5-4

「ぶええぇぇええん……。雲雀ぃぃいい……」

「ちょっと!? 気色悪いからやめてよね!!」

 俺は雲雀に泣きついていた。

「吉永さんに嫌われたよぅ……」

 俺は自分でも驚くくらい弱々しい声音で、雲雀の細い腰にしがみ付いている。

「とりあえず離れなさいよ! キモいから!!」

 頭を叩かれて頬を抓られ、強引に引き剥がされる。とどめに蹴られた。

 地面に投げ捨てられた俺は、とりあえず正座して雲雀に向き直る。

 雲雀は呆れ顔で大きな溜息をついた。

「あんた、ほんとに何やったのよ……」

「それが、本当に心当たりがありませぬ……」

 本当だ。最近はそこまで過激なことはしてなかった筈だ。

「いつも通りだった、と思うんだけど」

 あれ……?

 ここで俺はある可能性に行きつく。

 もしかしてその『いつも通り』が蓄積して、遂に吉永さんの許容限界を突破した、とか?

 考えたくはないが、在り得ない話ではなさそうだ。

 そんなん、もう詰みじゃねえか。死のう。

「そんなわけないわよ、思い出しなさい! あんたが金糸雀ちゃんに、何かやらかしたことは確実なんだから!」

「そう、なのか?」

 もしそれなら、まだマシ……かな? 一応、全力でスライディング土下座できる可能性があるわけだし。

「昼休みに、金糸雀ちゃんにあんたのこと聞いてみたのよ」

 おお……。珍しく協力的じゃねえか。ありがてえ。

 バトル漫画とかで、今まで敵だったキャラと共闘する主人公って、きっとこんな気持ちなんだろうな。って言ってる場合か。

「じゃあ『なんでもない』って。何度か聞いてみたけど、答えは同じ」

「ん? それって、俺は何もやってないってことじゃねえのか?」

 やっぱり根っこの部分から嫌われたんじゃねえか。死のう。

「あんた、馬鹿ね……?」

 精神的に瀕死状態の俺を見た雲雀は目元を歪め、呆れたような表情を浮かべた。

 俺が馬鹿なのは今に始まったことじゃない。

 もう生きている価値ないな。死のう。

「金糸雀ちゃんの性格的に、何か気に食わないことがあればはっきり口にするでしょ? あんたの、いつも通りの怖気が走るくらい気持ち悪い求愛行動が本当に嫌だったなら、もっと前に拒否反応を示していた筈よ」

「え……、うん。まあ、それはそうだな」

「それがなかったってことは、つまりあんたが昨日の間に、金糸雀ちゃんが私にも言いにくいような、何かとんでもないことをやらかしたってことになるのよ」

「なるのか……?」

「なるのよ!! 確信を持って言えるわ」

 なんか完全には納得できないけど。今一番吉永さんと長く過ごしている雲雀がこんなに自信を持って言うんだから、間違いはないのだろう。

「だから、順に昨日の記憶を辿って行きなさい。きっとそこには答えがあるわ」

「うーん……」

 昨日の記憶っつってもなぁ……。昨日は一日中いつも通りのことしかしていない。

「一方的に喋ってて『うるさい』って言われたから、黙ってじっと見つめ続けたり」

「は?」

「廊下で鴇ちゃんが吉永さんのおっぱいに顔を埋めてるのを見かけたから、俺もどさくさに紛れて抱き着こうとしてみたり。あの瞬間ほど、女に生まれたかったと思ったことはねえな」

 ちなみに、割と本気で脇腹をどつかれて咳き込んだ。

「キモ……」

 雲雀が汚物を見るような蔑んだ目で、正座する俺を見下ろしてくる。

 気にせず続ける。

「あと、昼飯のときに『おまじないやって』っつってチョコパン差し出したら、中にプチトマト詰められた」

「あんた……、いつもそんなことやってるの?」

「まあ、そうかな?」

「金糸雀ちゃん、本当に優しいよね。私だったら五回は殺してるわ」

「お前はもう少し俺に優しくなるべきだと思う」

「それで? 他には何かやってないの?」

 出たよ、完全スルー。そんなに俺に優しくするのが嫌かね?

 子供の頃は『花鶏くん、あーそぼー』ってよく家に来てたのにな。あの頃の可愛いお前はどこに行ったんだ。

「吉永さんと関わったのはそれくらいだったような気がするけど」

「うーん……。じゃあ、他の人とは?」

「他?」

「一ノ瀬さん、だっけ? いつもあんたと一緒に騒いでる女の子」

「鴇ちゃん? そーいえば、昨日の帰りに鴇ちゃんにデートの練習に付き合ってもらっ――」

 ――ドンッ!

