5-6


 俺は一つの扉の前で立ち止まった。そこには『文芸部』の文字。

 この中に吉永さんが居る。そう思うと、なんだかさっきまでの決意が揺らぎ始めた。

 実際、俺の足はほんの少し震えていた。毎回、この教室に来る度にビビってる気がする。

 なんとか気持ちを落ち着けようと深呼吸を何度か繰り返したところで。

 目の前の扉が音を立てて開いた。

 その先には訝しげな面持ちの吉永さん。

「いつまでそこに居るんだよ」

「え、と。いつまでだろうね?」

 この展開、どこかで経験したことあるような。

「早く入れば?」

 そう言って吉永さんは俺を部室へ招き入れた。

「じゃあ、お邪魔します……」

 そこは相変わらず、物がほとんどない教室だった。

 部屋の中心に置かれた長机と二つのパイプ椅子。スカスカの本棚。

 この前来たときと違うのは、机の上に本が置かれていないことと、カーテンが開かれて少し部屋全体が明るいことくらいか。

 俺は机を挟んで入り口に近い方のパイプ椅子に腰を掛けた。

 吉永さんもその向かい側に座る。

「…………」

「…………」

 二人とも特に言葉を発すことなく、沈黙が流れた。

 俺の位置からでは吉永さんの表情が窺えない。窓から零れる西日の逆光で、彼女の影しか俺の視界には映ってなかった。

 俺が今、必死に言葉を探している。

 雲雀の説明のおかげで、俺が鴇ちゃんと遊びに行ったのが気に食わなかった、という点は理解している。

 しかし、内容が内容だけに、どうにも俺から切り出しにくい。

 どう言い回しても、「俺が他の女と遊んでたのが気に食わなかったんだろ?」みたいな感じの高飛車な勘違い男の発言にしかならない。

 それに、もしこれらの予測が雲雀の勘違いだったりしてみろ。その暁には歴史史上最高にイタイ男として教科書に載るわ。

 以上の事より、こっちから口を開くのは憚られる。

 しかし、いつまでもこのまま沈黙を続けるのも精神的に耐え難い。

 どうするのがベストな解答なんだ? 最悪、天気の話をする羽目になるぞ。

 などと、頭の中でグルグルと考えてを巡らせていると。

「なあ……」

「ぅえ!? あっ、何?」

 突然吉永さんが口を開いた。

 思考に耽っていた俺は思わず、素っ頓狂な声を上げた。

「お前、あたしのこと好きなんだろ……?」

「うん……」

 ――って。

「ええええッッ!!?」

 吉永さんの爆弾発言に、今度は椅子がひっくり返るくらいの勢いで驚いた。

 急にどうしたんだ? まさか吉永さんの方からイタイ発言が飛び出すとは思ってもいなかったんだが。

 逆光で表情が読めないから、今の発言の意図が汲み取れない。

「ど……、どこが、好きなんだ……? あたしの……」

 消え入りそうな吉永さんの声が目の前から聞こえてきた。

 声音から想像するに、きっと彼女は林檎のように顔を紅潮させているに違いない。

「なんでそんなこと聞くの?」

「いいから……! 全部、ってのは無しな」

 迷走する吉永さん。ひょっとして熱でもあるのかな。

 本人を目の前にして、好きな所を挙げるなんて恥ずかし過ぎる。

 でもなんだか、目の前から有無を言わせない圧が掛かってきてる気がするから。俺はその言葉に素直に従うことにした。

「えーと……、顔……?」

「は?」

「嘘! 冗談! いや、顔が可愛くて好きなのは事実なんだけど……。とにかくごめん!」

 声音が冷えるのを感じて、俺は大慌てで取り繕った。

「では、改めまして……」

 コホン、とわざとらしく小さな咳払いをして、俺は正面を向いた。

「笑顔が、好き」

 結局顔じゃん、と言われそうだが。これは少し違う。俺が吉永さんに惚れるきっかけになったことだ。だから、最初にこれを言わなければ始まらない。

 そして、続ける。

「ぶっきらぼうだけど、律儀に挨拶を返してくれるところが好き。本を読んでいるときの姿勢と目元が好き。なんだかんだ言っても、最終的に優しくしてくれるところが好き」

 俺はこの約三か月間の、吉永さんとの思い出を振り返る。どれも、大事な記憶ばかりだ。

「昼休みにおかずを分けてくれるところと、勉強を教えてくれるところが好き。俺の、馬鹿みたいな行動を許容してくれるところが好き。あと『萌え萌えキュン』やってくれるところも」

