第29話
二人は不自然に静まりかえったリングで、微動だにせず対峙していた。
甲山はしばし距離をとったまま、相手を観察していた。
この間合いはタックルも届かない。
数回にわたる地下での闘いの経験で、彼はそれが把握できる。
相手の男、リチャード・アッフィリーズは異常にパンプアップした筋肉を誇示している。
しかし、不摂生をしていたのか、腹回りの肉が少々だぶついているようだ。
これでは俊敏な動きなど望むべくも無い。
その肉のつき方はボディビルダーのような逆三角形ではなく、四角い筋肉の壁のようだった。
絵に描いたようなタフガイ。プロレスラーとしては理想的といっていい体型をしている。
だが、ここは地下プロレスだ。
こんなお肉たっぷりでは到底甲山の動きについてこれるとは思えない。
「おい、おれの頭を蹴ってみな」
アッフィリーズは腕を組んだ、隙だらけのポーズで挑発した。
「てめえの全力の蹴りでよ、俺の頭を蹴ってみろってんだ。プロレスラーらしく受けてやるからよ」
ふん、と甲山は鼻で笑った。
そんな安い挑発に乗って、うかつに片足立ちの不利な体勢を相手にプレゼントするのは愚かなことだ。
しかし相手はなおも言う。
「どうした、怖いのかいお嬢ちゃん。そんなに怖いならよ、目をつぶってやるよ。ほれ、これでどうだ」
言葉どおり、アッフィリーズは静かに両眼を閉じた。
「――この、馬鹿が!」
次の瞬間、甲山の稲妻のような右ハイキックが、確実に相手の側頭部を捕らえた。
パアンという凄まじい蹴撃音が、地下にこだました。
確実に決まった一撃だった。
誰がどう見ても、あんな強烈な蹴りを食らえば、粉砕者は二度と立ち上がってはこれない。これは会場にいた全員に共通した思いだったろう。
それほどその一撃は完璧に粉砕者のテンプルを捕らえた。
しかし……。
彼は立っている。
何食わぬ顔をして、首をゴキゴキと鳴らしている。
「それで終わりかい、お嬢ちゃん?」
試合中にも関わらず、甲山は呆然としてしまった。
それほど確実な手…いや足ごたえがあったのだ。
甲山はジムに通い、一時期、徹底的に打撃の特訓をした。
レスラーとしての弱点を克服するために。
トップレベルとまではいかぬが、並みのキックボクサー程度には蹴れる。通ったジムのトレーナーからのお墨付きだ。
サボりぐせがついたとはいえ、毎日サンドバッグを200回以上蹴る日課は続けている。
ましてレスラーのパワー+体重だ。効いていないわけが無いのだ。
だが、アッフィリーズは強がっている訳ではない。
足取りはしっかりしているし、何より目の光があまりに強い。
KO寸前の男の目ではない。
そこで甲山はようやく気づいた。
相手の男の鍛えぬいた電柱のように太い首を。
あの太すぎる首がガッチリと頭を固定し、脳を揺らせなかったのだ。
「おい、今度はこっちの番だな」
アッフィリーズはごきごきと拳を鳴らすと、猛烈なパンチを打ち込んできた。
ダッキングでかわした甲山の髪が、その凄まじい風圧でゆらめいた。
戦慄の打撃が唸りをあげる。
だが当たらない。
甲山には当たらない。
そのハードパンチをすべてよけながら、甲山は思った。
こんな拳、幾度撃とうが当たるわけがない。
なぜならアッフィリーズのパンチはすべてがテレフォンだった。
一度、必ず大きくバックスイングして拳を振り下ろすのだから、どれほどの強打だろうが、ボクシングのトレーニングを積んできている甲山が食らう道理がなかった。
――いける!
気を飲まれていた甲山はようやく勝機を見出した。
相手は凄まじいタフネスだが、ただそれだけだ。
打撃を当てることができないデクノボーだ。
彼はそう判断した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます