第14話
この平和という名のもとに、人々が堕落し、怠惰に腐食した時代こそ、俺のような戦いに飢えたグラディエーターが渇望されるのではないかと思った。
甲山は場違いな事に、一瞬、日本にいるかつての同級生の顔を思い浮かべた。
日本を去る前に、偶然やってきた同窓会の誘い。
海外に武者修行に出ると決めていた甲山は、ガラにもなく、最後に懐かしい顔に会ってみようかと思ったのだ。
だが、それは失敗だった。
資本主義にぬくぬく甘やかされ、大した努力もなく、就職もせずに親のスネを噛る奴。
あるいは大人に身を売って小遣い銭を稼ぐ女たち。
享楽にふけるばかりの、日本にいる怠惰な連中の顔が、彼の頭に浮かんでは消えた。
決死の覚悟で挑み、陰謀に屈したモネ・ローズ戦。
「ブザマな試合だった」
「キャリア的に勝ち目などなかった」
――などと、わけしり顔であざけ笑ったあのガキどもに、真剣な気持ちを茶化した奴等に、俺の鮮烈な活き様を刻みこんでやろう。
きっと奴らは、酒の席でのたわごとと、笑って忘れているに違いない。
しかし、俺は忘れない。
漢の生き様を侮辱した輩を、笑って許すわけにはいかない。
おとなげない奴だと人は笑うだろう。自分の誇りを失った人間はそれでいい。
漢は誇りに死ぬべきだ、と甲山は思っている。
誇りを捨てて、命に執着する奴はただの馬鹿野郎だ。
命など、俺という存在を表現するための手段に過ぎない。
この日本から遠く離れた異国の地で、俺は死の中から本当の生を掴んでやる。
甲山の脳裏に、いつしかそんな狂気に似た欲求が、具体的な形をともなって棲みはじめた。
「おい、ヘルナンデス!」
「なんだ?」
「俺はやるぜ、やらせてくれ…行き先が地下だろうが魔界だろうが、やってやるよ」
甲山は笑った。
沸騰寸前の、体内のマグマの熱い高ぶりを抑え切れずに、甲山は笑っていた。
……そして、ついにその日が来た。
甲山は目隠しをされたまま、高級リムジンに、まるで誘拐されるが如くに後部座席に押しこまれた。彼を挟むように、両脇には広い肩幅の男たちが座った。
何処へいくのか尋ねても、誰ひとり答えない。さすがに甲山も、このまま生きて帰れないのではと危惧を抱いたが、それも俺の人生の一部なのだ。ここで死ぬのも、俺の決断の結果じゃないかと心を鎮めた。
やがて車は停まり、甲山は長い通路を歩かされた。扉を開ける音がし、中へ入れられてようやく目隠しを外された。そこは小さな、むき出しのコンクリートで囲まれた一室だった。
ここが控え室という事だろう。
中には付き人のがわりのヘルナンデスが、小さく手を振っていた。
「よく来たな」
短く言い、笑った。
扉の脇にサングラスに黒いスーツ姿の、護衛だか監視役だか分からない男が立っている。部屋に置いてあるものといえば、備え付けのテーブルと、簡素なパイプイスがふたつだ。テーブルの上にはバスケット一杯に、様々なフルーツが置いてある。
「とりあえず座ればどうだ」
自らも座しながら、ヘルナンデスは勧めた。巨漢の彼の体重のせいか、あまりにオンボロなためか、パイプイスは悲鳴に似た音を上げる。
「俺の相手は誰なのか、分かるか?」
軽く柔軟をしながら訊いた。
「まあ、おまえさんのトモダチでないのは確かさ」
冗談にしては面白くない。
その冷ややかな目を察したのか、ヘルナンデスは軽く咳払いをして、ポケットから小さなメモを取り出す。
「相手はロシア人だな。名前は…ビクトル・ハシミコフ。こいつはアマレスの実績が凄いな。同じ階級にカレリンさえいなけりゃ、メダルを獲っていてもおかしくない……っと」
あわてて口をつぐんだ。ただでさえ初試合のプレッシャーがかかっている所へ、相手を過大評価して重圧を加味するほど、セコンドとして愚の骨頂はない。
「ありがたい。強い奴とやれるなら、大歓迎だ」
ひたすらシャドーで身体を暖めながら、甲山は言い捨てた。
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