第30話

この男のむきだしの岩石のような筋骨隆々たる肉体。

上腕も胸筋も太腿も異常なほど膨れ上がり、相当なパワーを内臓しているのは容易に推測がつく。

が、その反面、柔軟性、俊敏性には乏しいと容易に推察できた。

ならば答えはひとつ。

甲山はテレフォンパンチをかいくぐり、稲妻のようなタックルを繰り出した。

光明は関節しかない!

見事に甲山のタックルは粉砕者の両足を捕えた。


「ようし」と甲山は内心ガッツポーズをしていた。

そのままテイクダウンし、マウントを狙うつもりだった。

しかし、それは不可能だった。


「ば、馬鹿な……」


倒れない。

ヘビー級の甲山の高速タックルを食らいながら、リチャード・アッフィリーズは微動だにしない。

身長は甲山よりはるかに下だが、安定感が尋常ではない。

リチャードの両足を抱えたまま、必死に脚をすくおうとする甲山の体勢は、完全に隙だらけだ。

リチャードは悠然と行動を起こした。

がしっと甲山の腰を両手で掴み、ゴボウ抜きに抱えあげた。

タックルのクラッチを、いともたやすく外して。

まさかと思うまもなく、甲山は脳天からマットにほぼ垂直に叩きつけられた。


パワーボム!  

衝撃が甲山の脳天をつらぬく。


「凄い!もろプロレスだよ!」


「ここは本当に地下か?」


「こんな光景、初めてお目にかかった」


客席が驚きに満ちた歓声で包まれる。

硬いマットにもかかわらず、衝撃が強すぎて甲山の身体はバウンドする。

仰向けにダウンした甲山の眼の焦点が合っていない。したたかに後頭部をマットに打ち付けられたのだ。誰の眼からも、彼が危険な状態であることがわかる。

リチャードは焦らない。

緩慢な動作でフィニッシュに移行しようと、のっそりと上から大きいモーションでパウンドに入ろうとする。

アッフィリーズの動きが、不意に静止した。

否、させられたのだ。


甲山が下からニシキヘビのような素早さで、三角締めに入ったのだ。

これまた会場がざわめく。

地下のリングの硬度は尋常なものではない。

衝撃を吸収するスプリングなどないのだ。

死んでいてもおかしくない程の痛烈な叩きつけられ方をして無事だったのは、ひとえに甲山のプロレス時代の修行の成果に他ならない。


俺は超日本出身のレスラーでよかった。と甲山は闘いのさなか、そう思うだけのゆとりを回復しつつあった。

あの無茶苦茶な、他の格闘技ではありえない高度から、バンプをとらされまくった超日本の地獄のトレーニング時代がなかったら、確実にKOされていたろう。

俺のやってきたことに無駄はなかった。


そんな事を考えていた矢先、不意に彼の体から重力が消えた。


持ち上げられている。

片腕一本、甲山の百キロを超す身体が持ち上げられている。

まずい。

瞬時に甲山は次の展開を読み取った。

リチャードの狙いは、またしてもパワーボムだ。

案の定、破壊者は腕を力強く振り下ろした。

しかし甲山は腕を振り上げる寸前で、すかさず重心を移動する。

リチャードの背中を、まるで回転エビ固めのようなアクロバチックな動きで乗り越える。


ぐるりと下に移動し、逆さの位置からリチャードの太い脚を掴んだ。

ヒールホールドを狙ったのだ。

甲山のヒールホールドへの技の入り方は完璧に近かった。

かなり変則的な掛け方にせよ、リチャードは何が行なわれているのか、まるで把握できていないようだった。

まったく足関節におけるディフェンスが出来ていなかったのだ。


しかし、この男、足に根が生えたかのように動かない。

甲山は瞬時に理解した。この攻撃は無意味だ。

この男は簡単には倒れない。

その考えがよぎった瞬間、すかさず逆さにぶらさがった状態から、両足をリチャードの胴に巻きつけた。

こうすれば、甲山の全体重がリチャードの身体にかかる。

これで倒れない道理はない。

咄嗟の判断だった。さすがに10試合も地下のキャリアを積んできてはいない。

だが――――


「なにかマッサージでもしてくれてるのか? お嬢ちゃん」


そんな甲山の攻撃を嘲笑うかのように、リチャード・アッフィリーズは微動だにしない。


「ありえない……」


甲山は背筋に流れる冷たいものを初めて実感した。

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