5-5

「なあ、花鶏」

「…………」

「そろそろ元気だせよ」

「いつまでウジウジしてんのよ」

「…………」

「な?」

「…………」

 俺は机からゆっくりと顔を上げて。

「生きるのが辛い」

「お前、そんなにかよ」

「賽の河原で石積んでる方がまだマシだ」

 俺は再び机に顔を埋めた。

「昨日からずっとこんな調子なんだよ」

「そうね……」

 雲雀と夜鷹の会話が耳に届く。

 現在は放課後。場所は教室。

 今日は部活が休みなので、こうやって雲雀と夜鷹が俺を慰めようと奮起してくれている。

 しかし正直こいつらの慰めも、俺の負ったダメージには焼け石に水だった。

「信じられるか? こいつ、昨日部活中にオウンゴールでハットトリック決めたんだぜ?」

「エースストライカーじゃない」

「おかげで、佐藤監督の説教に巻き添え食らったよ」

「ほんと、いい迷惑ね」

「…………」

 俺のこと慰める気ねえだろ。

「でも、こんな状態の花鶏を見続けるのは辛いよな」

「そうね……」

 お前ら……。なんだかんだ言って、俺のこと気に掛けてくれてるんだな……。

 流石、俺の親友と幼馴染だ。

「気色悪いよな」

「はっきり言って鬱陶しいわね」

 死ね!!

 俺のちょっとした喜びを返せ。感動して損したわ。

 あれ? でも、今のツッコミで少し元気が出たかもしれない。ほんの気休め程度だが。

 でも、立ち直るには言葉なんかでは足りない。かなり長い時間を掛けて、徐々に忘れていくしか方法は無さそうだった。

 というか。吉永さんのことを本当に忘れられるかも正直怪しい。ひょっとして、一生引きずって、この生き地獄のような生活を続けることになるんじゃないだろうか。

 そう考えると、怖くて震えが止まらねえ。恐怖で失禁しそう。

 なんて、ネガティブなことを考えていると。

 急に教室のドアが勢い良く開く音が教室内に響き渡った。

「お待たせしました!」

 続いて、馬鹿でかい声が俺の名前を呼ぶ。

 俺は驚いて跳び上がった。

 入り口の方に視線を移すと、そこには一人の少女の姿。

「一ノ瀬鴇。只今参上であります!」

 なんだよ、鴇ちゃんかよ……。危うく漏らすとこだったぞ。

「聞きましたよ、花鶏先輩」

 ずかずかと上級生の教室に入り込んできた鴇ちゃん。こっちまでやって来て、机に突っ伏した俺を見下ろし。

「浮気したそうですね! 屑ですね!」

 満面の笑みを俺に向ける鴇ちゃん。心底楽しく堪らないといった表情。

「お前ら死体蹴り大好きかよ」

 慰める気があるならもっと優しくしろよ。ないならすっこんでろ!

「ツッコむ元気があるならまだ大丈夫ですね。良かったです」

「それで? 一体お前は何しに来たんだよ」

 俺の問いかけに対して、鴇ちゃんは思い出したかのように手をポンと叩いた。

「そうでした。私は花鶏先輩の不幸を嘲笑いに来たわけじゃないんです」

 それは良かった。本当にそれだけだったら、今頃窓の外に放り出してるとこだったぞ。

「大体の事情は新田先輩から聞きました」

 雲雀に視線を送る。俺の視線に気が付いた彼女はグッと親指を立てた。本当に余計な事してくれたな、おい。

「私も花鶏先輩のリベンジマッチに一枚噛んでやろうと思いまして」

「勿体ぶってないでさっさと言えよ」

 俺の催促に、鴇ちゃんは不気味に口元を歪ませる。

 はっきり言って、嫌な予感しかしない。

「ふっふっふ……。実は、金糸雀先輩を呼び出しておいたんです。今、文芸部室で花鶏先輩を待っていますよ!」

 妖しい笑みから一転、渾身のドヤ顔。身体の前でダブルピースを作った。

「マジか」

「マジ、です!」

 俺は全く相手にされなかったのに、どうやってそこまでこじつけたんだ? ひょっとして、やはり鴇ちゃんは天才なのか。

「こうなったのには、私にも少しは責任があるので……」

 そう言って、鴇ちゃんは雲雀に視線を送る。互いに目配せして、互いに苦笑した。

 目で意思疎通を図れるなんて、流石女子同士だな。というかお前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ。