 と。机を思いっ切り叩く音がして、俺は驚いて言葉を切った。

「どう考えたって、それが原因じゃない……!」

 目尻を吊り上げた雲雀は、キッとこっちを睨んだ。

「え。なんで怒ってんの? 俺が鴇ちゃんと遊びに行くのがダメだった?」

「ダメに決まってるじゃない! 私は金糸雀ちゃんをデートに誘えって言ったのよ!? なんで一ノ瀬さんとデートに行ってんのよ!」

 凄い剣幕で迫ってくる雲雀。今にも殴りかかって来そうな勢いだ。

「だ、だって……。いきなり本番とかキツいから……」

「あんたってもう、本当にクソね! クソだわ!」

 怒りのあまり言葉が出てこず、ボキャ貧になっている雲雀。

 そんなにクソクソ言わなくてもいいじゃねえか。

「意中の女の子がいるのに、他の娘と遊びに行くなんて。本当に何考えてるのかしら……」

「そ、そんなにマズいもんなのか?」

「当たり前でしょ!? 女の子はね、自分だけを見てもらいたいものなの!」

 雲雀は信じられない、とでも言うように、軽蔑した目で俺を見た。

 これが乙女心ってやつなのか。さっぱり分からん。

「お前もそうなのか?」

「そんなの、あたりまえじゃない」

「面倒くせえ女」

「…………。金糸雀ちゃんも、そう思ってるのよ」

「マジで!? 可愛い!」

「……。一度本気でブン殴ってやろうかしら……」

 何やら雲雀が爆発の限界寸前で震えているようだが、俺にはそんなことはどうだってよかった。俺の頭の中は今、想い人のことでいっぱいだ。

 吉永さんにも、そういう女の子らしい一面があったのか。最高かよ。ギャップ萌えって素晴らしいな。

 いや、待てよ。でも吉永さんだったら何でも『萌え』になるか。何やっても可愛いもんな。

 決定。吉永さんは何でも萌え。

「そういうことだから。ちゃんと金糸雀ちゃんの誤解、ちゃんと解いてきなさいよね」

「そうするよ。でも……」

 少し気になったことを聞いてみる。

「俺と吉永さん、別に付き合ってもないのに、お前のその乙女理論に適応されるのか?」

「そ、それは……。そんなの、当然じゃない!」

「当然なのか」

「当然よ。だからさっさと金糸雀ちゃんに謝ってきなさい」

 と、話を終えたところで。

 教室のドアが開く音。そちらに施栓を移すと、抜群のタイミングで掃除から戻ってきた吉永さんの姿。

「チャンスよ」

「よし……!」

 俺は吉永さんの方に駆けて行き。

「吉永さん!」

「…………」

 しかし彼女は応じず、目線も合わせてくれない。そのまま俺の脇を通り抜けようとした。

「ちょっと待って」

 そこで俺は思わず、過ぎ去る吉永さんの手を取った。

 しかし、俺の手がその細い手首に触れた瞬間、彼女は思いっ切り腕を振り払う。そして鋭い目で俺を睨み付け、凍えるような冷たい口調で言い放った。

「触んな、汚らわしい」

「けが……」

 途端にざわざわと騒がしかった教室が水を打ったようになった。

 そこで更に、もう既に瀕死状態の俺にとどめの一言。

「もう話し掛けんな」

 想い人の口から発せられた言葉の意味をイマイチ呑み込めず、その態勢のまま固まる俺。

「うわあ……。エグい……」

 後ろで雲雀がポツリと呟いた。

 吉永さんは石化した俺から目線を外し、荷物を持って教室を出て行く。

 教室の扉が閉まる音が教室内に虚しく響き渡った後、俺は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 オーバーキルとは、こういうことを言うんだな。

 なんというか、もう立ち直れる気が微塵もしない。

「し、しっかりしなさい! 今のはタイミングが悪かっただけよ」

「あ……? 大丈夫大丈夫。全然気にしてないから……」

「涙腺崩壊寸前の顔で強がってんじゃないわよ!?」

「俺、部活行くから……。じゃあな……」

「ちょっと、本当に大丈夫なの……?」

 心配そうに覗き込んでくる雲雀を手で制止して、俺は教室を後にした。

 『吉永さんに嫌われた』という事実が、俺の頭の中を何度も行き来する。

 これが思春期の思い出。

 これが……。

「若さ、か」

 誰に言うでもなく、ポツリと呟いた。

 それも、相手に嫌われるという最悪の結末を迎えたわけだ。まあ、自業自得と言ってしまえばそれまでだが。

 幸いにも、悲し過ぎて感情が麻痺している気がする。部活動の時間中は耐えられそうだ。なんとか自宅に着くまでは、どうか俺の精神、もってくれ。

 家なら、人目を気にせずにわんわん泣けるからな。

 枕ビッショビショにしよ。

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