わたしだけのファンタジー
カエデ
お目覚めは異世界でした。
「エリーヌ、どう? 進んでる? アップルティーのお代わりは?」
ミーファがわざとらしく大きな声を出した。さっきから羽ペンをくわえてばかりで、原稿は真っ白。分かって聞いているのだ。
「お代わりは貰う……」
うなるような声で答えると、彼女は恰幅の良い身体を振るわせ笑った。頭の上にある耳とピンと延びたヒゲも一緒に揺れる。ミーファが言う。
「かれこれ三杯目になるけど、ちぃ~っとも筆が進まないねえ。あんたの紀行読んだ時はこんな天才が居るもんだ、と感心したけどやっぱり苦労してんだねぇ」
「私なんて凡才も良い所だよ……」
「私ら獣人からしたら純人間たちゃ色んな才能に溢れてるよ」
「やめてよ、そんな言い方……」
そう、ミーファは猫の獣人だ。原稿を書く時は彼女の喫茶店でと決めている。
ペリカン新聞の大人気コーナー「紀行:世界のキセキ」
その謎に包まれた著者は何を隠そう私だ。知っているのは編集部とミーファを含めた知り合い三人だけ。余り大っぴらにしてしまうと、取材がしにくいからだ。
巨大なブヤの木を切り抜いた店内はいつも違う香りに包まれ、新鮮な気持ちにしてくれる。お手製の木の実サラダや紅茶は毎日食べ通っても飽きない。
「最初は金髪でツンとすましたイケすかない人間が来たと思ったけど……今じゃすっかりな有様だよ」
私はこのあけすけなミーファの語り口調が好きだった。言いながらコポコポと注がれる紅茶から湯気がたつ。言葉は荒くても彼女は優しい女主人だ。
「お陰様で! もうカッコつけるのも辞めました! 。あーもう、だめ! 全然書けない!」
私がペンを放り投げると同時に、扉のベルが来客を告げる。
「おや、アベルとカインのお二人じゃないか。いらっしゃい」
ミーファの声に眼鏡をかけた犬の頭をした獣人アベルが「どうも」と会釈した。その後ろではトカゲの獣人カインが「シィー」と舌を鳴らす。
アベルがふと、こちらを見てニッコリ微笑んだ。
「やぁエリーヌ。新しい紀行かい? 楽しみだね」
「あ、いや……まだ全然書けてないんで……」
頬が赤くなるのを感じてサッと顔を伏せた。アベルはそれに気づいているのかいないのか、隣の客席へ優雅に座った。カインが対象的にドッカと座る。
「ミーファ、僕はホットミルク。カインは……」
「オレ腹減ったッスよ!」
カインの必要以上に大きな声が店内に響く。
「……だ、そうで。何か食べ物をください」
「ウチにゃ肉類の料理は無いよ。それでも良いんだね」
カインはどうも宜しくないようで「シィイー!」と舌を鳴らしたが、アベルの「カイン?」という言葉を聞いて瞳孔が縮こまった。
「ハイ……大丈夫ッス……何でも……」
ミーファが肩をすくめ奥の厨房へと入っていく。
「エリーヌ、こないだのセパクレトへ行った時の読んだよ。相変わらずの慧眼、恐れ入るよ」
アベルの席へ、窓から陽光が差し込んだ。スポットライトのように照らされ、眼鏡に反射した。まるで彼のための演出のようである。
二人にバレないようこっそりと深呼吸をして、落ち着いた表情を作る。
「ありがとう。砂漠地方の人たちの生活に興味があったの。ほら、ネクロマンサーを始め黒魔術が盛んな地域だから良い噂を聞かないでしょう? でも私は真実を知りたかったのよ」
「うん、正直僕も貴女の記事を読むまでそんな印象を持っていた。自分の無知さ、そして浅はかさを恥じたよ。彼らはただ僕らと違った死の向き合い方をしているだけなんだね」
「そうなのよ!」
思わずパン! と手を鳴らすとカインがビクッと身を震わせた。
