第九色 ③
医務室は建物内の一階にある。奥に続く廊下を突き当りまで進んで右側に曲がると、医務室の看板が見えた。
「ここに
「うん」
柑子は頷くと、顔を前に戻した。
「街長、柑子です。失礼します」
断りを入れてから入ると、部屋の中には
「おやおや。まさか、お前たちまで来るとは」
布団の上で上体を起こしたまま露草が言った。顔色は少し悪いが、朗らかに笑うその姿は思っていたよりもずいぶんと元気そうで、七両たちは面食らってしまった。言葉が出て来ない。
「何だよ、元気そうじゃねぇか」
七両が柑子を睨むと、彼は困惑したまま露草に尋ねた。
「先生、街長の容態は?」
「心配しなくてもいい。貧血だ。ただ、今日は大事を取ってゆっくりしてもらう必要がある」
露草が答えると、
「そう言うことじゃ。朝から心配をかけて、すまなかったのう」
「何だ、よかった」
琥珀と柑子はほっと胸を撫で下ろす。
その後、あることを思い出して柑子が訊いた。
「先生、
「家に置いて来た。まだ、寝ていたしな。朝飯の準備と置手紙もしてきたから、心配はいらんよ」
「露草、今度来る時は珊瑚を連れてきておくれ。
鶯が笑ってそう言うと、露草は少し困惑した顔で、
「はあ。あの、街長もご存知だとは思いますが、珊瑚はかなりの人見知りなので」
「なあに、そんなもの気にせんよ」
「いや、そういう問題ではなくて……」
どう返していいか困っている露草に苦笑してから、琥珀は七両を見上げた。
彼は先程から黙ったまま鶯を見つめている。彼に視線を向けているけれど、意識は別の世界にあるように感じた。
琥珀が声をかけようとした時、露草が立ち上がった。
「私はこれで失礼します。何かあったらご連絡下さい。あまり無理をなさらないように」
「分かっとるよ。お前も無理しなさんな」
笑みを浮かべて、頷く。
「七両、琥珀。俺たちもそろそろ出よう? 急いで連れて来て悪かったよ」
琥珀は頷いた後、再び七両を見上げた。彼はまだ鶯を見つめたままだ。
「七両。ねぇ、七両ってば!」
「何だよ、琥珀?」
我に返った七両は、不思議そうな顔で琥珀を見下ろしている。
「先生、帰るんだって。僕たちも帰ろう?」
「ああ……。 じゃあな、鶯。ちゃんと休めよ」
鶯はうんうん、と頷いた後、琥珀たちに別れを告げた。
※※※
そのまま廊下を進んでいると、男のヒトが二人がかりで何やら派手な色合いの絵を運んで行くのが見えた。
赤や紫、緑などで彩られた極彩色の虎の絵だ。
「柑子、あの絵は何?」
「ああ、何日か前に引き取ったって聞いたな。でも、誰が描いたのか分からないんだ。最近描かれたものじゃないらしいよ」
「へぇ」
琥珀はふとあることに気付いた。
「あの絵、七両の絵に似てるね」
琥珀が七両を見上げてそう言うと、
「似てねぇよ。こんな絵、いくらでもあんだろ? さっさと帰んぞ」
面倒臭そうに答えた後、一人でさっっさと歩いて行ってしまった。
「柑子。私は
「あっ、はい。来て頂いて、ありがとうございました」
柑子は礼を述べると、琥珀とともに廊下を進んだ。
七両と琥珀を門まで送ってから、休憩室へ入ると、
「よっ、柑子」
「朝からお前も大変だな?」
声をかけてきたのは、さきほど虎の絵を運んでいた二人だ。
「ああ、まあな。ところでさ、さっき運んでいた絵ってどこで引き取ったんだ?」
「
「あの絵、今どこにある?」
柑子が
「蔵にあるよ。報告書の束が所蔵されている蔵に一時的に置いて来た。後で、どうするか決めるから、それまで置いておくつもりだ」
「分かった。ありがとう」
柑子は礼を言った後、休憩室を出た。
※※※
目の前の蔵に設置された額には、誰の木札もはめられていない。なので、中には誰もいないことになる。
(あの絵、七両の絵に似てるね?)
柑子の脳裏に琥珀の言葉が蘇る。
手に持っていた自分の名前が書かれた木札を額にはめる。その瞬間、木札がオレンジ色に染め上がった。
柑子は辺りに誰もいないのを確認してから、蔵の引き戸を開けた。
虎の絵は隅の方へ立て掛けられる形で置かれていた。持って来ていた提灯をその絵に近付ける。
粗削りだが、よく描けていると思う。極彩色の派手な色合いが不思議と絵の雰囲気と合っている。
(確かに、七両の絵に似てる)
柑子は絵から視線を逸らすと、傍にあった棚から古い報告書に手を伸ばした。数冊手に取ってから、そのうちの一冊を捲って行く。
そして、ある頁で手を止めた。
柑子はしばらくその頁に書かれた内容に目を通していた。
「やっぱり、そうか!」
顔を上げてそう呟いた後、報告書を閉じて元の場所に戻してから、もう一度あの絵を凝視する。
しばらくその場に立っていたが、柑子は絵に背を向けると引き戸に向かった。
※※※
琥珀の周りには真っ赤なヒガンバナがたくさん咲いている。
(ヒガンバナ? じゃあ、ここは
顔を前に向けると、紅い髪の少年がこちらを見ていた。視線が鋭いせいか、見ていると言うよりも睨まれているような気がして、琥珀は一瞬身が
「だ、誰?」
恐る恐る声をかける。
無造作に伸びた長髪、ボロボロに擦り切れた着物、こぶ結びになった帯。傷だらけの腕と足。
その姿は、浮浪児を思わせる見た目だった。
琥珀がその少年を眺めていると、彼の背後に何かが近付いて来るのが見えた。
紅い毛並みのオオカミだ。
(
少年は琥珀から視線を外すと、背を向けて歩き出した。緋楽も同じように琥珀に背を向ける。
「待って!」
琥珀が呼んでも、彼は振り返らない。
「待って、七両!」
そこで目が覚めた。
「あれ、七両?」
目の前には紅月が心配そうに、こちらを覗き込んでいる。
琥珀は起き上がると、紅月を抱えて向かいの部屋に入った。けれども、七両の姿はない。
「紅月、七両どこに行ったの?」
紅月は琥珀の腕を離れると、答える代わりに卓の上に置かれていた手紙を突いた。
それには、「外に出て来る。昼までには帰る」、とだけ書かれていた。行き先など詳しいことは何も書かれていない。
その隣には、
琥珀はおにぎりを一つ掴むと、それを食べ始める。
「七両、どこに行ったのかな?」
再び紅月に聞いても、答えは返って来なかった。
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