第3話 宮本雅の『9月21日』 エピソード2
9月21日、7時5分。3回目の今日が来た。
今日も役目を果たせない目覚まし時計がじっと私を見つめている。
アラームはいつも7時半にセットしてあるけど、いつも決まってそれより前に目覚める。
「いつも、いっつも、そればっか!」
家中に響く母親の声。今日が今日でも、今日でなかったとしても繰り返される日常。両親は毎朝答えの出ない喧嘩を繰り返し、父親が仕事から帰ってくればまた喧嘩の繰り返し。
でも、最近は父親は夜遅くになってから、母を避けるようにして家に帰ってくるようになった。だから、母の怒鳴り声を聞くのは朝だけで済んでいる。
「だから…」
父親の声はいつも空気に消えてしまうか、母の怒号にかき消され誰のもとにも届かない。想像できる、母の顔も見ず、新聞に目を落とし、ただ時間が過ぎるのを待つような父の姿が。
両親の喧嘩も娘の私には関係のない話だ。
喧嘩しないで、と耳を塞ぐこともない。今日もまたやってる、とも思わなくなってきて、早く離婚すればいいとさえ思っていた。
「いってきます」
さっきまでとは一変して静まり返った、リビングの前を通り過ぎるとき、やっぱり父は新聞から目を離さずにいる。そして、その傍らには、薄い紙が置いてある。
やっぱり、今日は昨日と変わらない9月21日なんだ。
その紙を私は遠目でしか見ていないけど、間違いなくそれは離婚を明確にするための紙だとわかる。3回も見れば、間違いない。
鞄を持った右手をぎゅっとにぎる。
何度繰り返しても、そうしている自分がいる。
ただでさえ面白くない授業は、3回目ともなるとさらに面白くない。
どの先生も録画したDVDをリピート再生するようにまったく同じ授業をする。
だけど、数学の小テストは3回目だから、すらすらと解けた。
体育のダンスの授業は、みんなは初めてでも私は3回目だから先生のお手本をすぐに真似できる。
その時の、先生や友達の反応は面白かった。
このタイムリープは基本的な日常は変わらないけど、私がちょっと今までと違うことをするとちょっとだけ周りの反応や状況も変わるみたいだ。
私が何かすると、今までの9月21日が少し変わって、またいつもの9月21日に戻っていく。私だけがこの日を生きていて、まるで私が今日の9月21日を演出しているみたいだった。
――今日もこれから友達と一緒に帰って、そしたら電車が遅延していて、駅のホームは少し混雑していて、私はホームから落ちるんだ――。
復習するようにこれからの未来を考えていると、今日最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
放課後の帰り道は、いつも通りそよ風が吹き、白くまっすぐな飛行機雲が横断する晴天だった。そんな空を仰ぐ私を急かす友達。
駅に着くと電車は今日も遅延していて、人の波もいつもより激しかった。
「『えー、電車遅延してるのぉ』」
紗那絵の声に、記憶の中の紗那絵の台詞を重ねる。
声には出してないけど、その言葉はぴったりと重なって、思わずくすっと笑ってしまった。紗那絵や友達に不思議そうな視線を向けられ、何でもないよとごまかした。
けれど、紗那絵たちはまだ納得のいかない表情を浮かべているので、「もう、電車来ちゃうよ」と言って別れた。
「今日は、もう終わるのかな」
ひとりになって、ホームに向かう階段の手前でぽつりとつぶやいた。
構内のアナウンスでその言葉は自分でもあまり聞き取れなかった。
けれど、そのあとの言葉ははっきりと聞き取れた。
「やっぱり、タイムリープしてるんだ」
考えるより早く、振り向いていた。
振り向いた先には、同じ学校の制服を着た少し背の高い男子が立っていた。さっきの声は間違いなく彼のものだ。
そして、段々と思考回路が追い付いてきて、彼がクラスメイトの梶湊だということに気づく。だけど、彼とは全然話をしたことがなくて、名前以外の情報が何も浮かんでこない。
「梶君?梶君も同じなの?」
早くしないと、電車が来る。
それなのに、梶湊はなにも答えてくれない。
「ねえ、何かしってるの」
彼は黙ったままで、少し微笑んだ。
私は彼がなにを考えているのかわからなかった。
それに電車が気になって、焦っていた。
「なんでそんなに電車を気にするの?遅延は解消されてる。電車はこのあともすぐ来るよ」
私の筆問には答えず、彼は彼のペースで話を進める。
もう、聞いてる場合じゃない。この運命は、これからの今日だけは変わってはいけない。
私は、彼に背を向けて走り出した。
梶湊の「なんでそんなに電車を気にするの?」という言葉が頭から離れない。
なんで彼がそんなことを聞くのか、わからない。
だけど、その答えは簡単だ。
私は、今日、この時間に、ホームに飛び降りなければならないから。
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