第18話
あのすさまじいビクトル・ハシミコフとの激闘から二週間が経過した。
試合の直後、甲山は至急、組織の息のかかった病院で精密検査を受けた。
しかし、あれほど頭部に強烈なダメージを負ったにも関らず、どの傷もさほど深刻なものではなかった。
とにかく、やたらと眠い。
これが症状のすべてである。
甲山はさながら数日徹夜したかのような疲労を抱えてベッドに倒れこみ、まる二日、泥のように眠った。
起きてみると身体中が痛い。顔も身体中も擦過傷だらけだったが、特にパウンドによる顔面の腫れがひどかった。
腫れはまるで甲山の顔をお岩さんのように変え、しばらくはヘルナンデスに笑われる羽目になった。
口の中が切れているのも困りもので、食事のたびに甲山は激痛と闘うことになった。
そして二週間後。
甲山はすっかり完治していた。
「どういう肉体の構造をしているのか、一度解剖してみたい」
と、医者は呆れていた。これが昨日までの話である。
――そして現在、彼はひとりの黒人と対峙している。
そこはやはりあの、地下に設置された硬いリングの上だった。
あれだけの打撃を受けて、インターバルが二週間では、流石に感覚が短い。
まだまだ休むべきだとヘルナンデスは主張し、地下を管理する連中までもが甲山を制止した。
というのも、こないだの甲山とロシア人との一戦が、予想を遥かに越えた反響を引き起こしたからだ。
そのリクエストの多さに、彼らは甲山を使い捨ての駒にするのが惜しくなったのだろう。
だがこれは、誰に強制された訳ではない。
みずからの意思で、次の試合を志願したのだ。
とにかく肉体が飢えていた。
闘いをしたくてたまらなくなっている。
相手の男は赤いパンタロンを履き、両手にはオープンフィンガーグローブを装着している。
その佇まいは、どう見てもストライカーだ。コーナーを向いて、小さめのモーションでシャドーをしている。
かと思えば、軽いフットワークでリングを滑り、マットの調子を確かめている。地下は初めてというわけではなさそうだ。
銃声が轟いた。
対戦相手の黒人は迷いなく、無造作に前に出た。
甲山のタックルを恐れる様子もない。
男はまず、右足でミドルキックを放ってきた。
――疾い。
甲山が膝でブロックすると、その反動を利用し、逆方向に回転して右バックブローを放つ。
スウェーでかわすと、さらに彼の頭部へ脚が水平に延びた。
右のハイキック。
長い脚を、さながら扇風機のように自在に旋回させている。
それを頭を下げてかわすと、そのまま回転を止めず、ボディ目掛けバックスピンキック。
「くっ!」
かろうじて、両手のクロスアーム式ブロックで防いだ。とにかく蹴りが停滞しない。
バックスピンキックの衝撃で、ふたりの距離が開いた。
やむなく甲山はガードを上げ、距離を詰めようと図った。
中間距離は危険だと判断したためだが、すでに黒人は回転モーションに入っている。
まずいな。頭か、腹か?
だが実際は、そのどちらでもなかった。
「むっ!」
暫時、相手の姿が甲山の視界から消えた。
甲山は、いきなり跳躍した。
なぜかと言われれば、本人的にもよくわかっていない。
次の瞬間、地を這うアース・クリップ・キックが疾った。
甲山のシューズ下を、死神の鎌のような蹴りが通り過ぎる。
まさに危機一髪だった。
どうにか回避し、すとっと着地した甲山の視界に、何かが飛び込んでくる。
思考する間もない。
下段から跳ね上がる、電光のハイキック。
頭を下げる。
文字通り、髪一重でその蹴りをかわす。
「まったく落ち着きのない野郎だ…」
試合の組み立てもへったくれもない、一方的な蹴撃に甲山は辟易する。
この黒人の名はエディという。しかし、彼をその名で呼ぶものは誰もいない。
彼の通称はザ・ハリケーン・マン。
読んで字のごとく、決して止まらぬ暴風雨のような回転蹴りこそが彼の身上である。
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