おかえり現実

 この夢を初めて見たのは二年前……だったと思う。正直記憶が定かでは無い。昨日見た夢だって覚えている人間は少ない。

 だが、最初に”描いた”のは間違いなくアベルだ。それだけははっきりと覚えてる。私はまだ小学生だった。知的で優しい犬の頭を持った紳士。なぜかパッと思いついたそのキャラを描くのに夢中になっていた。

 アベル、という名前が浮かんですぐカインという名前が出てきた。まんま弟ではつまらない。弟分にしよう。アベルは知的でおとなしいから、カインは三枚目にしよう。そうだ、トカゲのようなキャラなんてどうだろう? ちょっぴりお馬鹿でお調子者で、それでも憎めないような……。

 二人のラフは丸テーブルに向かいあって座って紅茶を飲んでる姿だ。これは一体どこ? 喫茶店に決まっている。それなら店主は女主人が良い。恰幅の良い、アッケラカンとした人物だ。

 絵と同時に設定も描いた。身長、体重から過去、住まい。そうしていくとアベル達を取り巻く環境も気になって来る。

 いや、私が書くのだから気になるというのは誤りかもしれない。だが、そう感じるのだ。

 私が作り出した世界、セルフトピア。

 この世界はスクーレ、ミスティカ、ソッド、セクレータ、ミーム、五つの主要国家からなる。国々に住むのは様々な幻想生物だ。時に争い、時に助け合う。

 人間より多様な文化を持つ彼らは、とても魅力的に見えた。

 

 ノート二冊越えた辺りで、私の妄想はリアルな空想へと変化していた。まるで本当にその世界に住んでいた事があるような……そんな気持ちだ。

 ある時、毎晩見ている夢が同じである事に気づいた。当初、夢の記憶はなかった。夢の日々は連続していたようだが、現実に持ち越せない。だが意識し始めると、やがて両方の記憶を引き継ぐようになっていった。


 正直、最初は戸惑った。もしかして自分は空想にのめり込みすぎているのでは無いだろうか。このまま現実との区別がつかなくなって、頭がおかしくなるのでは無いだろうか。そんな恐怖だ。だが、それ以上に私は楽しかった。


 あちらの世界は歩いているだけでも、何とも言えない思いがこみ上げる。私が作り出した、私だけの世界を、私は生きているのだ。それは感動、なんて言葉じゃとても言い表せない。

 私は一生、この夢を見ていたいと本気で願っている。




 今でもこの世界を大きくする事に躊躇いは無い。私が作り出した光景、街並みだが、実際に行ってみると新しい発見がある。

 砂漠地方の都市へ行った時だってそうだ。恐ろしい死者を崇拝する人々を描いたつもりだった。

 だが実際セルフトピアで見たそれは、私の想像を越えていた。美しく力強く、厳かで……。アベルに伝えた通りだ。その驚きは、私をより空想の世界へと”夢中”にさせた。


 今度はソッド地方へ。アパイトという都市の紀行を書く事になっている。私の紀行はまず、私がその村や町を作る所から始まる。とんだ自作自演だ。

 そこは剣闘士の町だ。ソッドには小さな集落がたくさんある。その集落から代表が出てきて戦うのだ。賞金や報酬は無い。皆、名誉のために戦う。いや代表はその集落で崇められている精霊だ。精霊達なら死ぬような事は無いし、負けても敬意が失われる事は無い。

 と、なるとそれぞれの集落の精霊をいっぱい考えなくちゃ。やっぱり火の精霊は外せないよね。炎の魔人みたいな……。イフリート? 安易だろうか。ウィンディーネとぶつかったら可哀想だし。そうだ。精霊と、村人達も共に戦ってはどうだろう。それにより精霊と村人達の絆より強固になり……。


「黒崎さ~ん、聞こえますか~?」


 その言葉にハッと我に返った。視線を上げると、東山先生が、丸メガネを押さえながら私を見つめている。先生だけでは無い、クラス中の視線が私に集まっている。

 私は慌ててノートを閉じた。

「お絵かきは美術の時間にしてくださいね~」

 カーッと顔が熱くなり、俯いて小さく頷く事しか出来なかった。注意された事より、お話を書いている事がバレるのが恥ずかしかった。

 幸い、ただラクガキしてるだけと思われていたようだが、授業が終わるまで居心地の悪さが消える事はなかった。






(ああ、もう恥ずかしい!)

 家に帰る途中になってもラスメイト達の視線が脳裏から消えない。私のような人間にとって数人以上から注目される、というのは余りに過ぎた状況だ。それがしかも、セルフトピアを描いていた時に!

