高校のとき絵を描いていた女子

くだものと野菜

高校のとき絵を描いていた女子

 僕が通ってた高校っていわゆる進学校で、そのなかでも頭が良いって評判のところだったんですよ。で、そういう高校って、たんにお勉強ができるだけの人もまあもちろんいるんですけど、それだけじゃなくて、それ以外にもなにか一芸を持っていたり、すごいことができるやつがちょくちょくいたんですよね。飛び込みで全国大会行ったりとか、フェンシングでオリンピック候補になったりとか。

 そんな感じで、やたら絵のうまい女子がいたんですよ。おなじクラスになったことはなかったけど、学校の有名人だから僕も顔と名前は知ってて、あと、そのほかの噂話とかも。お家は代々日本画家の家系で、そのせいか子供のころから暇さえあればずっと筆を握ってたような子だったんだって。あとで本人に聞いたらそれは否定してたけど。「べつにお父さんとかは関係ないよ。ただ私が絵を描くのが好きでずっとやってただけ」って言ってたんですよね。

 でも、才能の遺伝とかはあったんだと思いますね。描いている絵は高校生のガキの素人目で見ても「うめー!」ってわかるようなもんでしたし。なんか、美術館とかに飾ってあるうまい絵って、抽象的だったり変なのが描いてあったりしてなに描いているのかわかんないじゃないですか。ああいう、芸術って高尚で難しい! ってなるようなやつじゃなくて、ちゃんと通学路とか地元で有名な山とか商店街とか高校の教室とかそういう風景とか人物とか、あと、リンゴとかバナナとか? とにかくちゃんとしたものを描いてて、しかもそれがめちゃくちゃ綺麗だったんすよ。本物と見まちがうというか。むしろ、本物以上のリアリティがあるというか。これが絵でなくて、ほんとうに世界にあるモノだったらよかったな、と思っちゃうというか。本物と絵を取り替えたいというか。

 もちろん、専門家からの評価も高かったみたいで、美術館で開かれている展示会で賞をとったりとか、県知事から賞状をもらったりとかしてましたね。全校集会で名指しで褒められていたこともありました。壇上に上がって校長先生からトロフィーをこうやって受け取るんすけど、そいつ、まじめな顔をしてにこりともせずに受けとるんですよね、いつも。「賞をもらうのがうれしいんじゃなくて、たんに絵を描いている方が好きかなー。賞はもらえたらもらえたほうがいいけど、なくてもいいし」ってそいつが言うのを聞いたことがあって。舞台のうえに上がるのは緊張するから、できれば派手なのはいやだな、って言ってました。おとなしめな子だったんですよね。

 顔は普通くらいかな。おしゃれにはあんまり気を使ってなかったですね。優等生って感じ。美術部にいちおう入っていたけど、ほかの部員とは違ってオタクって感じではなかったかな。きれい系ってよりは、かわいい系。まあ、平均よりは上くらいで、話したり自分と一緒にいるのを見られて嫌って思うことはなかったですかね。


 で、あるとき、放課後、そいつと階段で横並びになったことがあって、そのときちょっと横を向きながら目が合ったんすよ。で、軽くあいさつして、適当に「絵、すごいよね。玄関に新しく飾られているやつ見たよ」なんて言葉をかけたんだと思います。そしたら、向こうも笑って答えてくれて、それで、なんとなく玄関までいっしょにならんで歩くことになったんですよ。そこで、その子にこういわれたんだよね。「ねえ、しゅうくん、絵のモデルにならない?」

 しゅうっていうのは僕の下の名前で、春夏秋冬の秋って書いてしゅうって読むんだけど、まあともかく、とつぜん下の名前を呼ばれてびっくりしたんですよ。それで、でも、モデルっていいかもな、っても同時に思いました。「なんで俺?」って聞いてみたら、ひと呼吸おいて「イケメンだから」って返されて。

 いまはもう見る影ないと思うと思うんですけど、そのころの僕はけっこうモテてて、年に10人くらいから告白されるような感じだったんですよ。イケメンかはともかく、野球部で、健康的に汗かいてたし、いちおううちの野球部はちゃんと練習しててそこそこ強かったですし。それに成績も学年で上位20人くらいだったんですよね、で、眉とか髪の毛とかもいちおうしっかり整えて。高校生ってそれぐらいしてるとけっこうモテるんですよね。あ、まあ、僕の話はいいんですけど。

 で、イケメンって言われたこともうれしかったし、絵のモデルってなにをするんだろうって興味もあったから、そのときに、もうノリで、引き受けちゃったんです。そうしたら、「じゃあ、明日の放課後、美術室に来て」って言われて。野球部どうやって休もうかなって考えながら家に帰りましたね。


 つぎの日、美術室に行ってみたらその子が待ってて、で、「この椅子に腰かけて」「手すりに軽く腕のせて」っててきぱきと指示されて、制服の襟とかをつまんで直されて、で、「なるべく動かないでね」って命令されて。

