3-5

「よ、吉永さん……。どうしてここに……?」

 吉永さんがスッとその鋭い双眸を細める。やだ、怖い。

「どうしてって、ここがあたしのバイト先だからだよ」

「……。マジで?」

 改めて吉永さんの全身を見た。

 さっきまではその怖い顔ばかりに目が行って気が付かなかったが、彼女は今メイド服に身を包んでいる。

 ワンピース下で見え隠れする細くて引き締まった足首。ウエストで締められたエプロンで強調された胸元。

 癖のある金髪は後頭部でひとまとめにされており、細いうなじが目に入った。

 手にはお盆を持っており、その上にはコーヒーとチョコケーキとパフェが乗っかっている。


 キューーーーーートッッ!!!


 危ねえ。もう少し失神するところだったわ。

 こ、これが噂に聞く金髪メイドさん……。まさか本当に存在していたとは。

 これはあれかな? 可愛いの具現化かな?

 超絶可愛い、です!

 最期に見た景色がこれなら、もうここで死んでしまっても悪くない。それも、愛する人の手によって、だ。

「で。何か言い残すことはあるか?」

「メイド服、似合ってる。可愛いよ!」

 俺は最高の笑顔でグッと親指を立てた。

 蹴られた。

「お前ら、覚えてろよ。月曜にまとめて病院送りにしてやる」

 お盆を持った手と逆の拳を握る吉永さん。俺は自分の死期を悟る。

 あと二日の命か。大事にしよう。

「待ってください! 金糸雀先輩!」

 ここで、今まで沈黙を貫いてきた鴇ちゃんがようやく言葉を発した。

 よし、いけ! なんとか機転を利かせて、この窮地を脱してくれ。

「私は花鶏先輩に脅されて、仕方なくここに来ました」

「ぅおおぉぉぉいぃ!? ふざけんな! 『メイドカフェに行きましょう!』って、言い出したのはお前だろうが!」

 まさかこのタイミングで、自分だけ生きながらえようとするとは。

 全力で訂正を入れたが、俺の主張を完全にスルーして、鴇ちゃんは続ける。

「メイドさんを見て、花鶏先輩は大層興奮していらっしゃいましたが、私は何とも思ってませんでした」

「よくそんな息をするように嘘をつけるな!」

「しかも、花鶏先輩は『金糸雀先輩の足に頬擦りしたい』とか『おっぱい揉みたい』とも口走っておりました」

「それも全部、言ったのお前だろ」

 もうツッコむのも面倒くさくなってきた。

 見ろよ。鴇ちゃんの意味不明な言い訳のせいで、吉永さんが再沸騰してるじゃねえか。

「鴇。お前最近、ちょっと調子に乗り過ぎてないか?」

「え!? いや……、毎日謙虚に生きてます、よ?」

 蛇に睨まれた蛙のようになる鴇ちゃん。顔からさーっと血の気が引いていく。

「この前、もうここには来るなって何度も言ったよな? しかも、今回はこいつまで連れてきやがって……」

 そう言って俺を指差す吉永さん。

「えっと、その……」

「え? 鴇ちゃん、ここは初めてって言ってなかったか?」

「わ、私にも色々と事情がありまして……」

「…………」

 あっちこっちに目を泳がせながら、必死に言い訳を考えている様子。

 しかし、続く言葉が出てこなくなって、鴇ちゃんは覚悟を決めたように目を閉じた。

 そして。

「もう、本当にすみませんでした!!」

 流れるように地面に土下座。

 客観的に見れば、主の方がメイドに頭を下げている状況である。

「ったく……」

 吉永さんはその様子を見て、呆れたように態度を軟化させる。

「まあ、お前の罰は後日考えるとして。とりあえず――」

 吉永さんは店の出口を指して。

「おかえりくださいませ、ご主人様」

 先ほどに比べればまだマシだが、それでも有無を言わせないほどの強さが吉永さんの発言に含まれている。

「嫌だ!」

 しかし、俺は吉永さんの言葉を真っ向から拒否した。

「せ、先輩!? 自殺行為です、死ぬつもりですか!?」

 ええい。隣でやかましいわ!

