一章 最初が肝心

1-1

 今日。それは決戦の日。

 この勝敗次第で、俺の一年……いや、人生は大きく左右される。それだけ、今日はとても大事な日なのだ。

 しかし、決戦と言っても実際に俺ができることは何もない。ただ黙って結果を見るのみ。それが堪らなく悔しくて、どうしても歯痒かった。

 俺は人混みを掻き分けてその中心を目指す。

 お目当ては学校の掲示板に張られた一枚の紙。クラス名簿だ。

 今日は一学期初日。俺も高校生活の一年目を無事に終え、晴れて二年生になった。

 これからは勉強も部活も本格化してくるし、気持ちを引き締めて再スタートを切る必要がある、のだが。正直、今の俺にはそんなことどうでもよかった。

 俺が気になって仕方がないのは年度初めのビッグイベント。そう、クラス替えである。

 そのクラス替えに、俺の全てが掛かっていた。

 俺はまずは自分の名前を探す。

 すぐに見つけた。C組出席番号二十番。山田やまだ花鶏あとり。それが俺の名前だ。

 え? 変な名前だって? 同感だ。

 花の鶏で、花鶏。面白いだろ。でも、割と気に入ってるんだよな。

 っと、そんなことはどうでもよくて。

 続いて俺はC組女子の欄に目を移した。何かを探すように、俺の目が名簿の名前を順に追っていく。

 そこである文字列が目に留まった。C組出席番号四十番。吉永よしなが金糸雀かなりあ

「――ッ!!」

 万歳して喜びたくなったが、俺はその気持ちをグッと堪えた。

 オッケー。少し冷静になろう。

 今のが見間違いだった可能性もある。

 俺は何回か瞬きを繰り返した後、もう一度名簿を注視する。『吉永金糸雀』。見間違いじゃないよな、ぬか喜びは嫌だぞ。

 目を擦ってもう一度。『吉永金糸雀』。

 間違いない!

「やっっ――」

「おい、花鶏。お前のクラス、サッカー部お前だけじゃん!」

「やったああああああああ!!」

 思わず声に出して、その場でガッツポーズしてしまった。

 周囲の視線が、突然奇声を上げた俺に集まる。だが、そんなものは気にならないくらい、俺の喜びは大きかった。

 部活で得点を決めた時よりも喜ぶ俺。

 え、やばい。嬉しくて泣きそう。

 好きな女の子と同じクラス。これはもう抜群のスタートを切ったことになる。毎日学校に行くのが楽しみで仕方なくなるぞ。

 この決戦は俺の大勝利。神様ありがとう!

