わたしの秘密

 いつも比較的早く教室へ着く私なので、幸い遅刻せずに済んだ。既にほとんどのクラスメイトが教室内でわいわいと雑談している。

 教室内へこっそり入り込んだ小虫のように存在感を消す。誰にも気に止められず今日を過ごしたい。

 だが、その目測はすぐさま瓦解した。

「黒崎さん!」

 いつの間に背後に居たのか、肩からヒョッコリ顔を出したのは井上さんだ。

「ねえ! 持って来てくれた?」

「あ、はい。一応……。でも、その、最初の方はへたくそで、あんまりだから……」

 私の話を聞いているのか、聞いてないのか。井上さんは「やったぁ!」とノートを開く。キラキラした瞳は、絵本を眺める子供のそれと同じだ。

「何々? 結衣、何それ?」

 先程まで話していたのだろう。井上さんの友達が声をかけた。

「んーあのねー、黒崎さんが」

 それは咄嗟の行動だった。無意識だった。

 私は井上さんから自身のノートを引ったくった。

 井上さんとお友達は当然な事ながら、私までもその状況に呆然とした。

「え、なに」

 半ば睨みつけるような視線が突き刺さる。井上さんは眼をパチクリとさせたまま固まっていた。

 赤くなるな、テンパるな、そう考えれば考える程その焦りは現実となる。

「ご、ごめん……も、もうすぐHR始まるから……席戻った方が……」

「あぁ、うん。そうね」

 私の説明に納得した訳では無さそうだったが、訝しげに席へ戻るだけだった。そして、井上さんの袖を少し引っ張り耳打ちする。

「あの、あの、このノートの事他人に言わないでください……」

「え! どうして?」

 どうして、と思える事が羨ましい。

「恥ずかしいんです。なるべく人に見られたくないんです」

「そんな! こんなに上手なのに!」

 そう言って貰えるのは嬉しい。嬉しいけど。

「……お願い」

 そんなつもり無いのに、眼に涙が溜まってしまった。本当に恥ずかしい。

「わ、分かった! 分かったよ! 誰にも言わない!」

「すみません……」

「ううん、私こそゴメン……。でも、勿体無いなぁ……」

 席へ戻る時も彼女はまだぶつぶつと言っていた。



 

 井上さんは私のお願いをきっちり守ってくれた。そして、私には初めてクラスで友達が出来た。

 最初の一週間は朝にノートを受け渡しするだけだったが、時折りお昼を一緒に食べたりした。所謂リア充組の彼女は友達が多かった。常に誰かと一緒に居る。昼休みも独りで食事している私とは大違いだ。

 それでも時折、二人で話す事があった。

 ホビットの冒険やモモといったファンタジー小説や漫画の趣味が合った。

 どうやら彼女の周りにはそういった趣味の人は居なかったようで、私と話す時は実に早口で嬉しそうになる(なんてのは思い上がりだろうか)

 私は初めて学校で自信を持って「友達」と言える人が出来た。



 セルフトピアでは、ディアミケッソのお祭りが随分忙しそうだ。皆、屋台だの仮装だのと準備に勤しんでいる。

 私は初めて、ちょっぴり疎外感を感じた。

「みんな……忙しそうね」

 大通りの屋台管理を任されているアベルが、カインと図面を広げあーでも無いこーでも無い、と話している。

 ミーファも何だか落ち着きが無い。

「一年で一回のお祭り、しかもその百年目だからねぇ。でっかい花火も上がるんだよ、楽しみだね」

「ふぅん……」

 面白くないな、なんて子供じみた事を思った。知らない事なんて無かった世界で、皆が一番好きな行事を知らないなんて。私だけ仲間外れの気分だ。

「センセー、創造主様はどうして降臨してくれないんですかねぇ。俺たちの祝い方が足りないんですかねぇ」

 アベルが図面に赤い線を引いている。

「うん。僕はね、創造主様は既にこの世界に居らっしゃると思うよ」

「え! 会ったんですか創造主様!」

 思いがけない返答に、カインが素っ頓狂な声を出した。私も飲みかけて紅茶を吹きそうになった。必死にすました顔でティーブレイクを続ける。

「どうだろう? 多分会ってないと思うけど」

 妙な事を言い出すと心臓に悪いのでやめて欲しい。アベルが眼鏡の端を持って続けた。

「僕はこのセルフトピアの世界が好きなんだ。そりゃ争いや不幸な事だってゼロじゃないけど、色んな種族が手を取り合って生きてる素敵な世界だと思う。きっと創造主様も同じような気持ちなんじゃないかな。じゃなきゃこんな世界作りはしない。そうしたら、自分もこの世界に参加したくなるだろ?」

 じっとりと腋の汗が止まらない。

「……でもじゃぁ何で名乗り出ないんですか。皆で歓迎して祝福してるのに」

「皆カインと同じ気持ちだからさ。そんな事したら皆が崇め奉ってしまうだろ? 創造主様はセルフトピアのこの何気ない日常が好きなのに」

 カインが腕を組んで唸る。

「皆から尊敬されたくないんですカー? 創造主様変わってますね」

「そうだねぇ……。エリーヌなら分かるんじゃないかな」

 やはり、もうバレてるんじゃないのか? そう思わずにはいられない。

「な、なんで?」

「だって君も名乗り出てないだろ? 大人気紀行の著者だってのに。どうしてもっと皆にアピールしないんだい?」

「だ、だってそんなの恥ずかしいじゃない……」

 ほらね? と言わんばかりに両手を広げてアピールしていた。

 本当はもう私の正体に気付きわざとやってるんじゃないだろうか?

 ちら、と視線を送っても、この謎深き聡明な犬は、意味深に微笑むだけであった。

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