三話 降臨、満を持して
ン・ダーハとの約束の日、その昼頃。俺は彼女に指定された建物の前で待っていた。
その待ち合わせ場書というのが自宅からも離れており、電車で三駅先の寂れた駅で降りてから、瓦屋根の多い住宅街を抜ける。細い路地に入り進むと見えてくる吹き抜けた空間に建てられた、人気のない怪しげな木造建築の平屋だった。
怪しげな平屋は『神の懐』と看板を掲げており、いかにも頭のおかしい人間が好んで入り浸りそうな雰囲気を醸し出している。
本来初対面の男性と人気のない場で会うのは女性にとって危険なはずのなのだが、背後にある平屋はこれから会う女性のホームグラウンドであることを嫌が応でも主張してくるため、危機感を持つのはこの場にいる男性、つまり俺だ。
この平屋を目視したときから背中に冷たい汗をかいているので、すぐにでも来た道を戻りたい。しかし、俺の行動はン・ダーハに筒抜けとなっている。下手な行動をとればまさしく神の懐に召される事態になりかねない。
そう、面倒くさがって思考を放棄し、ン・ダーハとの出会いを楽観的に考えてはいたが、彼女は超能力者でストーカーである。やもすれば俺の体が宙に浮き、全く別の場所へと瞬時に移動して自然発火してもおかしくないのだ。
おとなしくン・ダーハを待ち、平屋の方の神の懐へ潜り込んだ方が得策だろう。虎穴に入らざれば虎子を得ず。しかし彼女の子供を手にする未来になるのも避けたい場合はどうすればよいのだろうか。
あらゆる危険な予感を追い払いながら、平屋の前で挙動不審にン・ダーハを待つ。すると、携帯電話が彼女からのメッセージを受け取った。
『お待たせしました。降臨しますので、救いを求めてもらえますか?』
救いならば先ほどから求め続けているのだが、伝わってないのか。
だが、救いを求めろと言われても、いったいなにをすればよいのだろう。
俺は胸の前で両手を右往左往させた後、両手を合わせて合掌の姿勢をとる。勢いよく合わせたため、柏手を打ったように乾いた音が響いた。
空から光が差す。雲一つない快晴だというのに、さながら雲の切れ間から漏れ出た陽光のようだ。それは天から降ろされた神聖な階段にも見え、その先は俺の対面へと続いている。
光に沿って視線をあげると、人に似た小さな異物が影を作っていた。人影はゆっくりと光の中を下り続け、地面に映す影を濃くしていく。とうとうそれは俺の前に降り立った。
「救いを求める声を聞きました。その主はあなたで間違いないですね?」
目の前の女性は白色の一枚布を体に巻いて服のように着付け、その小柄でスレンダーな曲線美を惜しげもなく浮彫にしていた。ところどころに見える肌は白く薄く、露出部位がまばらであるにも関わらず情欲を煽る。白色を基調とする体のおかげで、腰まで伸びた金髪が強調され美しさをより引き立てていた。
女性の桜色の唇から紡がれた言葉は人には出せない威厳が感じられ、根拠もなく人外の存在であると認識させられる。長いまつ毛と切れ長い目を伏せながら、彼女は俺の返答を待っているようだった。
「えっと、救い、求めました」
たどたどしい言葉遣いになる俺を誰が責められるだろうか。いや、誰も責められまい。ン・ダーハに戦々恐々としていた気持ちは吹き飛び、目の前の女性に緊張を強いられる。
きっとここにいるお方は、俺の救いの声を聞いた天からの使いなのだ。神様を自称する超能力ストーカーに業を煮やし、その悪しき存在を滅するためにやってきたに違いない。
俺の返答に女性は顔を上げ、美麗な顔つきからは不釣り合いなほど人懐っこい笑みを浮かべた。
「そうですよね! 初めまして、ン・ダーハです。今日はよろしくお願いします」
天は俺に悪しき存在を使いに出した。
平屋の看板の下に垂らされたのれんをくぐると、外観とはおよそ不釣り合いに開けた屋内が視界に広がった。入口の傍には会計棚があり、少し離れて右側に一人用のカウンター席が十数席、反対側に六人座りの座敷席六つ、さらに通路の先には個室が幾つか確認できる。
カウンター席を挟んだ右奥には調理場があり、共通のエプロンを着用した店員らしき存在がせわしなく動いていた。彼らに対し呼びかける、カウンター席や座敷席の客らしき人影も多数見える。どうやらここ、神の懐は居酒屋らしい。
気にかかるのはこの異様な空間である。路地の奥にある平屋とは思えぬほどに広い。さらに、この店を利用している存在は全て、人とどこか違っている。
