえた。
パッチリと冴えた明るい瞳。
意志の強さを感じる、キリリと引き締まったまゆに、長くそった睫毛。
品よく整った唇。
つややかなセミロングのストレートヘア。
しみひとつない白磁のような滑らかな白い肌に、鮮やかな目鼻立ちがよく映えている。
それはまるで、巨匠が作った仏蘭西人形が、そのまま命を持ったみたい。
身長はたいして高くはないのに、顔が小さいせいで、スタイルもすごくよく見える。
ノースリーブのワンピースから伸びた長くて華奢な手足は、
森田美湖は女の子なら誰もが憧れる、ファッションモデルのような、魅力ある容姿をしていた。
まあ、そんな彼女の外見に惚れてしまったってのもあるけど、わたしが本当に興味を持ったのは、その美貌の内側にある、隠された姿だった。
初めて彼女と話したときの、重たい表情から魅力的な微笑みに変わっていくさまを、わたしは今でもビデオのスローモーションを見るように、思い出す。
それはとっても不自然で、違和感のあるものだった。
この子にはなにか、言いようのない、
美しい容姿の裏に潜んだ、切なく重苦しい彼女の内面に、わたしは余計に興味を持ってしまったのだ。
友達になってから間がなく、彼女のことはまだよく知らないが、今日のバカンスで、深い話しをするきっかけでもつかめるといいな。
快速の止まる郊外の駅で電車を降りて、バスでさらに20分。
終点のアナウンスを聞きながら、眼前に海の広がるバス停に、わたしたちは降り立った。
ストームの様な熱気。
トップライトで照りつける太陽。
まぶしい砂の白。
海の青。
わき上がる雲の白。
空の青。
ギザギザなコントラストがとっても鮮烈!
「どう? この水着」
更衣室から出てきた彼女は、そう言いながらファッションモデルのように、クルリと回ってみせた。
とっても素敵!
マゼンタ色の生地に熱帯樹の模様をプリントした、ワンピースの水着。ヘアはツーサイドアップにしてて、とっても可愛くて綺麗。
「うん。すごくいいじゃない」
そう言いながら、わたしは無意識のうちに、羽織っていたバスタオルで自分のからだを隠した。
いらない部分がみんな削り落とされたヴィーナスの彫刻、とでも言おうか。
そんな洗練された美しいボディラインを、彼女は披露していた。
わたしと同じで、160cmもないくらいの身長なのに、頭が小さくて腰が高く、手足がすらりと長い。となりに並ぶと、フラミンゴとペンギンくらい、スタイルに差がある。
なんか、惨め。
「泳ご! さつき!」
わたしのコンプレックスにも気づかない様子で、彼女はなぎさへかけ出した。
「みっこ。準備運動しなきゃ」
「そんなの、いらない」
そう言ってキラキラ光る波頭をつま先で砕き、振り返って笑う。意外と活発なんだな。
しばらく泳いだり、ビーチボールで遊んだりしたあと、わたしたちはなぎさに上がり、写真を撮りあった。
「みっこ。その辺に立ってて」
そう言いながら、わたしはコンパクトカメラをバッグから取り出した。
カメラを構えると、彼女は軽くポーズをとった。
「こんな感じ?」
「いいじゃない!」
わたしはそう言ってシャッターを押した。
みっこは流れるようにポーズを変えていく。
両手で髪をかきあげてウインクしてみせたり、つま先に砂を絡めながら脚をクロスさせ、肩をすぼめて振り返ったり。
そんなしぐさがやたらとキマってて、とってもキュートで、つい、シャッターを切らされてしまう。
「へえ。みっこすごい。まるでモデルみたい!」
わたしは感心して言った。みっこはニコリと微笑んでわたしのそばに寄ってくると、カメラを取り上げる。
「さ、次はさつきの番よ。ハイ! じゃその辺に座ってみよっか」
「え?」
言われるまましかたなく、わたしはみっこの指差す場所に座る。写真撮られるのってどうも苦手なんだ。せめてもう少し可愛ければ、もっと楽しいんだろうけど…
「ほら、さつき。モデルはもっと大胆にね。そう胸張って。はい! 笑って笑って!」
みっこは笑いながらバシバシとシャッターを切った。
「もう。いきなりカメラマンにならないでよ」
「さつき、可愛いわよ。胸も大っきいし。今度は座ってみよっか!」
「んもうっ。みっこったら」