「俺は今日、メイドさんに『萌え萌えキュン!』をやってもらいに来たんだ!」

「は?」

 吉永さんの顔が歪み、ゴミを見るような目で俺を見下す。

 だが、俺はその程度では怯みはしない。

 男には、引けない時がある! そして、今がその時だ!

「今、目の前にはメイド服姿の吉永さん! つまりこれは吉永さんにおまじないをかけてもらえるということ!」

「あたしはやってあげるなんて一言も言ってないけどな」

「この機会を逃すことができるだろうか。いや、できない! それがたとえ、命を落とす結果になったとしても、だ!」

 ふう、言い切ってやったぜ。実はもうほとんどヤケクソなんだけど。

「せ、先輩……! かっこいいです……。見事な散り際でした」

 おい、俺を死人扱いしてんじゃねえよ。元はといえば全部お前のせいだろうが。

「お前ら、揃いも揃って……」

 あ、やばい。吉永さんが爆発寸前だ。だって、ほら。こめかみに青筋が浮かんでいるもの。

ちょっと二人でおふざけが過ぎたかもしれない。

 俺と鴇ちゃんは死を覚悟した、すぐ後だった。

「こら、カナちゃん」

 と、救いの声が飛んでくる。

 驚いてそちらに視線を向けると、そこには最初に俺たちを迎えてくれた黒髪ロングのメイドさんの姿。

「ダメよ、ご主人様の言うことはちゃんと聞かなきゃ」

「先輩……」

 彼女は吉永さんに近付きながら、穏やかに窘める。

 なるほど、彼女は吉永さんの先輩メイドなのか。道理で気品に溢れていると思ったぜ。

「申し訳ありません、ご主人様。うちのメイドが大変失礼を致しました」

 こちらに向かって丁寧に頭を下げる先輩メイドさん。

「い、いえいえ。全然大丈夫なんで!」

 俺は慌てて、身体の前で手をぶんぶんと振った。

 そんなにかしこまられては、こちらとしても返事に困る。というか、どっちかといえばこっちに非があるわけだし。

「カナちゃん、ダメよ? ちゃんとサービスしなきゃ。たとえ、相手が彼氏さんだとしても、ね?」

 凄いこと言う。

「わかりました。あと、彼氏じゃないです」

「あら、そうなの? まあ、何にせよ、しっかりね?」

 そのメイドさんはこっちに一礼。柔和な笑みを残して去って行った。

 ありがとうございます!

