第24話
彼は苛立ちもあらわに母に愚痴った。
「ママ、俺は我慢ならねえよ。単純に俺は全力で闘いたいのに、何で奴らは俺の本気を許さねえんだろう。大体受身だなんだって、相手のために技を受けてやって何が楽しいんだ?」
静かに彼の愚痴を聞いていた母親は、おもむろに口を開いた。
「で、どうしたいんだい?」
「辞めるよ。こんなつまらないもん、やってられねえ」
すると母親は彼にかなり突拍子もない質問をした。
「リチャード、ニンジン食べれるようになっただろう?」
「は?」
面食らって尋ね返すと
「嫌いだったニンジンも食べられるようになった。努力もしないで、なんでさっさと諦めるんだい? それにね、仕事なんてもんは今日始めて明日辞めるなんてこと許されないのさ。諦めるならとことん一生懸命やってからだよ」
そういってママは大きい口で破顔した。
彼もまた、つられてガハハと笑った。
ママはいつだって正しい。今回だってそうだろう。
リチャードは受身を頑張ってマスターするとママに約束した。
ママが突然の心臓発作で倒れたのは、彼がカナダのツアーに出ているまっ最中だった。
制止するマネージャーを振り切って飛行機に飛び乗り、故郷へ帰った彼は、遺体霊安室でママと再会した。
あれほどまで精気に満ち溢れていたビッグママが、いまや冷たい骸となって眠っていた。
リチャードは泣かなかった。
ただ横たわる母に向かってつぶやいた。
「ママ、なんで笑ってくれないんだい?」
ママが笑ってくれないと、彼は笑えない。
彼は母親の葬儀を意外なほど冷静につとめた。
しかしその後、酒びたりになり家から一歩も出なくなった。
母親と一緒に映った写真を眺めては、一日中安酒に溺れる日々を送った。
そんな彼が目を覚ましたのは一本の電話だった。
「リチャード、おめえ何やってんだ。試合をすっぽかしやがって! プロモーターはカンカンだぞ」
「…………」
「まあいい。本来なら干すところだが、今回、興行にレスラーが足りなくなっちまってな」
「あの件は大目に見るから、お前ジョブ役で出ろ。いいか、今度ばかりはすっぽかしは許さんぞ」
一方的にまくしたてて電話は切れた。
出るつもりも無かったが、母親との最後の会話が、受身の話だったことを思い出した。ママとの約束だけは、果たさなければならない。
(諦めるなら、とことん一生懸命やってからだよ)
ママの言葉が、鮮烈なひびきをもって脳裏に蘇った。
「……ママ、最後は巧く受身をとってみせるよ……」
彼はママの供養のつもりで、試合に出場する決心をした。
リチャードの対戦相手は、ハンサムな金髪の若者だった。
彼はプロモーターの強烈なプッシュを受けて、人気上昇中のグリーンボーイとのことだった。デカくてガタイのいいリチャードは、格好のやられ役として抜擢されたのだろう。
「――ようオッサン、あんたさ、プロレスがすげえ下手なんだってな。頼むから怪我だけはさせないでくれよ。あんたと違って、こっちは輝かしい未来があるんだからさ」
わざわざ若者は近寄って、こんな発言をしてきた。
これに対してリチャードは無言である。
彼の頭の中は、受身のことで一杯だった。
ゴングが鳴った。
リチャードは若者の攻撃に懸命にバンプを取ろうとつとめた。
しかし彼が頑丈すぎるのか、相手が未熟なのかわからないが、なにもかもがうまくいかなかった。ボディスラムは途中で崩れて下手糞なボディプレスのようになり、クローズラインを入れれば、打ち込んだ若者が痛がって腕を押さえる有様だった。
チグハグな試合内容に、観客からは失笑がもれる。
その様子を苦々しく見ていたのがリングサイドのプロモーターだ。
「もういい、客の前でこれ以上恥を晒すな! さっさとフィニッシュ技でケリをつけんか!」
若者の必殺技は垂直落下式ブレーンバスター。
リチャードが巧みに受ける事を心がけていると、若者が耳元で囁いた。
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