第九色

第九色 ①

 うぐいすに会うまで、他の住人がどんな生活をしているかなんて知らなかった。それ以前に考えたこともなかった。

 自分の中にそんな考えなど、微塵みじんもなかったからだ。


 「おい、やっぱりお前の言った通りだな?」

 「だから、言ったろ? こいつ、どんなにぶっても絶対に泣かないって」

 「本当に可愛げがねぇよな? 見て見ろよ、こいつの目」

 男が睨む先には傷だらけでうずくまる紅い髪の少年がいた。着物は擦り切れ、さらけ出した腕や足には無数の痣が見える。

 ううずくまりながらも腫れた顔だけはしっかりと上げて、男たちをねめつけていた。

 「本当に生意気なガキだよなぁ。あれだけぶったのにまだ睨む元気があるのかよ?」

 「まあ、いいさ。おい、。今日はこれくらいにしてやるけどな、また逃げようなんて考えるなよ? お前は俺たちの言うことだけ聞いてりゃいいいんだよ」

 三人いる男のうちの一人が口を開く。七両しちりょうと呼ばれた少年は否定も肯定もせず、ただ自分に下卑た視線を送る男たちを睨み付けているのだった。

 ——―――

 夕食を済ませた七両が窓を全開にして煙管きせるを吸っていると、琥珀が駆け寄って来た。

 「ねぇ七両、明日忙しい?」

 琥珀はどことなくそわそわしていて落ち着きがない。

 「何だよ、急に。別に忙しくねぇけど」

 「じゃあ明日、五画ごかくに行こうよ?」

 「五画?」

 七両が聞き返すと、琥珀は大きく頷いた。話を聞けば、昼に一画へ行った際に柑子こうじとたまたま会ったらしく、明日五画にある文房具屋に行くから一緒に行かないか、と誘われたらしい。

 「僕、まだ五画に行ったことないし。一緒に行こうよ? 文房具屋さんもあるって言ってたよ」

 「だったら柑子と二人で行ってこい。俺は行かねぇ」

 七両は頭を掻きながら、面倒くさそうにそう答えた。

 「え? どうして?」

 琥珀が困惑した顔で尋ねると、

 「五画あっちまで行く必要がねぇからだよ。二画こっちにだって文房具屋も画材店もあるしな」

 「七両は五画に行ったことないの?」

 自分に詰め寄る琥珀から視線を外して、

 「滅多に行かねぇよ。用もない」

 溜息を吐いて七両がそう答えた時、玄関の方から白群びゃくぐんの声が聞こえた。

 「琥珀ー、俺の部屋に筆忘れて行っただろ? 届けに来たぞー」

 「あっ、忘れてた!」

 琥珀は紅月こうげつを抱えたまま、慌てて玄関の方に走って行く。

 七両は再び窓に顔を向けると、煙管を吸い始めた。


 「へぇ、五画ってこういう所なんだ!」

 琥珀が辺りを見回す先には、屋台が立ち並んでいる。一画の中心地ほどではないけれど、それなりにヒトが出ていた。賑やかさは一画よりも少ないけれど、その分いくらか穏やかな印象だ。屋台は側面の山付近にまで続いている。

 「ここは一画と違って、屋台が中心に並ぶんだよ。ここだけ山に囲まれているから、自然も多い」

 「へぇ」

 柑子は七両へ顔を向けると、

 「七両、珍しいんじゃない? いつもは誘っても来ないのにさ」

 「琥珀が一緒に行けってきかなかったんだよ。面倒だから付いて来た」

 「ふーん。まあ、せっかく来たんだし、楽しめばいいじゃん?」

 柑子はそう言った後、琥珀に再び顔を向けた。西の方角を指さして、さらに説明を続ける。

 「ここの山道に入ると見晴らしのいい場所に出るんだ。坂を登って行かないといけないんだけど、ついでだし行ってみる?」

 「うん!」

 「おい、お前ら……」

 二人には七両の声が届いていないらしく、話しながら山道に向かって歩いて行く。七両も溜息を吐いてから、琥珀たちの後に続いた。

 坂を登って行くと、柑子が言った通り見晴らしのいい場所に出た。

 「本当だ、いい景色だね」

 辺りにはススキやキキョウといった秋の七草が咲いている。

 「ちょうど見頃だね。もう少しするとヒガンバナも咲くよ」

 「柑子はよくここに来るの?」

 「毎回じゃないけど、時々ね。でも、ここには久しぶりに来た。いつもは文房具目当てで来るんだよ。一画や二画の店にはないものも売っていたりするから」

 琥珀と柑子の会話を背後で聞きながら、七両は辺りを見回していた。

 子供の頃から、ここは変わっていない。誰かが手を加えるということがないせいだろう。

 七両は会話を続ける二人を一瞥してから、歩き出した。

 来たからには確かめたいことがある。

 伸び放題になった草を掻き分けて行くと、やがて石垣が見えてきた。

 七両がさらに奥へ進んで行くと、やがて土が剥き出しになった箇所へ出た。

 昔、ここには小屋が建っていた。そこまで大きくない、こじんまりとした小屋だ。けれど、今は存在しない。いつの間にか解体されてしまったらしい。

 (まだ残ってるんじゃないかと思ったが、さすがにそれはねぇか)

 ないはずの小屋の姿が、ありありと目の前に浮かんでくる。

 それと同時に子供の頃の出来事が断片的に蘇ってきた。

 日の光が一切入らない暗い小屋、自分に命令する男たちの声、両手に繋がられた鎖——。

 七両は思わず歯噛みした。伏せていた顔を上げて小屋の跡地を睨み付ける。

 「残ってねぇだけ、まだマシだ」

 そう呟いた時、琥珀と柑子の声が聞こえた。

 「おーい、七両」

 再び跡地を睨み付けた後、足早に琥珀たちのいる場所へと戻った。

 「あっ、七両!」

 「どこに行ったのかと思ったよ。あっちに何かあったのか?」

 柑子に尋ねられ、それを否定する。

 「何もねぇよ。もういいだろ? そろそろ文房具屋行こうぜ?」

 「うん、そうだね」

 七両は自分が今通って来た道を一度も振り返ることなく、柑子と琥珀の後に続いた。


 その後は、文房具屋や画材店を見て回った。一画や二画に比べると、品数は少ないがその店独自のものが売られているので、見ているだけでも十分楽しめる。

 「七両、お前も何か買うものないのか? せっかく来たんだしさ」

 「特にねぇよ。この前買ったばっかりだ」

 七両がぶっきらぼうに答えた時、

 「ねぇ、七両。これ買ってもいい?」

 琥珀が持っているのは、ガラスで出来たフクロウの文鎮ぶんちんだ。紅月のように丸々とした形をしている。

 「ああ」

 「やった!」

 琥珀は喜んで、店員の元までそれを持って行った。

 紅月はそんな琥珀から目を離すと、七両へ顔を向けた。心配そうな表情をこちらに向けている。

 七両は紅月から視線を逸らして、店の外を見た。

 思い出さないようにしようとしても、昔の記憶は波のように何度も脳裏に蘇ってきた。

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