第十色 ⑤
あっという間に日が沈み、夜空にはたくさんの星が見えている。
いつもは提灯の明かりが灯るこの街も、今日は住人たちが付けた様々な色が辺りを照らしている。
目の前に広がる屋台もいつもに比べてその数が多く、出ているヒトの数も徐々に増えてきた。
普段から賑やかな光景がより一層賑わいを見せる。
琥珀たちは
味噌や醤油で味付けしたイカ焼きや肉と根菜を詰めて鍋で煮込んだ油揚げなどはいつも売られているけれど、初めて目にするものもあり、思わず目移りしてしまう。
花の形の揚げ物や、虎やウサギといった動物をかたどった練り菓子、色の違う米を何層も重ねて蒸し焼きにした食べ物なんかもある。
その時、目の前に串に刺さったサツマイモが差し出された。驚いて顔を上げると、珊瑚がもう片方で同じ串を持ったまま、
「空が買ってくれたの。これ、琥珀の分」
「ありがとう」
礼を言って、その串を受け取る。
二人してサツマイモにかじりついた。サツマイモの表面にかかった蜜の甘さとイモのほっくりとした食感が優しい。
「珊瑚さん、祭り楽しい?」
「うん、楽しいよ。こういうの初めてだし。最初はヒトがすごくて目まいがしたけど、今は大丈夫。少し、慣れたから」
「そっか。よかった」
その時、紅月の鳴く声が頭上から聞こえた。
琥珀が自分の腕を伸ばすと紅月がそちらに下りた。串を彼に近づけると、器用にくちばしでイモを引き抜いて、美味しそうに食べ始める。
その様子を不思議そうに見ていた珊瑚は琥珀に視線を戻してから、
「ねぇ、琥珀の住んでいたところもお祭りってあるの?」
「うん。ここのお祭りとほとんど同じだよ。露店もあるし、人も毎年すごいよ」
「そうなんだ」
微笑んでそう口にした珊瑚に琥珀が頷く。
再びサツマイモにかじりついた時、「
二人が声のした方に歩いて行くと、ちょうど常磐が買って来た酒瓶をみんなに見せているところだった。
透明の瓶の中には黄金色の液体が揺れている。
常磐は琥珀たちに気付くと、ビンを持ち上げて満面の笑みを浮かべた。
どこかで飲んできたらしく、彼女の顔はほんのりと赤く染まっている。
「ほら、これ見てごらん」
持ち上げられたビンには、『梟ばたけ』の文字が躍る。
「ねぇ、そのビン何ばたけって書いてるの?」
琥珀が訊くと、
「ふくろうばたけ、って読むんだよ」
「面白い名前だろう? 味も美味いんだぞ。にごり酒でな、クセもなくて飲みやすい」
琥珀は思わず、抱えていた紅月に視線を落とした。珊瑚も同じように紅月を見る。
「フクロウ……」
二人の頭の中に、畑に埋まっているフクロウの姿が浮かんだ。なぜか、想像するフクロウはみんな赤い。畑に埋まった数匹のフクロウがやかましく羽をばたつかせる姿を想像する。
「その銘柄なら、お前の店にもあるじゃねえか」
「何言ってんだよ、七両。店の商品飲めるはずないだろ?」
「とかなんとか言って、何年も前に店の酒こっそり飲んで親父さんにどやされたのが堪えてんだろ?」
山吹は意地悪く口角を上げてみせた。
「あれは兄貴(次男)が勧めてきたから飲んだんだよ。どこからか貰ってきたもんだとばかり思ってたしさ。売り物だって知ったのは、父さんに言われるまで知らなくて……」
常磐がさらに顔を赤らめて当時の状況を説明していると、突然辺りで歓声が聞こえた。
みんなで声のする方に顔を向ければ、踊り場で舞を披露する各区画の
「ヒショウさんたちの踊り始まってるじゃないか! ほら、この話はもういいだろ? さっさと行くよ」
常磐はそう言うと、七両と山吹の背中をぐいぐいと押していく。
その様子を見ていた空と浅葱は小さく笑っていたけれど、琥珀と珊瑚の二人はぽかんと口を開いたままだ。
「ほら、お前たちも行くぞ? 踊りが終わってしまう」
鳶に促されて、琥珀たちは先に歩いていた空と浅葱の後に続いた。
区画長はそれぞれ違う道具を手にして、横一列に並んで踊りを披露している。
猩々緋が持っているのは、以前七両に貸した大きな扇だ。それを左右に、時には下から斜め上に曲線を描くようにゆったりと動かしている。
他の区画長も同じような動作で、七両が披露しているような大きな動作で迫力のある演舞とはまた雰囲気は違う。けれど、その違いも楽しい。
やがて、五人の踊りが終わるのと同時に、夜空から緑褐色の淡い光が降り注いだ。光の奥には、街長である
観衆と同じ様に、五人の
「この色って
琥珀が不思議そうにその緑色に見入っていると、
「踊りが終わると、こうした淡い光が降り注ぐんだ。必ず街長が持つ色じゃなきゃいけねえらしい。