 鴇ちゃんはやれやれと首を振った後、大袈裟に肩を叩いて苦労をアピールする。

「色々苦労したんですよ? 金糸雀先輩は割と頑固なところがあるので」

 二人で吉永さんを宥めて、俺に機会をくれたってことか?

「早く行ってください。じゃないと、痺れを切らして帰っちゃうかもしれませんよ?」

 俺は自分の席から立ち上がった。

 吉永さんが待つ文芸部室へ向かおうと、足を一歩踏み出したところで。

「いやあ、でも。心の準備というか……」

 ヘタレ、発動。

 場所のセッティングまでしてくれたのは本当にありがたいんだけど。肝心の、俺自身に勇気が足りない。

 たぶん、俺は怖いのだ。

 好きな人に、正面から拒絶されることが怖くて仕方がない。だから、いつもその好意を茶化して。ちゃんと向き合って告白もできていないんだと思う。

「あんた、ここぞというところで本当にダメね」

 横から会話に割り込んでくる雲雀。その顔は心底呆れかえった面持ち。

「しっかりしなさい。金糸雀ちゃんを説得するのに、私もかなりの労力を割いたんだから」

「え? お前も?」

「そ、そうよ。前にも言ったでしょ? あんたには、その……。夜鷹と……、くっつけてもらったときの借りがあるって……」

 少しだけ照れくさそうにする雲雀。恥ずかしがって俺と目線を合わせようとはしないが、それでも彼女の気持ちはちゃんと俺に伝わっている。

「確かに、信じらんないくらい強引だったけど……。待って……。思い出したら腹が立ってきたわ。ほんとに信じらんない……!」

 昔のことを思い出して、徐々に怒りを露わにする雲雀。

 だが、それもすぐに引っ込んで、いつもよりも数倍優しい口調で俺に語り掛ける。

「でも。一応、感謝はしてるから……。今度は私の番……」

「雲雀……」

 まさか、雲雀に応援される日が来るなんて思ってもみなかった。

「俺も感謝してるぜ、花鶏」

「なんだ、夜鷹。お前まだ居たのか」

 キメ顔で俺の視界に映り込んできた夜鷹を、俺はテキトーにあしらう。

「お前のそういうところも含めて、俺は好きだぜ?」

 マジでキモい。とりあえず、この馬鹿はスルーでよさそうだ。

 最期に、俺は鴇ちゃんに向き直る。

「私はずっと先輩を応援していましたから」

 鴇ちゃんは俺の顔を見つめて、少し困ったような笑みを浮かべた。

「先輩はエッチでムッツリでクソ童貞ですけど。好い人なので……」

「お前……。俺のことそんな風に思ってたのかよ」

 せめて、クソ童貞っていうのだけはやめてくんない?

「惚れ直しました?」

「直すもなにも、惚れてすらねえよ」

 惚れるような部分あったか? 今。

 俺は改めて、部室に行くために初めの一歩を踏み出した。

「全く、先輩はいけずですねぇ」

「一途って言ってくれない?」

 振り返ると、薄く笑う鴇ちゃんの姿が目に入った。

 三人に向かって軽く手を挙げて礼を示し、俺は教室を飛び出した。

 目的地は、吉永さんが待つ文芸部室。

 眩い西日が窓から射しこむ廊下を、俺は全力疾走で駆け抜けた。

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