 俺の恥ずかしい暴露を、吉永さんは黙ったまま聞いていた。

 特にリアクションが返ってこないことに一瞬不安を覚えたが。今更気にしても仕方がないことに気が付いたので、構わずに更に続ける。

「前にも言ったけど、切れ長の奥二重も可愛くて好き。高身長でスタイル良いところも好き。毛先が刎ねてるところも好き。それから――」

「もう……、いいから!」

 ここで、吉永さんから静止が入った。

 俺は言葉を切って、彼女の顔を見つめる。まあ、逆光で見えてないんだけど。

「十分、伝わったから……」

「それは、良かったです……」

 良かったのかな……? なんかお互いに恥ずかしい思いしただけのような気もするけど。

「で、俺はなんで言わされたの?」

「…………」

 俺の疑問に答えず、吉永さんは席を立つ。

 長机を迂回して、俺の脇までゆっくりと移動してきた。俺は椅子に座ったまま、彼女を見上げる形になる。

 顔が赤いのは羞恥からか、夕日に照らされているからか。またはその両方か。

 ここで初めて、吉永さんの表情が見て取れた。彼女は恥ずかしさを堪えるように自分の唇を噛んでいる。

 何か言いたそうに表情を一転二転させ、口をモゴモゴと動かして。

 やがて、決心したように口を開いた。

「私は……」

 その切れ長の目で俺を真っ直ぐに見つめ。

「お前のそういうところが……」

 小さな声で、されどはっきりと。


「好き」


 時が止まった。と、俺は錯覚した。

 全ての音が抜け落ち、不自然なまでの静寂が世界を支配する。この空間で、馬鹿でかい自分の心臓の音だけが時を刻む。

 その間、俺と吉永さんの視線はずっと、絡まり合ったままだった。

「それと、昨日はごめん。ちょっと……、態度が悪かった。かも」

 吉永さんが続けたその言葉を合図に、再び時間は動き出した。

 俺は混乱する脳みそでどうにか現状の理解を図ろうとするが、できない。

「いや……。気にしないで……」

 そう口にするのが精一杯だった。

 え? 本当に理解が追い付かない。俺は今、告白されたのか? 吉永さんから? そんな馬鹿なことがあるか。

「じゃあ、そういうことだから……」

 吉永さんは俺に背を向けた。

「え……と。どういうこと?」

「言葉の意味そのままだっての」

 半分だけこっちを振り返って、吉永さんは呆れ顔で俺を見る。

「マジか……」

 吉永さんは、俺のことが好き、ね……。


 マジかあぁぁあああぁぁぁぁぁぁッッ!!!!


 ようやく脳内の現状を把握できたところで、俺は心の中で雄叫びをあげた。

 ちょ、マジで。ほんと!? え……、はあ!? ちょ、はああッ!?

 いかん。物凄い喜びとそれを更に凌ぐ驚きで、俺の感情がパンクしそうだ。

「いつまで呆けてんだよ」

 激しく動揺する俺に、スクールバッグを手にした吉永さんが声を掛けてくる。

「早く行くぞ」

「え? どこに?」

 首を傾げる。どこか行く予定なんてあったっけ?

 頭の上にクエッションマークを浮かべた俺を見て、吉永さんはやれやれと首を振り。

「行くんだろ? デート」

 右手を差し出してくる。

 俺はそれを呆然と見つめた。

「雲雀が、凄く行きたかった猫カフェのチケット、二枚くれたからさ……」

 嬉しそうに、ほんの少しだけ柔らかい表情で笑う吉永さん。

 あの冬の日以来に吉永さんの笑顔を見た俺は、同じように彼女に笑顔を返す。

「もちろん。行くよ」

 差し伸べられた手を。好きな人の手を、確かに握り締めた。

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