2-4

 吉永さんに話し掛けるタイミングを計り続けて、時刻は午後三時半。既に放課後に突入していた。

 これは決してヘタレしていたわけではない。好機を窺っていたのだ。

 だから鴇ちゃん。教室の扉からこっちを睨んで、圧力掛けるのはやめてくれ。

 その視線が背中に刺さって痛い。

 もう腹は括ったから。行けるぞ。「さっきはごめん」って伝えるだけでいいんだ。何も難しいことはない。

 このまま胸の中にモヤモヤが残ったままだと、部活にも身が入りそうにないし、夜すっきり眠ることも困難になるだろう。

 勇気を出せ。

 そして俺は、吉永さんの席に向かって歩いて行き。

「あれ?」

 彼女の席にはもう既に吉永さんの姿はなかった。

「先輩、何やってるんですか? 金糸雀先輩、もう帰っちゃいましたよ」

「マジで」

「いつまでもウジウジしてるからでしょ。早く追いかけてください」

 いつの間にか隣にやって来ていた鴇ちゃんが、俺を鋭く窘める。その型の良い眉の間には薄い皺が刻まれていた。

 言われるままに俺は教室を飛び出して、西日が射しこむ廊下を走る。吉永さんはさっきまで教室に居たので、そこまで遠くには行っていない筈だ。

 鴇ちゃんが並走してくる。

「先輩。いつもは見てる側が恥ずかしくなるような求愛するくせに、いざという時は滅茶苦茶ヘタレですね!」

 ほう。なかなか痛い所を突いてくるじゃないか。

 叩いてやりたいね?

 俺たち二人は階段を下り、下駄箱を抜けて。上履きのまま、校舎の外に飛び出した。

 視界の先で目的の人物を確認する。金髪を揺らした歩く彼女は、校舎入り口前の広場を校門に向かっていた。

「吉永さーん!」

 俺はその後姿に向かって、大きな声で彼女の名前を呼ぶ。

 しかし、彼女に止まってくれる気配は無い。

「おーい。吉永さん!」

 もう一度名前を呼ぶ。

 しかし、依然リアクションは帰ってこない。

「吉永さん、待って!」

 駆け足で距離を詰め、更にもう一度名前を呼ぶ。

 そこでようやく、彼女は足を止めてくれた。ゆっくりと振り返る。

 案の定、というか。眼に入るのは不機嫌そうに表情を歪める吉永さんの御尊顔。その切れ長の目を細めて唇をキュッと結んだ彼女は、耳からイヤホンを外して俺を睨め付けた。

 俺は彼女の許まで駆けていき、三メートルほど手前で立ち止まった。

 校門の手前にある溜め池に、俺と吉永さんの姿が映り込む。

 俺がすぐに先ほどのことについて謝罪を述べようとしたところで。

 先に口を開いたのは吉永さんの方だった。

「さっきからうっせーよ。デカい声で話し掛けんな」

 グサッと、小気味良い音を立ててその言葉が俺の心に突き刺さる。

 初手の一撃で一発KOだった。

 メンタルに後遺症が残るレベルのダメージを受けた俺はその場に呆然と立ち尽くした。頭の中で吉永さんの罵倒が反芻され、胸の辺りがズキズキと痛む。

 普段の俺なら、この程度もろともしなかったんだろうが。今回はタイミングが悪かった。

 吉永さんに嫌われてないか心配で、精神的に疲弊していたところへの強烈な一撃である。

 結果として俺は本人にとどめを刺されたわけだ。

「何か用か?」

「…………」

「無いならあたしは帰るよ」

「…………」

 そう言って吉永さんは踵を返す。

 俺はそれを呆然としたまま見送るしかなかった。

 だって仕方ないだろ。俺のHPはもうゼロなんだもの。戦闘不能です。

「先輩?」

 吉永さんの姿が校門の向こう側に消えたところで、鴇ちゃんが声を掛けてくる。

 できればもう少し早く駆け付けて来てほしかったかな。

「大丈夫ですか?」

 大丈夫に見えますか?

 口から魂抜けかけてるんじゃないかな、今の俺。

「もうやだ」

「え? 何か言いました?」

 吉永さんに嫌われて、俺はもう生きる意味を失った。

 完全に自暴自棄になった俺は。

「それぇ!」

 傍らの池に自ら飛び込んだ。

「ええ!? ちょっと先輩!?」

 沈んでいく俺の意識と身体。

 濁った水の中で俺はずっと、吉永さんの冷えた表情と言葉を思い出していた。

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