第21話
二人は閑散とした一軒の安酒場にいた。
バーの名はボストンクラブ。
二人が決まって呑みにくる店だ。
あくまで地下の闘士である甲山は、地上のいかなる団体のレスラーよりも知名度がない。
地下のことは、決して地上に漏れることはないのだ。
にも関わらず、なぜこんなしけた安酒場の中で二人だけで杯を傾けているのかといえば、理由がある。彼のような巨体で、鋼のように鍛え抜かれた筋肉を有した日本人は、アメリカのどの街を歩こうが、どうしたって目立つ。
そして彼らは口々にこう聞いてくる。
「おまえWWAのニューカマーか?」
それが面倒で、甲山は人目を避けた。
「…しかしなあ」
大ジョッキのビールをを立て続けに三杯胃の中に流し込み、ようやく落ち着いたといわんばかりにヘルナンデスは口を開いた。
「頭をしこたま殴られたその日に、酒を呑んだらよくねえって、お前さん、聞いたことはねえか?」
「さあ。お袋からは習わなかったな」
そして一気にジョッキを傾ける。呆れた目つきでそれを眺めやっていたヘルナンデスは、自身も大ジョッキの追加を頼んだ。
音を消したテレビ画面が、ちらちらと薄暗い店内を照らしている。唯一の従業員であり、主である親父が黙々とグラスを磨いている。
「ところでだ、お前さんに聴きたい事があるんだが」
「言わなくても察しはつくよ。アイアンクローのことだろう」
「そうだ。どんな強烈な握力の持ち主にしろ、一瞬で意識を刈り取ることのできる人間などいない。フリッツ・フォン・エリックだって不可能だ」
「そりゃそうだ。あれは打撃技じゃなくて拷問技だからな」
「だからこそ聞きたい。お前はあの時、どんな手妻を用いてハリケーンからダウンを奪ったんだ?今になっても皆目見当がつかねえ」
「知りたいか?」
甲山は含み笑いをしながら、ぐいっと黄金色の液体を流し込む。
「おい頼むぜ、俺とお前はチームだろう」
ヘルナンデスはぐぐっと顔を近づけた。むわっと酒くさい口臭があたりに広がり、甲山は顔をしかめた。
「わかったわかった、だからあんまり寄るな」
手で顔を押しのけると、
「あの時はアイアンクローで極めるつもりはなかった。ダシに使っただけさ」
「ダシ?」
「――というか、トリックだ。お前さんが目の前をこうして、手で視界を塞がれたらどうする?」
「腹を蹴ったくってやる」
「それはこっちが完璧にホールドした場合だろ。そうじゃなく、クローに緩い力しかこもっていなかったら、どうする?」
腕を組んでヘルナンデスは答えた。
「…たぶん、手で払い落すな」
「そういう事だ」
「おいおい、ちょっと待て!」
再びジョッキを傾けようとした甲山の手を、ヘルナンデスはつかんだ。
「もったいぶるのも大概にしろ。俺にはどういうことか分からん」
「俺の狙いは相手の視界を奪うことだったのさ。アイアンクローは餌だな。もしあの指が、ガッチリと相手のこめかみをロックしていたら、奴はお前のいう手段で強引に振り解いただろう。しかしその指に力がこもってなければ、手で振り払ってしまうのが心理さ。そこで案の定、ハリケーンマンは腕を払った」
「…確かにな」
「俺はその心理を利用して、払われた腕を横にスライドさせ、死角からヤツの顎先に肘を叩き込んだのさ」
「!!――エルボー! あのノックダウンはエルボーによるものだったのか!」
ヘルナンデスは額を叩いた。
「当たり前だ。握力で人はKOできん」
そう甲山がにべもなく言い捨てた時だった。
「ハイ、サムライ」
背後から、女性の声がした。
甲山は振り向かない。
音を消したモニターには、WWAのROWが静かに流れ、丁度そこには筋骨隆々とした男―――トリプルAが、両手にスレッジハンマーを握ったまま振りかぶっているところが映し出されていた。女性は再び声をかけた。
「もしもし、耳が悪いの?それとも、それがジャパンの礼ってやつなのかな?」
「…俺はTAJIRIでも、近くWWA入りするニューカマーでもない。だから何を勘違いしているかしらないが、サインはノーだ」
くすくすと笑い声が聞こえた。
「いーえ間違いじゃないわ。あなただと知ってたから声をかけたの。地下のスーパースター、サムライ・コーヤマにね」
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