 なんだか、ちょっと変な気分になりましたね。もう、美術室に入ったとたんからその子のオーラがなんか、変わっていて、この子の言うことには絶対に従わなきゃいけないんだな、って気持ちになりました。

 目線を動かすときに頭まで動かさないように注意しながら、そっとその子のほうを見たんですけど、キャンパスに向かって僕のほうを見ている目が、もう、ものすごかったです。あ、いまからこの子に、俺にあるものすべてを描かれてしまうんだな、って思いました。幼心ながらちょっと怖かったし、ピリピリしました。

 最初の一日は筆とか鉛筆とかまったく触らずに、じっと僕を見てくるんです。目とか耳とか、手足とか服とか。それどころか、僕の体についているホコリひとつひとつに至るまでぜんぶを見逃さないようにしているような感じで。たまに目が合うんですけど、目が合っていない。僕を見ているようで、僕とは違う、僕以上のものを見ているんですね。で、そういう様子のその子をモデルの立場からぎゃくに観察して、やっぱりすごいやつってすごいんだなって感動したのを覚えています。


 で、つぎの日からすこしずつキャンバスになにか描くようになってきて。でも、描いている時間よりは観ているだけの時間のほうが圧倒的に長いんですよね。で、当然数日で終わるようなものでもなくて、毎日、放課後、完全下校時刻までずっとやってたんですよ。帰るときはその子、汚れよけのエプロンを絵具で真っ黒にしちゃうくらいの激しさでした。

 で、結局、野球部に行く時間もなくなっちゃって、そこで野球辞めちゃったんですよね。いちおう、ショートでレギュラーだったんでコーチとか部活の友達にはめっちゃ怒られたんですけど、もうそのときは野球どころじゃなくて。宿題をする時間もなくなったし、授業中も絵のことを考えていて、目をつむってぼーっとしたりするようになって、その期間で成績もどんどん下がって、平均よりちょっと下くらいになっちゃいました。友達はみんな心配してたんですけど、もうそのときはそれどころじゃなくて、あの絵のことしか考えられませんでした。

 その子もそうだったみたいで、なんかちょっと痩せてるようにも見えましたね。勉強とかは、その子はもともとそこまで得意なほうじゃなかったし、志望も美大一本って感じだったのであんまり気にしてなかったんだと思いますけど。

 そんなかんじで、取りつかれたように、たぶん三か月くらいかけてゆっくり絵を描いたんですね。ふたりの共同作業って感じでした。


 で、その絵が、なんかのコンクールで内閣総理大臣賞というのをとったんです。だれのときだったかは忘れましたけど、市役所のホールで開かれた授賞式に首相が来て、で、いつもみたいににこりともせず真顔でそいつは賞状とでっかい盾を受け取っていたんですけど。で、僕も客席で見守ってたんですよね。僕が描かれた絵がそんな賞をとるなんてなんだか不思議な気分でした。

 でっかい賞をとったから、ってことでその絵は近くの公立美術館に展示されることになってて、自分の顔がでっかく見世物になっててけっこう恥ずかしい思いをしました。はは。でも、もっと大変なことが起こって、というのは、その絵が一週間くらいで盗まれて、その翌日にバラバラに引き裂かれた状態で美術館のそとのゴミ箱で発見されたんですよね。

 もう、大騒ぎになって、で、僕もなんだかいい気分はしませんしね。警察とかも捜査したんですけど、結局、犯人は見つからなくて。いまもまだ見つかってないと思います。

 そのあとは、もう野球部もやめちゃって筋肉も落ちててやることもなかったし、放課後はだいたいだらだらゲームとかしてたんですけど、その子に「もう一回モデルしない?」って誘われたんですよね。「絵が壊されちゃったから、もう一回描きたい」って。で、さっきも言ったとおり、僕は暇だったので、いいよって言って、それからまた放課後に美術室にこもる生活を始めたんです。

 ただ、このときは、一日目ひととおり僕を観察したあとすぐに描きはじめて、「あ、いちど完成させるとやっぱり早く描けるようになるんだな」って思いました。ちょっと残念でもありましたね。前みたいに三か月くらいかかるのを考えていたんで、思ったより早めにまた暇になっちゃうなって。

 でも、そうじゃなかったんですよ。今回は一か月くらいで完成したんですが、それもやっぱりいい作品だってことで学校の校長室前に掲示されてたんですけど、それも飾って三日くらいで誰かに盗まれてしまって。で、同じように校舎のトイレからバラバラに引き裂かれた状態で見つかったんですね。

 僕もその子もびっくりしました。学校で噂になって、たぶん、その子と俺が付きあってると思ってて嫉妬しただれかがやったんだろうってことになったんですよ。まあ、さっきも言ったとおり、いちおうそのころはちょっとだけモテてて、でも彼女とかは作ってなかったんで、告白されても全員断っていたんですよね。なんだか、そんな風なドキドキする気持ちにはなれなかったというか。

