第25話
小声で若者が、耳元でささやく。
「オッサン…あんたの下手さがこっちまで伝染しちまったじゃねえか。よくもしょっぱい目にあわせてくれたな」
若者は自分の未熟さを棚に上げ、ひねた目で睨む。
リチャードは無言で見つめ返した。
特に睨みをきかせたわけではない。
リチャードには相手を恐れさせる、独特の威圧感があるのだ。
若者は逆に萎縮し、つかのま目を伏せた。
そしてそんな自分に腹が立ったのか、さっさと技に入らず、さらに余計な事を口にした。
「オッサン、あんた母ちゃんが最近おっ死んだって話だな。ざまあみろだヘヘヘ。相当な淫売だったんだろ? 誰にでもやらせるから死因が性病だってな。笑え――」
リングに異様な音がこだました。
リチャードはつとめて冷静でいようとした。
さっさと試合を終わらせればいい。
そうすれば、こんな戯言を聞かずともよくなるのだ。
――しかし、試合は突如として終了した。
彼はレフェリーに突き飛ばされた。
わけのわからぬまま周囲を見渡すと、会場は大混乱に陥っていた。
誰もが悲鳴をあげてリング上の自分を見つめている。
理由が分からずリチャードは足元を見た。
そこに若者が倒れていた。
体はうつ伏せ状態だったが、首だけが一回転して、うつろな眼でリチャードを見ていた。
もう二度とおしゃべりはできないだろう。
どう見ても、既に絶命している。
それを醒めた目で見つめながら、リチャードはようやく事態を把握した。
「俺がやったのか……」
騒然とする客席の遠くでサイレンの音が聞こえる。
花道の向こうから警官たちが突進してくる。
プロレスのアングルのように、それは現実味のない光景だった。リチャードはそれをどこか他人事のような、放心状態で見つめ続けていた。
逃げようという意識はまるでなかった。
やがて警官隊がリチャードを包囲した。
茫洋とした表情のまま、彼は唯々諾々と両手をあげ、うつぶせになった。
手錠をかけられる直前、彼は小さな声でつぶやいた。
「…ママ、ママ…俺は結局、受身がうまくできなかったよ……」
彼は受身が下手だった。
プロレスでも。
また、人生そのものにおいても……。
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