「彼らは死を崇拝しているの。決して命を弄んでいる訳じゃなかった。私達のよう生ありきでは無く、死ありきとしての文化を持っているわ。あの夜のお祭り……あの光景をどうしたら上手く文章として伝える事が出来るのか。正直言って今でもあの神秘さを伝えきれたとは思えない。今、目を瞑っても思い出す事が出来るわ……」
うっとりと、三ヶ月前に見た幻想的な祭りを思い出していたが、すぐハッと我に返った。
「あ、あはは……つい熱が入っちゃった……」
長いトカゲの舌を垂らして呆然とするカイン、ただ黙って微笑んでいるアベル。二人の視線に身を縮ませる。
「エリーヌの取材に対する姿勢は実に真摯だ。僕らも見習うわなくては」
一礼。まこと紳士なのである。そこまでされては恐縮だ。
「そ、そんな! アベルの研究だってとっても素晴らしいわ! 種族文化学なんて誰もやろうとすら思わなかったもの!」
慌てて私が言うとカインがウンウンとうなづく。
「そうッスよ! オレはセンセーの研究は世界を救うと思ってるッス!」
少々大げさな言葉にアベルが苦笑いを浮かべる。
「世界平和か。そんな大げさなものでは無いけど、そうだね、僕の研究が少しでも別種族間の架け橋にでもなったら……こんなに嬉しい事は無いよ」
「そうッス! センセーは偉大な研究者ッス!」
その言葉を聞いたアベルが眼鏡を持って固まった。それはアベルの何か思慮を巡らせる時の癖だという事を、私は知っていた。
「……曲がりなりにも研究をしている身として、エリーヌ、君の紀行には目を見張るものがある。それは卓越した文章、綿密な研究とはまた別にある……何て言うかな、君の見解の広さだ」
アベルの小さな瞳が、眼鏡の奥でキラリと光る。その視線で射抜かれ、私の心臓は小さく跳ねた。
「そうそうそう! そうなのよ!」
ホットミルクと野菜の沢山挟まれたサンドイッチを持ったミーファが厨房から現れた。
二人の机にそれぞれ並べながら続ける。
「あたしもそれすっごい思ってたんだよ! ほら、地方の旅人なんかが来た時にさ、全然違う風習に驚かされたりするじゃない? と、同時に彼らの話す内容にもハッとするの。無自覚にしていたあたし達の行動がさ、言われてみたら変よね、これ、みたいな……。ううん、上手く言えないわ」
「いや、ミーファ、分かるよ」
アベルがズッとミルクを一口すする。口周りの毛が白くなるのが愛らしい。カインは目の前のサンドイッチ以外何も見えていないようで、夢中でバクバクと食べていた。
「我々の精神を司る物、それは価値観だ。産まれ育った環境により育てられる善悪感情。こいつは中々客観視出来ない、精神の活動は無意識だからね。だからこそ我々文化研究者は常に新鮮な目線を持たなくてはならない。常に自分は異国に居るのだと、意識させるんだ」
そこまで言ったアベルが眼鏡を持って、また固まる。
「……のつもりだが、エリーヌ。君のその洞察力は、異国の者すら卓越した瑞々しい価値観だ。そう、まるで異世界……」
平静を装うのに必死だ。アベルもまた”良い嗅覚”をしているじゃないか。
ミーファがフンフンと鼻息を荒くした。
「そうよ! 教えて! エリーヌってば自分の事全然話してくれないんだもの!」
アベル、ミーファ、そしてサンドイッチを食べ終えたカインまでもがジッとこちらを見つめた。ああ、まずい。
すっかり飲み干してしまった紅茶カップをカチャリ、と置いた。
「いいわ、教えてあげる。私が紀行を書く上で絶対欠かせないものよ。それが無きゃ、アベル、あなたの言う通り新鮮な観察眼を養えなかったわ。それはね……」
私が三人を見つめ返すと、ミーファ、カインの瞳孔がキュッキュッと小さくなっていた。
