第26話

「――相変わらずの暮らしのようだな」


酒の匂いが充満する屋内に足を踏み入れるや、その黒ずくめの男は言った。

黒いスーツに黒い帽子、そしてサングラス。

夏場ではかなり鬱陶しい格好だ。


「何しにきやがった」


不愉快そうな男の声が、彼を迎えた。

ソファに深々と腰を降ろし、ウィスキーを時折ラッパ飲みしている。

テーブルにはすでにいくつものウィスキーの空瓶が並べられている。

何本飲み干したのか、床にも高そうなワインの空瓶が転がり、サングラスの男は立つ場所にも苦労するありさまだった。

ソファに座っている男は、筋肉質だった。

着ているシャツが肉厚で、今にもはちきれそうになっている。


「決まっているだろう、仕事だ。こいつと試合ってくれ」


黒スーツから手渡された写真に一瞥をくれた男は、ふんと鼻を鳴らした。


「やっちまっていいのか?」


「ああ、邪魔な男だ」


そこにはリングで両手を挙げている、ひとりの東洋人の姿が写っている。場内の熱狂が写真越しにでも伝わってくる。よほどいい試合をする男らしい。


「俺だって地下の闘士だ。こいつがどんな男かくらいは知っている。こいつはお前らの稼ぎ頭じゃないのか。本当に俺が消していいのか?」


「ああ、そいつは贅沢に慣れた観客の心すらも掴む、面白い試合をやる男だ。おまけに強いときたもんだ。すでに10連勝を飾っている。破竹の快進撃だが、その強さが問題でな」


「レートか」


「そうだ。みんながコーヤマに賭ける。このままじゃ金の流れが停滞しちまう。うちのボスはそいつがお気に召さないらしくてな」


「どこかで聞いた話だな」


男は自虐的に笑った。


「残念だが、粉砕者は二人も要らないんだよ」


「面倒な話だ。銃で撃ち殺しゃいいだろ」


「そうはいかん。そいつは地下で名を売りすぎた。今そいつが路上で射殺されては流石に怪しまれる。リングの上で華々しく死んで貰わないとな」


「そうかい」


男は興味なさそうに、再び酒ビンを傾けた。


「失敗は許されんぞ」


「…フン、俺はただの粉砕者だ。目の前の人間を粉砕するだけだ」


男はつぶやき、ビンを片手の握力で割り砕いた。

中の琥珀色の液体がしぶく。血は一滴も流れない。鋭く割れたガラスの破片ですら、彼の肉体に傷をつけることはできないようだった。


「そいつが誰だろうと、コーヤマだろうとな」


そう、彼の名はクラッシャー。

あらゆる物を粉砕する男。

本名を、リチャード・アッフィルーズといった。


彼がリング上で殺人を犯してから、すでに十年の歳月が流れていた。

その間、彼はずっと刑務所に服役していたわけではない。

うなるほどのカネさえあれば、真面目にお勤めなんてしなくてすむ。彼はある条件を受けいれることで、無罪放免となったのだ。


――それは、地下闘士となることであった。


リチャードは、圧倒的だった。

彼の頑丈な身体にダメージを負わせる者など、地下世界にすら存在しなかった。

彼の場合もまたコーヤマと同様だった。

賭けが成立しなくなったのだ。

ついに彼は地下プロレス界からも干されるようになり、こうして飼い殺しのような境遇に陥ってしまっている。

ときおりこうして、処刑人としてリングに上がり、対戦相手を合法的に始末する仕事を請け負うようになった。

いつしか彼には、粉砕者とは別の異名がついた。


地下世界、最強の生物と。



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