第3話 渡り歩く
店員さんはそれを見て、首を傾げる。
「いや……見たことありませんね……。ちょっとお借りしても?」
僕らは視線だけを動かして、互いを見た。この街で撮られた写真ではない?
「はい。どうぞ」
その人が写真を手渡すと、お姉さんはありがとうございますと軽く頭を下げた。そして、もう一人のおばあちゃんの方へ行き、写真を見せる。声は途切れ途切れにしか聞こえないが、そのしぐさを見る限り、おばあちゃんも知らないようだった。手紙はおばあちゃんによりキッチンへと持っていかれた。旦那さんに見せに行くのだろう。
再びお姉さんの元に写真が返ってきた。
「ごめんなさい。誰も見たことないって」
急ぎ足で戻ってきたお姉さんは申し訳なさそうに言った。なんだか僕まで申し訳なくなってくる。
彼女はその人に写真を返しながら言った。
「ですが、凍った滝の噂なら知ってます。といっても、みんなが死んでしまうところにある、とかなんとか。子どもの頃の話ですけどね。それよりも、物知りな人を知っています。あの人なら知っているかもしれません。紹介しましょうか?」
僕らはうなずいた。
お姉さんはメモを一枚ちぎり、線を引いていく。すぐにそれが地図になるとわかった。
「ここが、今いるところです」
紙の左下にある四角に店員さんはぐるぐると印を付ける。そしてまた線を広げる。
「そして……ここが、物知りおじいちゃんがいる古本屋です。いつ行っても店番しているので、ちゃんと会えると思いますよ」
右上に、星マークが描かれる。それから印を繋げるように、線に斜線をつけていく。
「こう行くのが一番わかりやすいですかね。ここから右に進むと大通りに出ますから、左に曲がって、たばこ屋でまた左です」
「ありがとうございます」
僕らがそういうと、お姉さんは地図を畳んで僕に手渡す。
「いえ、これくらいしかできなくてすみません」
またお姉さんは頭を下げた。
「いえいえ。十分助かりましたから。ありがとうございます」
お客さんが彼女を呼んだので、一礼して去っていった。
「噂、不気味だなあ」
その人は言った。
「でも、子供の噂ってことは、あれかもね。危険なところにあるから行くなーみたいな」
「場所がわからないなら噂の必要あるかな」
「それもそうか。うーん、噂だけが残っちゃったとか?」
僕らは食事を再開させる。話題もひと段落して料理も冷め始めていたから、無言で食べ進める。
食事も終わりが近付いたころ、その人は唐突に言った。
「もう一人いるぞ」
「ん?」
「写真だから、撮った人がいるはずだ」
その人は写真を僕の目の前にかざす。手荒に置かれた彼女のスプーンは、音を立てて皿の上に収まった。
「ああ、本当だ!」
驚く僕の前で、その人はあごに手を添え考える。
「私たちがタイマーを設定して撮った可能性もあるが……それならこんな風に後ろは向かないはずだ。設定した時間に間に合わなかったにしても、どっちかがこちらを向いているのが自然だろう」
この写真は本当に記憶のヒントなのかもしれない。わくわくしてきた。
「それに、これ、多分ちょっと上から撮られているから……」
写真では二人のつむじが見える。なかなか見ることのできない自分の角度だ。
「隠し撮り……か、それに近いものだと思う。二階から地上をズームして撮ったくらい、かな」
隠し撮りならわくわくではなくぞっとするが、今手がかりはこれしかなさそうだ。
「これを撮った人、何か知ってるんじゃないかな」
その人はうなずいた。
「そうだろうね。ただ、場所はともかく人は動くから……。怪しい人には会いたくないからいいけど」
「でも、君が持ってるってことは知り合いかもしれないね。それ、どんどん色がでてくるやつだから、一枚しか現像できない」
インスタントカメラで撮られた写真をぎゅっと押すと、色が混ざってしまう気がするのは僕だけだろうか。
「そうそう。撮った直後は真っ黒なあれ」
その人は、最後の一口を飲み込んでから続けた。
「この写真を撮ったのが、知り合いならいいけど怪しい人なら二人で逃げればいいか。まあ、状況は全くわからないけどそろそろ行こうか」
「宝探しみたいだ」
店から出たところで僕は言った。
「こんな寒いところで宝探しとはね。見つかんなくても生きていけるのも一緒だ」
「本当? でも、知らずにいくらかは生きてたもんね。写真撮った人は僕らのこと忘れてるのかな」
吐く息が白かった。
「うーん、どうだろう。でも、覚えてくれていないと、こちらからは探しようがないな」
相変わらずの曇り空の下、遠くで車の通る音がする。
「物知りさんが都合よく知ってくれてたら一番いいんだけど」
時計屋の角を曲がり、服屋を通りすぎて、たばこ屋を目指す頃には、喫茶店で温まっていた体温はまた、端の方から冷えてきた。
