第31話

観客は次の瞬間、信じられないものを見た。

リチャードは、飛んだ。

背中に甲山の巨体を貼り付けたまま、飛んだ。

そのまま尻で、相手の胸をプレスした。


「むぐっ!」


甲山の動きが止まった。

胸を押さえ、マットに仰向けに転がっている。

そこを見逃さず、再度アッフィリーズは飛んだ。

シューズの底が力強く、甲山の胸板を踏み抜いた!


「ぐはあっ!!」


甲山の口から圧縮した悲鳴が漏れた。

ヘルナンデスは頭を抱えて叫んだ。


「これは、この技は…変形ではあるが…アトミック・ボムズ・アウェイだ!!」


「なあに、その技は?」


ひょこんと金髪の彼女、アレクサが傍らから顔を出した。

ヘルナンデスは一瞬驚いたが、すぐに険しい顔つきになり、


「おいおい、あんた、一般客はリングの近くには立ち入り禁止だぞ」


「いいじゃない。関係者ってことで、堅いこといいっこなし」


「ちっ!」


「それよりさ、なんとかアウェーってのは?」


「――アトミック・ボムズ・アウェイだ。あれは生粋の、古典的なプロレス技だ。本来はトップロープから急降下し、相手の胸板を踏み抜くんだが……参った。まさか地下でこんな技を拝見するとは思わなかったぜ……」


脱帽といった表情でヘルナンデスは呟いた。


「それが何か凄いことなの? 単に甲山が大ピンチになっただけじゃない。あなたも彼のセコンドなら、もっとましな反応を見せたら?」


「こ……このアマ……」


リアルファイトで、この大技が成立することがどれほど凄いことか。

そういう文句を言いたいところだが、リングの現状はそれどころではない。

ヘルナンデスは女を無視し、マットをばんばんと叩いて叫んだ。


「次が来るぞ、逃げろ!」


甲山は瞬時に反応を見せた。上にのしかかろうとするアッフィリーズの顔面を下から蹴り上げ、ごろごろと横に転がった。

そして相手を睨みすえながら距離を測り、深呼吸してみる。

口から出血していたが、どうやら内臓を酷く痛めただけで、肋骨は折れていないようだ。

よかった。まだ闘える。

甲山はマットから立ち上がった。

アッフィリーズは余裕を持って、それを待っている。

憎憎しいほどの落ち着き振りである。


「どうしたい坊や。もうおいたは終わりかい?」


「残念ながら、これからって所だ」


「そうか、俺が退屈しないうちにさっさとおっぱじめてくれ。そうじゃねえとさっさと終わりにするからな」


アッフィリーズの絶対的優勢をどう崩すのか。

正直、甲山には秘策も何もない。

それに彼は、自分の身体がまるで思ったように動けないことに、激しい苛立ちを感じていた。試合前の入念なアップをやり損なったため、コンディションが万全ではない。

それが徐々に顕著になってきた。

汗をいくらかいても、トップギアに入らない。汗が冷たい。


(ちっ、俺は何をやっているんだ)


甲山は自問自答する。


(こんな化け物を相手に、ベストとは程遠い状態で望んでしまった。地下をいつの間にか甘く見ていたんだ。10連勝だと? 笑わせる……俺は、何を思い上がっていたんだ)


そんな彼の思索を打ち切るように、ゆっくり粉砕者が動き出した。

いまさら、いくら後悔してみても仕方がない。

既にゴングは鳴っているのだ。

アッフィリーズが大振りのパンチを振り回してきた。

甲山はそれをかわしつつ、一か八かの賭けに出た。


「あれは!」


会場が一体となって叫んだ。

甲山が選択した行動は、ハリケーン戦でみせた、あの軽い握りのアイアンクローだった。

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