第七色 ⑤

 広場に着くと、日陰のあるところまで移動した。

 浅葱あさぎが少し大きめの半紙を何枚か取り出しながら、

 「ここなら広いし、万が一失敗しても大丈夫だよ」

 そう言って笑みを浮かべる彼に珊瑚が頷く。

 「珊瑚ちゃん、能力を使ったことはある?」

 空が尋ねると、珊瑚は少し俯き加減に、

 「うん。でも、上手うまく使えたことはないの。色の量も能力の調節も思うように出来ない」

 「上手く使おうとしなくていいんだよ。ゆっくりやれば。それに、色彩分与しきさいぶんよの方が体力を使わないから楽だよ」

 常磐がそう言った時、

 「よーし! 俺が手本を見てやるよ」

 山吹は意気込んでから、半紙の上に片手を差し出した。指先が触れた瞬間、鮮やかな黄色が真っ白だったそれを染め上げていく。

 少ししてから指先を離すと、半紙は完全に染まっていた。

 「これが色彩分与だ」

 山吹が腰に手を当てて、珊瑚に説明する。

 「どうやってやるの?」

 珊瑚は驚きつつも、鮮やかに染まったそれを眺めながら尋ねる。目の前で起こった現象がまだ信じられないようだ。

 「手に意識を集中させるんだよ。そううすると自然と色が出るんだぜ」

 珊瑚は思わず自分の両の手の平を見た。

 「意識……」

 「あんまり難しく考えなくていいぞ」

 七両がそう口にすると、珊瑚は頷いて半紙の前に片手を差し出した。

 山吹に言われたように、手に意識を集中させる。

 少ししてから、手の平に珊瑚色が出現した。半紙に手を置こうとした時、勢いよく色が飛び出した。

 「あっ!」

 目の前にある半紙どころか、周りの地面までも珊瑚色に染まってしまった。染め上げるというよりも、むしろ覆い被さるといった方が正しいかもしれない。

 「少し力を入れ過ぎているのかもしれないね。もう少し力を抜いてごらん」

 浅葱のアドバイスを聞いてから、再び色を出してみたけれど、今度は色が飛散した。

 その後も何度も挑戦するけれど、思うようにいかない。

 珊瑚が新しい半紙を地面に置くと、次の瞬間風にあおられて飛んでいった。

 「紙が……」

 彼女が追い駆けようとした時、琥珀が駆け出して半紙を掴んだ。

 「珊瑚さん、はい」

 「ありがと」

 珊瑚が受け取るのを眺めたまま、

 「風がでてきたねぇ」

 常磐が独り言のように口にする。

 「本当ね。ねぇ、珊瑚ちゃん。今日はここまでにしましょう? 先生も心配してるわ」

 空が珊瑚の肩に手を置いて、声をかける。

 けれど、珊瑚はすぐに口を開かない。返答に迷っているように見える。

 「珊瑚」

 七両は半紙を数枚手にしたまま、

 「これ、もらうぜ。琥珀から話は聞いただろ?」

 「うん。色を塗るのに必要だって。でも、それでいいの?」

 「ああ。これだけ色が濃けりゃあ、依頼人あっちも納得すんだろ」

 七両が自分の懐に半紙を入れるのを見ていると、琥珀が声をかけた。

 「珊瑚さん、そろそろ戻ろう?」

 珊瑚は少しの沈黙の後、頷いた。

 

 露草の養生所ようじょうしょに向かう途中、火事現場が見えて来た。

 「あっ、ここ……」

 琥珀が呟くと、

 「ああ、夜中に火事のあったところだな。あーあ、見事に丸焦げじゃん」

 山吹がそれに答える。

 焼けた三棟は太い綱で囲まれていて、中に入れないようになっていた。

 (織部おりべ、もういないな)