 もちろん、絵を描いてるその子とも、モデルをやってるってだけの関係でそれ以上のことはなにもなかったんですけど、やっぱりそうは思わない女子が一定数いたみたいで。

 でも、そのころは脂肪もついてきてて成績も下から数えたほうが早いくらいに落ちこんでたし、身だしなみにもあんまり気を使わないようになってたから、もう、まったくモテてなかったんじゃないかな、とは思いますけど。


 二度目破られてからは、なんだか僕もその子も意地になってしまって。じゃあ、もう一度描こうよ、とこんどは僕が提案するとその子もうんって言ってくれて。で、ふたりで描きあげたんです。こんどは二週間くらいで。

 でも、二週間で描いた絵は明らかに、もう、雑だったんですよね。あの子の絵にあった、本物よりも本物らしい感じはだいぶ薄れてて、色とかも薄かったり、あんまり考えて重ねられていないような気がしたし、輪郭とかもよく見たら、僕とはちょっと違うんですよ。

 で、今度は破られたら大変だから、ってことで飾らずに家に持って帰ろうとしたんですけど、完成した翌日、美術室に行ってみたらもう無くなってて、で、案の定美術室のゴミ箱に破られて捨てられてたんです。


 で、もっかい描きました。するとまた破られるんですよ。描いても描いても破られてしまって。で、新しく描くたびにその子が僕を観察する時間は減っていって、もう最後のほうは僕のほうとかまったく見てませんでしたね。俺いる意味あるのか? って。

 でも、すこしでも表情を動かしたりとかすると、「動かないでっ!」って悲鳴をあげて怒られるんですよ。なんで、僕も腹をくくってずっとじっとしていました。

 絵はどんどん雑になっていって。もう七枚目くらいから色も塗らないようになっちゃって、鉛筆のデッサンみたいになって。で、しまいにはデッサンもくるってしまって俺なのかグジャグジャした線なのかわからないような絵になってしまってました。

 でも、なんというか、その子の絵の、本物より本物らしい感じはかろうじて残ってて、なんか、グジャグジャの黒い線が僕より僕らしいってのも変な話なんですけど、でも、そのときははっきりそう思ったんですよね。でも、そういう本物らしさも枚数を重ねていくうちに薄れていって、もう、その子の絵を褒める人も誰もいなくなって、僕とそいつは学校でも触れちゃいけない人みたいな扱いになってましたね。でも、卒業まで何枚も描き続けました。ぜんぶで40枚くらいになったんじゃないかな。まあ、ぜんぶ破られちゃったんですけど。

 で、そんな調子だったんで、結局大学も落ちて、浪人したんですけど、僕は志望校はダメで。その子も結局美大には入れなくて専門学校に行ったって聞きました。……卒業してから連絡を取ることはなかったですね。


 ただ、でも、奇跡的に一回だけ東京で会ったことがあって。……はい、偶然なんですよ。そのとき僕は27くらいで、結局大学は単位取れずに退学になっちゃって、普通のバイトも続かなかったんで、なんかV系バンドの真似事をするホストクラブみたいなところで働いていたんですよね。

 いやいや~。もうぜんぜん、化粧で誤魔化してやっと数名客がいて、それで日雇いとかを補助でいれてやっと食っていけるような状態で、で、いつまでもできる仕事じゃありませんでしたし、もうお先真っ暗って感じでしたね。貯金ももちろんなくて。肌は荒れまくってたし、髪もブリーチの当て過ぎでカピカピになってました。……生活もボロボロでしたね。

 そんなときに偶然行ったクラブでその子と出会って、お互い「あ――、」って。

 その子の外見も相当変わってたんですけど、なんとなくわかりました。で、いっしょに店を出ようか、ってなって。

 ふたりとも金がないってことだったんで、その子の家に行くことになって。で、先にお風呂を借りようと思ったんですよね。そのとき、僕激しいV系メイクのままだったんで、落とそうと思ったんですよ。でも、「そのままでいい」って言われて。で、ふたりで布団で、……寝たんですけど、彼女は最初俺の顔に手を伸ばしてきて、手が化粧品の塗料まみれになっちゃって、顔中にキスされたもんだからお互いの顔がぐちゃぐちゃになっちゃって、最終的には布団まで絵の具まみれのぐちゃぐちゃになっちゃって。


 朝起きて鏡を見たとき、「あ、なんだ、あのとき描いていたのはこれだったんだな」ってなっちゃって、腑に落ちるような感じでしたね。


 で、そのままそれっきりです。……噂は聞かないこともないんですけど、どっかの風俗で働いたあと、いまはスナックにいるっては聞いたことありますね。ほんとかは知りませんけど。

 で、僕はホストクラブも追い出されて、いっときネカフェ生活だったんですけど、つてでバーテンをやらせてもらえるようになって、いまはこうやっていろんなお店で修業中って感じですね。あの絵を描いていたとき、一枚目を描いていたときが人生のピークだったかなー、って、いまになると思っちゃいますね。



 そう言って、目の前のバーテンダーがカクテルをシェイカーから注ぐ。いろいろなお酒がぐちゃぐちゃに混ざったような味で、店で出せるような出来だとはとても思えなかった。



2017/9/22

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