まるで独り言のように呟く七両の横顔は普段と違って儚げに見えて、琥珀は不思議と胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
その後は、出店で売られている甘味を買うためにその一帯に移動した。
「この先にある店の練り菓子が美味いんだよ」
「山吹は毎回それ言ってるよなぁ」
山吹と浅葱の会話を聞きながら琥珀が彼らの後を歩いていると、ちょうど飛び出していた木の枝に、帯締めにぶら下げていた巾着を引っかけてしまった。慌ててそれを外そうとした時、
「あっ!」
引っかかっていた巾着は外れたけれど、今度はお守りのガラス玉が奥の細い道へと転がっていった。
慌ててそれを追いかけていく。
珊瑚がそれに気付いて、琥珀を呼んだ。けれど、彼にはその声は届いていない。
他のみんなも異変に気付いて歩みを止めた。
「琥珀、どうしたんだ?」
山吹が尋ねると、珊瑚が琥珀が走って行った方を指さしながら、
「お守りのガラス玉を落としたみたい。それで、琥珀が追いかけて行ったんだけど」
見ると、琥珀の後ろ姿がちらりと見えた。
確かその先は行き止まりのはずだ。すぐに戻って来るだろうと思ったけれど、空は琥珀の先にある壁の色が赤く変色しているのを見逃さなかった。
提灯の明かりがたしかにその紅色を照らしている。
「待って、琥珀くん!」
空が声を張り上げた時には、すでに紅月が琥珀を追いかけていた。
慌てて紅月の後を追う空に続いて、七両や常磐たちも走り出す。
「待て、琥珀……」
七両が彼の名前を呼んだ次の瞬間、琥珀の姿が壁の先へ消えた。
「おい、どうなってんだよ?」
山吹は両手を壁に付けたが、付着していたはずの紅色がそこにはない。
「この先にはいないの?」
顔を上げて尋ねる珊瑚に、浅葱は困った表情を向ける。
「うん。ただの壁だから……」
「ちくしょう! まだ琥珀にあの甘味食わせてないんだぞ!」
山吹は何度も壁を叩いている。それを鳶と浅葱が止めようとするが、彼はまるで聞く耳を持たない。
常磐も壁に手を付いて、琥珀の名前を呼んでいる。
空と珊瑚は壁を前にして立ち尽くしていた。
「琥珀……」
七両はそんな彼らをただ見ていることしか出来なかった。
「よかった。失くさなくて」
琥珀は一安心して、立ち上がった。
けれど、目の前の光景は長屋が立ち並ぶ街なんかではない。横に顔を向ければ自動販売機があり、顔を前に戻せば寒空の下、コートに身を包んでスマートフォンを手にする人々の姿があった。
高層ビルやラーメン屋なんかも見える。
琥珀が呆然としていると、
「おーい、琥珀」
自分を呼ぶ父親の声が聞こえた。
前方から両親と妹が駆け寄って来るのが見える。
「ちょっと琥珀、何でそんな恰好してるのよ?」
母親は彼の両肩に手を置いたまま、驚いて琥珀を見た。真冬なのに着物だけしか着ていないのだから、無理もない。
琥珀は顔を上げて空を見上げた。厚い灰色の雲が空を覆っている。
(違う。彩街の空はこんな空じゃなかった)
どこまでも澄み渡っていて、きれいな星がたくさん見えていた。
琥珀が顔を前に戻した時、視界が急にぼやけた。
「お兄ちゃん?」
琥珀はその場で意識を失った。
次に目を覚ました時には、旅館の中にいた。
見覚えのある天井だ。
「あっ、お兄ちゃん起きたよ」
「琥珀、大丈夫か?」
父親が傍まで来て、腰を下ろす。
「うん。ねえ、僕が持っていたお守りは?」
「お守り? これのことか?」
父親はテーブルの上に置かれていた朱色の巾着と紅に染められたガラス玉のお守りを琥珀に渡す。
琥珀はしばらくの間、ガラス玉を見つめていた。
やがて、それをぎゅっと握りしめると、むくりと上体を起こした。
布団から出て、部屋と廊下を隔てている襖にふらふらと向かって行く。
「おい、琥珀。どうしたんだ?」
「まだ寝てなきゃダメよ。今、病院に行くから……」
琥珀は両親の言うことも聞かずに、部屋を出ると廊下を走り出した。
中庭に面したガラス戸を乱暴に開けて、雪が積もる真っ白な庭に降り立つ。
次の瞬間、彩街にいた時の思い出が蘇ってきた。
住人たちの姿が次々と頭の中に浮かんでくる。
常磐、空、
もちろん、紅月や
琥珀の視界はどんどん歪んでいき、涙があとからあとから溢れてくる。
涙を拭いもしないで、顔を上げて曇り空を見上げた。
「七両……」
けれど、琥珀の名を呼ぶ者は誰もいなかった。
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