第7話
この日の会場は横浜アリーナ。観客席もほぼ満席だ。
甲山の試合は第二試合。いわゆる前座であり、地上波放送には収録されない。
ルールはD-ONE特別格闘技ルールである。
金的、頭突き、目突きや噛みつきなど、露骨な反則攻撃以外は、基本的になんでも許されている。
甲山は控え室のモニターで、場内の様子を窺った。
リングサイドには、芸能界オンチの彼ですら知っている、有名人の顔もチラホラ見える。現在のD-ONEの勢いがまざまざ感じられた。
「よし、そろそろ行くぞ!」
「――ウオッス!」
セコンドについてくれた永島の音頭で、甲山は気合を入れた。
「落ち着いていけば大丈夫だぞ、甲山」
「ありがとうございます、銭安さん」
もう一人、ローズと対戦経験のあるレスラー、銭安忠人もセコンドとしてついてきてくれた。初対戦の相手には、これ以上ない人選だ。
甲山は2人を帯同し、初めてD-ONEのリングに立った。
彼はリングのコーナーから、周囲を見渡した。
なにもかもが違う。広さ、ロープの張り具合、マットの硬度も違うようだ。
プロレスのリングとはまるで違う感覚に、甲山は、敵地へ来たのだという感慨を強くした。
ちょっとした緊張感を、深呼吸をともに吐き出そうとつとめる。
自信があるつもりだったが、前座レスラーの甲山には、この大観衆の視線が落ち着かない。
こんなとき、セコンドについてくれた永島、銭安の姿が頼もしかった。特に銭安は、ローズと対戦経験がある。そのアドバイスに従わぬ手はなかった。
「いいかい、ローズのリーチは厄介だが、打撃を食らったからといって用意にガードを解いちゃ駄目だ。おまえの距離になるまで我慢するんだ」
銭安が朴訥な口調で言う。
彼は現在の超日ではヒールだが、こうしていると彼の性根のよさがわかる。
アナウンスが選手の紹介をはじめる。
「青コーナー、甲山・サト~ル~」
間延びしたコールに、片手を上げる。
すると、まばらながらも会場から拍手が上がる。
「甲山、負けんなー!」
「レスラーの意地を見せてくれ!」
まだまだ駆け出しの身である彼の名前を知っているのだ。この声の主は、間違いなくプロレスファンだろう。
ありがたい。
甲山は感謝の念の押し殺し、いつものようにリングへ深く一礼した。
「赤コーナー、モネ・ロォーズ~!」
コールされても、ローズはコーナーに陣取ったまま、片足をロープにかけたまま身じろぎもしない。
不孫な態度に甲山は腹が立ったが、なるべく感情的にならぬようつとめる。
ルールの確認が終わり、グラブを合わせようとするが、ローズは無視して背中を向けた。
甲山は決めた。
「野郎……ぶっ殺してやるよ……」
――ゴングが鳴った。
甲山はピーカブーで顔面をガードしたまま前進する。
それはさながら筋肉の重戦車のようだった。
対するローズは、巨体に不似合いなステップワークで、軽やかにリングを滑っている。
いきなり遠くから前蹴りが飛んできた。
ボディに入ったが、甲山は動じない。
すかさずにじり寄るが、ローズはバックステップでかわし、ロー。
バチンと甲山の太股が鳴った。
甲山は懐へ潜りこもうとするが、ローズは円を描くようにステップし、正確なジャブを入れてくる。
間合いが予想以上に遠い。このリーチを常に念頭に入れて練習してきたつもりだったが、いざ拳を交えると、この距離は、想像よりはるかに厄介だった。
ローズは甲山の突進を巧みにかわし、闘牛士の繰り出す槍さながらに、拳で甲山の皮膚を切り裂いていく。
オープンフィンガーグローブは、ボクシングのグローブよりはるかに薄く、厚みがない。
打撃経験のない甲山には、ストライカー対策の、苦肉の策のピーカブーだったが、厚みのない隙間から、確実にローズの拳は顔面を掠めていく。
ボクシングのグローブは柔らかいクッション部分で脳を揺らし、KOへと導いていくのだが、この薄さでは、よほど正確に顎先を撃ち抜かないと、打撃は容易に脳へ浸透する事はないだろう。
むしろカミソリのように皮膚を切り裂かれる確率が高い。
甲山のまぶたと頬には、早くも擦過傷による流血が見られた。
流血は見かけよりスタミナのロスはないが、激しい焦燥感を産む。
「ちっ!」
甲山は2階席まで届きそうな舌打ちをすると、誰の目からもタックル狙いだと一目瞭然な姿勢、クラウチングスタイルをとった。
「焦るな、じっくり行け!」と、永島の声が飛んだ。
その声に我にかえった甲山は、慌てて姿勢を戻し距離をとった。
危なかった。ローズは明らかにカウンターを狙っていたからだ。
そんな事も分からぬほど、いまの彼は平静さを欠いていた。
しかし、どう攻める?
逡巡しているうちに、ローズが前に出た。
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