「え……。お前、俺たちと一緒になりたくなかったのか……」

 さっきから隣でうるさいのは、朝凪あさなぎ夜鷹よだか。中学の頃からの腐れ縁だ。今は俺と同じくサッカー部に所属している。

 男にしては低めの身長と、ころころ変わる豊かな表情が特徴だ。あと、足が滅茶苦茶速い。

 夜鷹は心底落ち込んだ表情で、俺に話し掛けてくる。

 そんなに俺とクラスが離れたのがショックかよ。

「お前らとは部活で毎日嫌というほど顔を合わせてるんだから、もういいだろ」

「ええ……」

 さっさと俺離れしてくれ。

 こいつは基本的に良い奴であることは間違いないのだが、俺のことを好き過ぎるのが難点である。

 残念だけど俺は男には興味がないんだ。お前の気持ちには答えられない。

「さて、と……」

 人混みから脱出した俺は、肩を落とした夜鷹に声を掛ける。

「立ってるのも疲れたし、早く教室行こうぜ」

 それに早く吉永さんに会いたいし。

 俺たちは教室に向かって歩き出した。

「ところで花鶏。吉永さんと同じクラスになれたのか?」

「俺の喜び方を見ろ」

「……うまくいったようでなによりだ。昨日までのお前はかなりピリピリしてたからな」

「……してたか?」

 全く自覚はない。確かにクラス替えのことが気になり過ぎて、ここ数日はなんだか落ち着かない気分だったが。

「特に試合中の剣幕はやばかったぞ……。先輩たちも引いてたな」

「マジか……」

 なるほど、道理でマークが薄いと思ったぜ。

「今日からは大丈夫だ。ちゃんとやるよ」

「本当か? 女に現抜かして監督や先輩に叱られるなよ?」

「いやお前、さすがにそれはないだろ……」

 と、そこで。

 俺の視界を横切る一人の少女。俺の目は自然とその姿を追った。意識せずとも、首が彼女を追いかけるように回る。

 その少女はとんでもない美人だった。

 真っ先に目に入るのはその美しい金色だ。窓から差し込む日光を反射して輝く金髪はややクセっ毛。その毛先が色んな方向へ無秩序に刎ねている。

 顔は綺麗に整っていて、切れ長で睫毛の長い目元は色っぽい。

 スカートから伸びる足はすらりと長く、しなやか。身長は女性にしてはかなり高く、メリハリのある身体つきはモデル顔負けだ。

 そんな美貌を持つ少女――吉永金糸雀に向かって、俺は躊躇せずに声を掛ける。

 昨日鏡に向かって二時間練習した、満面の笑みで。

「吉永さん、おはよう!」

 彼女は立ち止まって俺を一瞥する。

「……。おはよ……」

 聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームで挨拶を返してくれた吉永さんは、すぐに俺から視線を外して歩き去っていく。

 そんな彼女の対応を見て、俺は。

「可愛い……」

「嘘だろ!?」

 横で見ていた夜鷹が素っ頓狂な声を上げる。

「滅茶苦茶素っ気なかったじゃん!? 愛想の欠片もねえじゃねえか!」

「はあ? 何言ってんだよ。かなり進歩してるっての」

「今ので?」

「最初は完全に無視だったんだぜ?」

「嫌われてんじゃん……」

 実際、二ヶ月くらい前までは話しかけても視線すら合わせてもらえなかった。あの頃からはかなり進歩したと思っている。

「順調に仲良くなれている筈だ」

「お前、それ……。鬱陶しがられてないか?」

 夜鷹が訝しそうに聞いてくるが、それは心配し過ぎだ。と、思う……。

「大丈夫大丈夫。うまくいってる」

 うまくいってる……、よな?

 やばい。なんか急に不安になってきた。夜鷹の奴、余計な事言いやがって。そんなに俺が他の人のこと好きになるのが気に入らないかよ。

 お前は束縛するタイプの彼女か。

 でもまあ? まだ吉永さん本人からは「うざい」とか「もう話し掛けないで」とか言われていないし? 割と普通に話してくれるようになったし? 

 今のところ、かなり順調にいってるだろ。そう思いたい。

「おい、どこ行くんだよ」

 などと、頭の中で色々と考えていると、後ろから夜鷹の声。

「どこって、教室だろ?」

「そっちは去年までの、だろ? 二年は二階の教室」

「あ、そうか」

 吉永さんと同じクラスになった嬉しさですっかり忘れていた。

 俺たちは今日から二年生。教室も校舎の二階になる。

 俺と夜鷹は階段を上がり始めた。

 教室が二階にあるというのは、なんというか新鮮な気持ちになる。俺は改めて二年生に進級したことを自覚した。今日からはこの高校でも先輩という立場になるわけだ。

 その立場に責任を持つ気はさらさら無いんだけど。

 階段を上っている途中、俺の目に気になるものが入ってきた。

 踊り場にある掲示板には部活の勧誘ポスターが一枚だけ貼られていた。そのポスターには、達筆な字で『文芸部』と書かれている。

「こんな所に貼っても意味なくね?」

 と、夜鷹は疑問を口にする。

「同感だ。それに『部員募集中』の文字すらないぞ」

 ここは二階と一階を繋ぐ階段。一年生の教室は一階だけなので、このポスターが新入生の目に入ることはほとんどないだろう。

「新入部員に入ってきてほしくないんじゃねえの?」

「そんなのアリかよ」

 部員を募集しない部活か。一体どんな活動をしているんだろうな。

 なんだか、ちょっと気になるな。

「新入部員で思い出したけど。今年はうまい奴入って来るかなぁ……」

 夜鷹がぼそりと呟く。こいつは、今年の部の行く末を案じているのだろう。

「さあ……。どうだろうな」

 俺の曖昧な返事に、夜鷹はちょっと不機嫌そうに口を尖らせた。

「もう少し興味示せよ……。今年は良いとこまで行けそうなんだからさ」

「正直、今はサッカーよりも吉永さんのことが気になって仕方がない」

「正直過ぎるだろ!? もうちょっと隠す努力をしろよ。監督にブン殴られるぞ」

 なんて。いつも通りの会話を繰り返していると、目的地である教室に辿り着いた。

 俺は二年C組の教室の前で足を止める。

「じゃあ、また後でな。俺が居なくても泣くなよ」

「誰が。うちのクラスにはサッカー部の連中がたくさん居るからな。寂しくなったらいつでもB組まで遊びに来いよ」

 おいおい。強がりはよせやい。

 それに。

「吉永さんが居るから。お前らは割とどうでもいいや」

「お前ほんと覚えてろよ? 後でグラウンドに埋めてやる」

「わかったわかった。じゃ、また後でな」

 軽く冗談を交わし、俺は夜鷹に背を向けて教室に入った。

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