 私は……正直、創作活動を恥じていた。理由を問われると難しい。だが、自分が書いた文章も、描いた絵も、そういった自分が作った物を見られるのに躊躇する。

 現にセルフトピアの事は誰にも言っていない。空想遊びに耽っていると思われそうだからだ。

それに、そんな事を話すような相手も居なかった。

 父とはほぼ会話らしい会話などしないし、母はいつも一方的に自分の話をするばかりだ。

友達らしい友達もおらず、普段会話するようなクラスメイト達とは距離を感じる。

グループになった時、私以外はちょっとした軽口や悪口を言い合う。でも私には言わない。私も言わない。その状況にとても壁を感じる。

でも、どうしてそんな必要あるんだろう。

私の理解者はどこにも居ない。この世界には。


オートロックマンションの玄関扉に手をかけると、、ガラスに自分が写っていた。

 その容姿に眼を伏せた。

 ワカメのような黒髪、太い手足、ぼんやりとした顔、大きい身長が嫌でなってしまった猫背。

こんな姿の私に対して、セルフトピアの姿はエルフのような美しさだ。

肩まで伸びたサラサラの金髪、長い睫が生えた切れ長の瞳。細く長い手足。エリーヌなんて名前も随分仰々しい。

コンプレックスを裏返したような容姿に我ながら呆れる。

確かにセルフトピアの設定を描く時、旅行者の手記として書いた。そうしてる内に作者も妄想した。それがエリーヌだ。

「ただいまぁ」

 なんて言っても返事は無い。今日、母はパートに出ている。

 ソファーへ鞄を投げる。軽快に跳ねる。

3LDKの我が家は綺麗で広い。父の音楽趣味が高じて置いてある、やたら大きなスピーカーが目立つ。冷蔵庫を開くとチーズやハムと言ったワインのつまみばかり入っている。ミネラルウォーターを取り出し、コップに注ぎ飲み干す。

続きでも描こうと思い、鞄を開けて舌打ちした。創作ノートを、机の中に入れっぱなしだった。





面倒だ、と思いつつも私は学校へ戻った。

片道二十分も無い道を戻るのはそう手間でも無かったし、万が一にでも他人に見られる訳にはいかない。

(どうして? 見て貰えばいいじゃない)

頭の中で私自身が問いかける。

 無理だよ。だって絶対バカにされるもん。自分で思い描いた世界に陶酔してます、なんて。

(大丈夫だよ。他人と打ち解けあうならまず自分が心を開かないと。例え隠してる事を言わなくとも、何か隠してる事は他人に伝わるものだよ)

そんな事してまで打ち解けあう必要無い。

(嘘。独りは寂しいくせに。だからセルフトピアの彼らに会える事が嬉しいんでしょう? 必要が無いなんて言って、本当は他人に自分の内面を知られるのが怖いんでしょう)

そうだよ、怖いよ。私やセルフトピアを否定される事が。それに気を使ったり使われたりする関係も嫌。私は自然体で居たい。そして、それが出来るのはセルフトピアだけなの。だから、現実はどうでもいい。

(本当に? 永遠にずっとそうやって妄想にかじりついてるつもり?)

「……本当にね」

 教室に続く廊下を速足で歩きながら、ぽつり呟く。

自問自答するくらいには、今の状況がよろしく無い事は分かっている。でも駄目なのだ。現実の私は、どうしようも無いくらい臆病者で頑固者なんだ。

 そしてどうしてもあの存在だけは、セルフトピアだけは他人に話せない。あれは私だけの物。わたしだけのファンタジー。


ガラッと扉を開いて眼に飛び込んだ光景に悲鳴をあげそうになった。

赤い西日が窓から差し込んでいる。教室の真ん中に金髪を二つ結びにしたギャル生徒が立っていた。腿を露わにしたミニスカートに、ピンク色のカーディガンを羽織っている。

その指で捲っているのは、ノートだ。青い大学ノート。表の下に黒マジックで大きく書いてある名前は、黒崎絵里。

 扉を開いたまま、硬直していた。隠れた方がいいのか、このまま教室へ入った方がいいのか。何か声をかけた方がいいのか、黙っていた方がいいのか。何も分からない。

ただ頭の中が真っ白になって心臓がバクバクと鳴る。

十数秒もそうしていたと思う。ようやく気付いた彼女が「アッ!」と声を上げた。

「黒崎さん! もしかしてコレ?」

 ヒラヒラと掲げているのは私のノート。セルフトピアの事が描かれた私の秘密。

 井上結衣さん。私の斜め前に座っている人。話したことは無い。

「あ……え……」

 言葉が出ない。勝手に見られて怒りたい気持ちがある。でも怒るのが申し訳ない気持ちがある。初めて話す人との緊張がある。様々な感情が混ざって、結局出て来るのは吃音だけ。