 琥珀はそちらへ近付いて行く。朝、見た時には野次馬で建物の上部しか見えなかった。

 珊瑚も同じ様に前に出て来た。二人、並んで目の前の真っ黒になった残骸を見上げる。

 「ねぇ、彩街って火事多いの?」

 琥珀は振り返って、誰ともなく尋ねた。

 「区画によって違うかな。一画が一番多いんだよ。店が多いからね」

 浅葱がそう答えると、今度は山吹が口を開く。

 「おい、あんまり近くに行くなよ?」

 「大丈夫だよ。見てるだけだから」

 「そうじゃねえよ」

 七両が一旦言葉を切った後さらに続ける。

 「風が出てると建物が崩れる時があるんだよ。それ以上は近付くな」

 琥珀は頷いた後、もう一度建物を見上げた。

 崩れる気配は今のところない。

 その時、木枯らしにも似た強い風が吹いた。

 反射的に目を瞑り、腕で顔を庇う。

 風が止んだのを確認してから目を開けると、背後で何かが崩れる音がした。

 振り返れば、焼け焦げた建築物の残骸が強風にあおられて落下してくるところだった。

 「あっ!」

 琥珀がそう呟いた時、ふいに腕を引っ張られた。

 そのまま珊瑚色の中に体が沈む。顔を上げると、珊瑚の後ろ姿が視界に入った。

 (珊瑚さん?)

 「琥珀、絶対にあたしから離れないで!」

 珊瑚は振り返らずにそう言うと、思い切り色の中を泳ぎ始めた。

 まっすぐ七両たちの元に進んで行く。

 琥珀が再び振り返った時、ちょうど残骸が琥珀と珊瑚のいた場所に落下した。

 「琥珀、珊瑚!」

 常磐たちが二人の元へ駆け寄ると、しゃがんで腕を伸ばす。

 浅葱は琥珀が自分の腕を掴んだのを確認すると、彼を色の中から出した。

 「大丈夫か?」

 「うん、平気。ありがとう」

 「だから、近くに行くなって言ったのに」

 山吹が呆れたように言った後、「まあ、二人とも怪我なくてよかったけどな」と付け加えた。

 常磐も、浅葱と同じように珊瑚の腕を掴むと彼女を色の中から出す。

 いきなり能力を使ったからか、浅い呼吸を繰り返していた。

 落ち着いた頃を見計らって、七両が彼女の前に屈んだ。

 「やれば出来るじゃねえか」

 「え? 何を?」

 意味が分からないといった顔をする珊瑚に背後を見るように言った。

 続いて空も、

 「さっき能力を上手く使えたことがないって言っていたでしょ?」

 黙ったまま彼女が振り返ると、自分の背後に続いている色の川は乱れることなく一直線に伸びていた。以前のように、色が辺りに飛び散っていたり掠れている箇所はない。

 珊瑚は思わず目を見開いた。

 その時、聞き慣れた野太い声が聞こえた。

 「おーい、お前ら大丈夫か?」

 「織部おりべ!」

 山吹と琥珀が同時に彼の名前を口にする。

 「お前、焼けた建物ほったらかしにしてんじゃねえよ。危ねぇだろうが」

 山吹が食ってかかると、織部はすまんすまん、と言いながら、

 「出した報告書を確認してもらった後じゃないと取り壊せねぇんだよ。まあ、お前の言う通りだけどさ」

 織部はそう言ってから、崩れた建物の残骸を見上げた。

 「ちゃんと今起きたことも報告してくれよ?」

 苦笑いを浮かべる浅葱に対して、「おう、もちろん」と返す織部を眺めてから、琥珀は珊瑚に顔を向けた。

 「珊瑚さん、何で笑ってるの?」

 珊瑚の口角が上がっていたので不思議に思って尋ねる。彼女ははっと我に返ってから、

 「何でもないよ」

 すまし顔でそう返すと、空の元へ歩いて行ってしまった。

 「えー? 教えてよ?」

 琥珀もその後に続く。

 「おい、待てよ」

 山吹も駆け出した後、浅葱は織部に別れを告げて琥珀たちのところへ歩いていった。

 その足取りで、まっすぐ露草の養生所に向かって歩いて行った。

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