いろんなポーズをとらされ、容赦なくシャッターを切られたわたしは、めげてへたり込んだ。
「じゃ、今度はツーショットで!」
そう言うと、みっこはそばのバッグにカメラを置き、タイマーをセットしてファインダーを覗く。
シャッターを押すとわたしのそばにかけ寄り、ふざけて肩を抱いて頬を寄せながら、ピースして微笑む。
わたしも彼女のマネをして、レンズに向かってピースした。
ひととおり写真も撮ったあと、わたしたちはビーチに寝っ転がった。
灼けた砂粒がからだの芯までジリジリ喰い込んできて、痛いけど気持ちいい。
こうしていると、『夏っ!』って感じで、気分も高まってくる。
みっこはとなりにペタンと尻もちついて、わたしの背中に砂をかけて遊びはじめた。
「やん。くすぐったい」
クスクス笑いながら、彼女はやめようとしない。
しばらく砂にまみれながらじゃれあって、わたしは喉がカラカラなのに気がついた。
「そういえば、喉乾いたね」
「そうね。冷たいジュース買ってこよか。さつきはなにがいい?」
「わたし… ジンジャーエールかなぁ」
「オッケ! ちょっと待っててね」
からだの砂を払って素早く立ち上がった彼女は、バスケットから財布を取り出し、サマーセーターを羽織りながら小走りに駆けていった。
別に寒いってわけじゃないのに…
露出嫌いなのかしら?
みっこはしばらく帰ってこなかった。
「遅かったじゃない。どうしたの?」
15分くらい経って、ようやく2本の缶ジュースを携えて戻ってきたみっこに、わたしは訊いた。
「うん。ちょっと、つまずいちゃって…」
「なにに?」
「ただのゴミ箱」
「?」
はて。
ごみ箱につまずいて遅くなったって言うの?
なにか変。
「それよりお昼にしない? あたしおなかすいちゃった。向こうにお店があったけど、なにか食べにいく?」
「まあ、みっこ、待っててよ」
わたしは得意げに、自分のバッグから包みを取り出し、みっこの前に広げる。中には早起きして作ったサンドイッチ。
「さつき。持ってきてたんだ」
「みっこの分も作っといたのよ。食べてみてよ」
「え? ありがと。いただくわ」
嬉しそうにみっこはサンドイッチをほおばり、ニッコリ微笑む。
「…ん。おいしい! さつきって料理うまいんだ」
「まかせなさい」
「お嫁にほしいな~」
そう言ってみっこは笑う。天真爛漫な笑顔。入学式のときの、あの、厳しくて重苦しい表情が、嘘みたい。
あれはわたしの思い違いだったのかなぁ。
こんなに明るくて華やかな彼女とは、いっしょにいて楽しい。
みっこと知り合えてよかった。
少しわがままで、自分の思い通りに生きてるみたいところがあって、たまに引きずられることもあるけど、この子といると毎日が新鮮で、ウキウキしてくる。
彼女とはずっと、友達でいたい。
『女は友情より恋愛の方が大事』だなんていうけど、彼女との友情は、大切にしていきたい。
わたしはまだ、恋人のいる楽しさなんて知らない。
もちろん、男の人には興味はあるし、高校の頃好きだった人もいる。
結局、告白なんてする勇気もなく、その人とは卒業と同時に会えなくなってしまった。
今どき、内気で彼氏も作れない女の子なんて、天然記念物ものかもしれないけど、気のおけない友達といっしょにいる方が、今はずっと楽しいと思う。
だけど…
みっこはきっと、彼氏いるよね。
彼女とはそういう深い話はしたことないけど、こんなに綺麗な女の子を、回りの男の人たちが放っておくはずがない。
きっと、恋愛経験豊富なんだろな。
みっこにとってわたしって、どういうポジションなんだろう?
気の置けない親友?
それともただ、大学で知り合ってちょっと仲良くなって、海に遊びに行った程度の、たくさんの取り巻きの中の、ひとり…
なんだかせつない。
片思いの友情って。
こんなに彼女に好意を持っているのに、みっこはわたしのこと、たいして気にもとめていないとしたら…
「わたし… ちょっと紅茶買ってくる」
ばかみたい。
いったいわたしったら、なにつまんないこと考えているんだろ。
もやもやした気分を吹っ切るように、わたしはその場から離れた。
つづく
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