「そんな都合のいいことあるかなあ」
たばこ屋はまだ見えない。道のずっと向こうに青空があるのが見えた。終点の方角だ。
「あ、たばこ屋」
その人は指差した。開いているのか閉まっているのか、よくわからない店だ。奥からテレビの音がしているから、人はいるらしい。念のため、ポケットから地図を取り出し、確認して進む。
「冷えるね。ーーあ、あれじゃない? 道に本がはみ出ちゃってる」
なんとか見える距離、雑多に積まれた本がある。
足はじりじりと冷えてきて、きっとそのうち痛くなってくるのだ。
「古本屋……。そういや行ったことないな」
僕らは古本屋の手前で止まって、中を覗き込んだ。低い棚が道路ギリギリまで出ていて、扉の向こうにはぎっしりと本が詰まってある。
「物知りおじいさん、いるだろうか」
その人は呟いた。
店の奥を見るために首を伸ばすと、奥に服の裾が見える。
「えっと、すみません」
一面の本とにおいに圧倒された僕らが声をかけると、おじいさんはピントを合わせるように、何度か瞬きした。
「なにか?」
そういって手に持っていた本を下ろし、ポケットに入っていた眼鏡をかける。
「聞きたいことがありまして」
しかし、本とは全く別の質問であるため、僕がどう切り出そうか悩んでいると、その人が割って入ってきた。
「その前に、ここの方ですよね?」
他に人はいないようだが、間違ってお客さんに話しかけていたら恥ずかしい。
「はい、そうですよ。何か探しものですか?」
笑って答える物知りさんに僕らは驚いた。まさか、用件を当てられるとは。
「なんでわかったんですか?」
「何でって、古本屋ですよ、ここは。売りにきたか、ひやかしか、買いにきたかしかないじゃないですか。その中でも本を持たずに声をかけてくる人は、大抵目当ての本を探しまわってますからね。……いや、違いましたか?」
物知りさんは、その人の大きなカバンを見る。
「いや、合ってるんですけど、本じゃないんです。場所を探しているんです」
僕がそういうと、その人は写真を探す。
「場所?」
写真を出して、その人は言う。
「ここなんですけど知ってます?」
「ふむ……。先にこの本片付けてからでいいかい?」
物知りさんは写真を受け取らず、先ほど置いた本をぽんぽんと叩いた。
「ああ、もちろんそれは」
積み重なった数冊の本がそれぞれ棚にしまわれた後、物知りさんはカウンターの向こうの椅子に座り、僕らはそれを隔てて向かい合うように立っていた。
「行ったことはないから確かなことはいえないけど、聞いたことならあるよ」
物知りさんは写真を受け取った。
「本当ですか」
あの噂のことだろうか。
「ああ。今は噂だけになってるーー噂は知ってる?」
「はい。みんなが死んでしまうところにあるとか」
物知りさんはうなずく。
「そんな感じ。若い頃に聞いていたのは死にはしないみたいだけど、それに似たことが起こるっていうのだったけど、噂は変わるものだからね。本当に死ぬことはないよ。写真があるんだから。まあ、それでも不気味だから、誰も近付かなくなったんだろうね。場所がわからないくらいだから、もうだいぶ前から忘れ去られているんだろうなあ。探してるんだろ?」
「はい」
物知りさんは一つ咳払いをした。
「写真があるからちょっと考えることができるね。今わたしが考えているのは終点だ。あそこはよく晴れてるし、何もないから誰も行かない。反射してる空を見る限り、こんな天気はここじゃあなかなか見られない。冬の街はほとんどが曇りなんだ。その例外が、終点のほう」
僕は、バスの向かっていった方向が晴れていたことを思い出した。その人も、その青空に気付いていたようで、
「終点か」
と呟いた。
「そう。大寒って言ったはずだ。天気はいいがここよりうんと寒いと聞くから、そんなに長い間探すんじゃないよ。誰か住んでいるとも聞いたから、もしあれなら話を聞くといい」
「わかりました。ありがとうございます」
物知りさんがうなずいた拍子に眼鏡がずれる。サイズが合ってないんだ。
「そう、私はずっとこの街に住んで入るが、大寒にだけは行ったことがない。しかし、あなたが持っていた写真はどう見ても冬の街で、青空が反射している。見つかりやすいかはともかく、かなりの確率であると思うよ。大寒にその滝がなければ、私はもうお手上げだね。ごめんよ」
物知りさんは、その人に写真を返した。
「いえ、十分助かりました。ありがとうございます」
僕らは頭を下げる。
「いやあ、こちらこそ。なんだか探偵ごっこみたいで面白かったよ」
物知りさんは眼鏡を取って、その手で僕らに手を振った。
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