現に俺の前へ案内をしに来た店員は、図体が俺の二倍はあろうかという巨体で、腕も足も丸太のようだ。なによりも人目を惹くのは、髪の毛をかき分けて生えているように見える一本の白い棒。角だろうか。そんなわけないか。
「いらっしゃいませ。神の懐日本支部へようこそ。おや、人間の方が二人! 男性の方は角が気になりますか?」
角だった。
店員は「自慢の角なんですよ」と誇らしげに笑みを作り、予約はあるかと訊いてくる。ン・ダーハが肯定の返事をして、俺たちは奥の個室へと通された。
個室は二人用となっているのか正方形の机が一つと、それを挟んで椅子が二つ置かれている。ン・ダーハが椅子に座るのに倣い、俺も彼女に対面するよう腰を落ち着けた。同時に、彼女は安堵のため息を吐く。
「いやぁ、緊張しました。地上の生命以外も来れる店とは本当なのですね」
ン・ダーハの言葉が耳を抜ける。彼女は机上に置かれたメニュー表を手に取り、ドリンク類を物色し始めた。
俺はいったいどこに連れて来られたのだろうか。個室に入るまで不躾に店内を見渡したが、どのシルエットも人間には当てはまらなかった。
種族交流会の誘い文句である『人間以外の女性が多数』が脳裏に浮かぶ。目の前の女は本当に神様で、この店はそんなやつらがはびこる悪夢のような場所であるのか。
しかし、店員は人間が二人と言った。つまりン・ダーハは人間以外なんていうカテゴリーには属しておらず、今までの神様的な言い当てや空から降りてきたことはなにかの偶然で起こっていた可能性がある。
この店も実はコスプレ好きが集まる居酒屋で、室内がやけに広いのも単なる目の錯覚であることは否定できない。雰囲気を壊さないために、店員も設定を作っているのだ。そうに決まっている。
「実は今日、神だということは隠しているのですよ。神の懐は天界が運営しておりますから。正体がわかると、かしこまられてしまいますしね」
人差し指を立てて唇に当て、ン・ダーハは可愛らしく片目を閉じてみせた。
今は考え事をするのはやめよう。どうせなにを考えても、対面の自称神様の発言一つでおじゃかになるのだ。今日の目標は彼女に嫌われることである。彼女の設定に乗りつつ、刺激しないようストーカーを止めさせればいい。
「あの、モノグサさん。どうかしましたか? 私とお話をしたくないのでしょうか?」
ン・ダーハが眉を下げて俺の顔を覗き込んでくる。思考に没頭していたせいで、彼女を不安にさせたらしい。
「いえいえ、やっぱり神様と実際に会うと、なにを話していいかわからなくて」
「あら、そうなのですか。では、今日は私が導いてあげなくてはなりませんね。迷える子羊を導くの得意ですよ。神ですから!」
「俺、羊じゃないです」
まずは牽制がてら、比喩のわからない男を演出しよう。
「あー、私生命目線で見てしまうのですよ。生命的には人も羊も大きな差がなくて……悪い癖です」
比喩じゃないのかよ。
「それならそれで、羊と同程度の俺に会ってくれて感激ですよ! ほら、なにか頼みましょう」
俺が提案すると、ン・ダーハはメニュー表を渡してくれる。その内容はコスプレ居酒屋にしては一般的なラインナップで、頭を悩ませる必要はなさそうだった。
居酒屋では酒を飲み、お互いの理性を緩くして素に近い状態を振る舞う。そうすれば自然と相性が見えてくる。
以前に他サイトで出会えた女性二人は、俺の飲酒を切っ掛けに愛想を失くしていった。きっとン・ダーハも撃退できるはずだ。
「ワインも美味しそうですね。でも、神の子の血を神が飲むなんて、猟奇的に感じるかもしれませんね!」
メニュー表を指さしながら、神様ジョークを飛ばすン・ダーハ。俺はそれに愛想笑いで返す。店員を呼んでビールとワインを一杯ずつ頼むと、ほどなくして注文通りの液体で満たされた二つのグラスが並ぶ。
浮かれていられるのも今の内だ。ン・ダーハの好感度必ずや下げてみせる。
「ン・ダーハさん。それじゃあ、乾杯しましょうか」
「生命と杯を合わせるなんて、夢のようです!」
「お、俺も神様と乾杯なんて光栄ですよ」
二度目があるなら、ぜひとも遠慮したい。
「人と神様の出会いを祝して」
俺の前ふりに合わせ、俺とン・ダーハはグラスを掲げる。乾杯の掛け声と共にお互いのグラスを合わせると、小気味よい小さな音が鳴った。
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