 俺はその背中に向かって、心の中でお礼を述べた。

 彼女のおかげで、吉永さんにおまじないをかけてもらうことができそうだ。

「先ほどは失礼しました。こちら『失恋の味!? ほんのり苦いチョコレートケーキ』と『メロメロミラクルキャンディーパフェ』とコーヒーになります」

 業務的な口調になる吉永さん。

 ここでようやく、彼女は注文した商品をテーブルに並べてくれた。

 しかし、その表情は不服そうで、僅かに頬を膨らませている。

 でも、ちゃんと接客してくれるっぽいからなによりだ。

「ご、ご主人様……。コーヒーのミルクと砂糖は如何なさいますか?」

 待ってました、その台詞。

 このメイドカフェでは、メイドさんがコーヒーにミルクと砂糖を入れてくれるらしい。

 甘いものが苦手な俺は普段ブラックで飲むのだが、吉永さんが入れてくれるというなら話は別である。

 たんまりと注いでもらうことにしよう。

「俺への愛情くらい、いっぱいに注いでください!」

「一滴も注げませんが……。よろしいですか?」

「…………」

 いけずだなぁ、ははは。

「適量でお願いします」

「かしこまりました」

 吉永さんはこちらに身体を傾けて、カップにミルクを注いでくれた。整った顔が俺の目の前まで近づいて来る。

 俺はこの瞬間、幸福で胸が満たされていた。

 冷静に見れば、これはコーヒーにミルクと砂糖を入れてもらうという、なんのトキメキも感じないやりとりだ。

 しかし、好きな人にやってもらえることだったら何だって嬉しいと感じてしまう。少し前までは、こんなことをやってもらえる日が来るとは夢にも思っていなかった。

 だから、俺は今。世界で一番の幸せ者である。

 そんなことを考えながら、俺は喜びを噛み締めていたのだが。

「よ、吉永さん? もう大丈夫だから……」

 角砂糖の数が四つを超えたところで、さすがにストップをかけた。

「もう、よろしいんですか?」

 俺が甘いものが苦手だと分かっての所業か。恐ろしい。

「ほんとに、大丈夫なので……」

 このままだとケーキにも砂糖を振り掛けられかねない。

 吉永さん補正があったとしても、そんなに甘いものばかり並べられたら、流石の俺でも耐え忍ぶことは難しい。

「金糸雀先輩! 次は私のパフェに『萌え萌えキュン!』してください!」

 目を輝かせて、吉永さんにおまじないを懇願する鴇ちゃん。

 その辺の男なら一瞬で堕ちてしまうほどの可愛さである。

 しかしその攻撃、吉永さんには効果は無さそうだ。

「もえもえきゅん」

「テキトー! 超棒読みじゃないですか!?」

「お前にはもうやらない」

「そ、そんなぁ……」

 目に見えて落ち込んだ鴇ちゃんは、心底悲しそうに項垂れる。

 まあ、そうなるよな。めっちゃ楽しみにしてたもんな。

 まかせておけ、鴇ちゃん。お前の遺志は俺が継いでやる。

「じゃあ、俺のケーキにやってください」

 勢い良く挙手して進言。

「イヤ」

 感情の読み取れない、冷たい面持ちで俺を見下ろす吉永さん。彼女から速攻で拒否が飛んでくるが、俺はその程度ではめげない。

 俺の精神力を舐めるんじゃねえ!

 吉永さんはなんだかんだ押しに弱いところがあるのは、俺がこれまで経験してきた戦いで得た教訓である。駄々をこねれば最終的にはやってくれる筈だ。

 自分で言うのもなんだが、俺のしつこさは凄いぞ。

「やってください」

「無理」

「お願い……!」

「却下」

「そこをなんとか……!」

「…………」

「お願い!!」

「ったく……」

「ねえ、お願い!」

「わかった、わかったから!」

 吉永さんは今までの無表情を崩して、面倒くさそうな表情を浮かべた。

「ほんと、面倒くせえな……」

 根負けした吉永さんは、遂に俺の要望を受け入れてくれる。やったぜ。

 やっぱりなんだかんだ言って優しい。好きだ。

「じゃあ、やるぞ……」

 意を決したように呟く吉永さん。彼女は呼吸を整えるように短く息を吐いて。


「萌え萌えキュン!」


 手でハートの形を作り、その手をおまじないを口にするのと一緒にケーキに向かって突き出す仕草。

 照れたような営業スマイルと可憐な仕草のコラボレーション。

 その破壊力は言うまでもなかった。

「「んぎゃああぁぁぁぁああああああ!? 可愛いいぃぃいいいいいい!?」」

 俺と鴇ちゃんは二人同時に絶叫。

 特に俺はその愛おしさのあまりその場で悶え苦しんだ。危うくその可愛さで天に召されるところだったわ。

 その可愛さは罪だ。可愛過ギルティ。

「うっせえよ、お前ら……」

 そう口にした吉永さんの顔は、既にいつも通りのしかめ面。騒ぐ俺と鴇ちゃんを不快そうな面持ちで見つめていた。

「これで、満足だろ?」

「「はい! ありがとうございます!」」

 やれやれと首を振って溜息をついた吉永さん。

「それでは残りの品もお持ち致しますので、もう少々お待ちくださいませ」

 業務的な口調に戻り、一礼して去っていく。

「ふう……」

「はあ……」

「最高、だったな……」

「奇跡、です……」

「マジでヤバかった」

「本当にそれです」

「鬼に金棒」

「弁慶に薙刀」

「虎に翼」

「金糸雀にメイド服」

 俺と鴇ちゃんはヒソヒソと小さな声で、心の内にある熱いモノについて確かめ合った。

 幸せ過ぎて怖い。この後俺に向かってピンポイントで槍が降って来ても文句言えねえってくらい。今、幸福だ。

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