「か、か、か、か……かばん……」

「ん?」

 どもる私に、井上さんが首を傾げて苦笑を浮かべた。

「鞄に入れ忘れて……み、み、見ないで……」

 未だ開いたままのノートが恐ろしい。そこからドロドロ流れて出る恥部を止めて欲しい。

「あ、ごめん! ごめんなさい! 勝手に見る気は無かったの。偶然、さっきノートが落ちたの。それで魔が差して……。授業中見えちゃったんだけど、すっごい上手だったから……」

 井上さんはバツが悪そうにノートを差し出した。俯きながら受け取る。手が震えてしまっていた。見た目で人を判断するつもりは無い。だがやはり、井上さんのような自信に満ちたファッションの人と対峙するのは恐怖してしまう。

「じゃ、じゃ……」

 精一杯言えたのはそれだけだった。踵を返した私の腕を掴まれた。

「待って! お願い、もうちょっと見せて!」

 黒板に夕日が反射している。2人の影が廊下まで伸びていた。

「それ、黒崎さんが描いたんでしょ? すごいよ、設定びっしりで……。読んでるだけで私まで冒険してる気になってきちゃった」

 後ろを振り返る事が出来ない。耳まで真っ赤になっているのがばれないと良い。

「私、ファンタジー作品って昔から好きで……”ナルニア国物語”とか”ハリー・ポッター”とか……」

「私も……」

 口の中がからからに乾いている。声がささくれだった咽に引っかかりそうだ。

「両方好きです……あとエルマーの冒険とか」

「私も! エルマー超好き! もも色の棒付きキャンディー!」

 唐突に叫ぶその言葉に失笑が漏れた。私もあのキャンディーには思いはせた。母と「もも色の棒」付きキャンディーなのか、「もも色の」棒付きキャンディーなのか言い合った。

 ノートをぎゅっ握って、井上さんの顔を見る。

くりくりとした瞳、にっこり笑う口は八重歯が印象的だ。ほっそりとした身体はアイドルのようだった。

「ね、ね、じゃあ”はてしない物語”は? 私、あれが一番好き!」

 なんてこった。とても趣味が合う。

「私も……。お話しに入る描写が上手くて、わくわくします」

「分かる! 自分がバスチアンの立場みたいな気分になってくるの!」

 両手を組んで「くぅ~」と笑う。

可愛い。素直にそう思った。彼女の天真爛漫さが愛おしかった。

「ねえ、お願い。見ちゃ駄目?」

 心臓が高鳴り始めた。彼女になら見せても良い気がしていた。きっと笑ったりしない……と思う。でも、見せる必要なんてあるのだろうか? 気持ちは定まらなかったが、どのみち”臆病者”の私には他人の頼みを断る事なんて出来なかった。

「笑わないで……」

 声が震えた。眼に涙が溜まっていた。情けないとか、怖いとか色々だ。

「笑わないよ!」

 今日持ってたノートはアパイトの設定集だった。

エリーヌが出会った剣闘士、精霊たちが描かれている。

 井上さんは鼻息をフンフン鳴らしながら読んでいた。

「素敵! 精霊は村人たちの神輿みたいなものね」

 なるほど。言われてみると確かに喧嘩神輿のようなものかもしれない。他人に見せる事で新鮮な見解が得られた。

井上さんは最後まで少しも笑ったりしなかった。「可愛い!」とか「かっこいい!」と私のセルフトピアを褒めてくれた。

「ねえ、このノートって何冊あるの?」

 半分ほど読んだ時、顔をあげた。

「……か、数えてないから分からないです」

 嘘だった。既にノートはこれで18冊目だ。それを正直に言ったら引かれると思った。

「家にまだあるの? 私、セルフトピアの話、一から読みたいな! 今度、持ってきてくれない?」

 瑪瑙のような瞳だ。その発言に邪な気持ちなど無いのだろう。人生において、そんなもの持つ必要が無かったに違いない。

「……い、いいですよ」

私は断れなかった。臆病と同時に井上さんの不思議な魔力に押されていた。子供に頼まれたお願いのように断り辛かった。

「やった! 約束! 約束だよ!」

 そう言って私の手を握る。暖かい井上さんと対照的に、私の手は氷のように冷たかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る