「それは……?」
アベルがごくり、と唾を飲み込んだ。
「それは……睡眠よ」
二人の小さくなった瞳孔がシュンと戻った。アベルの眼鏡がズリ落ちる。私は続けた。
「睡眠、それは生き物に必要不可欠な事よ。眠る事によって人は育つの。食事だってそうだけど、睡眠の方は皆ないがしろにしがちね。良き睡眠は人間を育てるの」
突然、カインがギョロッとした目を瞑って椅子に身を投げ出した。そしてわざとらしくイビキをかきはじめる。
アベルが「カイン、やめなさい」と言った。カインは「センセー、オレ今寝てるんス」と答えた。
「もぉー何よぉ、はぐらかしちゃってぇ……」
ミーファがプゥと頬を膨らます。
「は、はぐらかしてなんか無いわ! あのね、私良く夢を見るの」
「夢?」
ミーファが首を傾げる。
「そう。ここ”セルフトピア”とは全く違う世界で全然違う姿の生活してる夢。とーっても不思議な夢。いつも私を新鮮な気分にさせてくれるの」
「うう~ん。獣人のあたしには分からないねえ。夢なんてそうそう見ないし」
肩をすくめるミーファとは別に、アベルがクックッと笑った。
「なるほどね。夢か。確かに古来より夢は発想の源泉ともされて来たからね。夢……夢か。なるほど」
「そう! そうなのよ! ああ、もう! 今日は全然書けないのも睡眠不足が原因ね! ミーファ、悪いけどまた上の部屋貸してくれる?」
私はバタバタと羽ペンや羊皮紙を鞄にしまい込む。
「それは構わないけど……今から寝るのかい? こんな真っ昼間から?」
「昨日全然寝てないの! これ、紅茶のお金! ごちそうさま!」
机の上へぶっきらぼうに小銭をジャラジャラと置いた。
「ちょ、ちょっと! うちの紅茶はこんなにしないよ!」
「部屋の借り代!」
私はそう叫びながら階段を駆け上がっていった。横目でミーファとアベルが目を見合わせ肩をすくめているのを見た。
ゲスト、と書かれた扉を開くと、丸いフカフカのベッドが目に入った。部屋を囲うように置かれた色とりどりの花が出迎える。
「ああ、もうアベルったら勘が良いんだから」
一人ブツブツと呟きながらベッドにもぐり込む。いや、本当に勘だろうか? 正直、頭の良さでは圧倒的に彼の方が上だろう。もしかしたらもう私の正体に気づいて、分かった上でからかっているのだろうか。
「まさか……ね」
そんなバカな事ある訳ない。例え何か分かった所で、まさか
彼に出来るのは私に問うだけだ。それに私だって嘘をついた訳では無い。
「睡眠は大事よ、特に私の紀行には、ね」
ああ、こっちの布団はまるで羽根そのものに包まれているような柔らかさだ。この布団はいつだってすぐに寝入る事が出来る。
「おやすみ、エリーヌ」
立てかけてある鏡にそう告げるとあっと言う間に眠りの世界へ入った。
* * * * * * *
すぐさまけたたましい目覚まし時計のアラームが、私を現実へ引き戻す。
けついさっき眠ったというのに、いつも熟睡したように頭が働かない。
バン! と手刀を食らわせると、時計は床に転がっていった。
「う、うぅ~ん……」
呻いて伸びをしながら上体を起こす。大衆家具屋で買った安物ベッドは、あちらの羽毛と比べるのもおこがましい。無粋に鉄パイプがギッギッと鳴く事だってない。。
ぼんやりと部屋を見回す。吊された制服、剥がれかけたアニメのポスター、使い古した勉強机。そして姿見に写る、ボサボサ黒髪のひっどい寝起き顔。
私だ。さっきまでの私とは違う私だ。
「おはよう、黒崎絵里」
……なんてね。睡眠は本当に大事だ。
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