第五色 ②
「すみません!」
琥珀は空が働いている店の引き戸に向かって、声をかける。
ガラっと引き戸が開いた瞬間、抱えていた風呂敷を落としそうになった。
中から出て来たのは、空ではなく
「ん? 坊主、何か用か?」
琥珀が茫然と霞を見上げていると、彼の後ろから空が駆け寄って来るのが見えた。
「琥珀くん!」
「どうしたんだ? 固まって」
霞が首を傾げる。
「琥珀くん、とりあえず中に入って」
空に促されるまま、店の中に入った。
「ええと、空さんに寝間着を染めてもらおうと思って来たんですけど……」
琥珀は風呂敷を解いて、中に入っていた二枚の寝間着を見せた。
「本当は七両が行くはずだったんですけど、昨日仕事で足を痛めちゃって。それで、僕が代わりに持って来ました」
「そうだったのね。七両、大丈夫かしら?」
「琥珀と言ったか。
霞は腕を組んで、琥珀に尋ねた。真剣な顔をしているが、青鈍ほど威圧感は感じない。
「ないですよ。七両、優しいですし」
「優しい? あいつがか?」
霞は信じられない、とでも言うように顔を歪めた。
空がその様子を見て、小さく笑うと、
「琥珀くんが初めて彩街に来た時に、
お茶と豆大福をそれぞれ琥珀と霞の前に置いてから答える。
霞は空に顔を向けると、
「常磐の仕業なのか! 全くあの女は何を考えているんだ!」
「でも、本人はもう覚えていないかもしれないですね。すぐに自分の言ったことを忘れてしまうから」
それを訊いて、霞は頭を抱えてから溜息を吐いた。空へ再び顔を向ける。
「空、何故この子を引き取らなかったんだ? あの時、空も常磐と一緒にいたんだろう? 同じニンゲンの方がこの子だって」
「私も連れて帰ろうと思っていたんですが、今では七両でよかったと思いますよ。七両は不器用なところがありますが、一生懸命琥珀くんに接しているように見えます」
空は穏やかな笑顔を霞に向けてそう答えたが、彼は納得出来ないらしく、そのまま低い声で、
「あいつがこの子の面倒を見られるとは思えない」
二人の会話を聞いていて、琥珀の中である疑問が沸き上がった。
「あの、青鈍さんと七両が話している時も思ったんですけど、どうして二人はそんなに七両を嫌うんですか?」
彼が龍を出現させた時も、
霞は顔を逸らしてから、
「あいつは彩街の住人の中でも特に問題が多いんだ。他人の話なんぞまるで聞かない。そもそも一画の広場では見世物を披露する際、出来ることと出来ないことがあらかじめ決められている」
霞はますます表情を険しくさせる。
「出来ないこと? じゃあ、あの時描いた龍は……」
「あんな巨大なもの、対象外だ。それに加えて、見物客と一悶着起こすわ、うちで管理している台帳を破いて、挙句の果てに食わせるわ」
挙げたらきりがないとでも言うように、深い溜息を吐いた。
「とにかく、七両といて何か困ったことがあったらすぐに知らせてくれ」
そう言うと、大福を口に放り込んでお茶を飲み干すと、腰を上げた。
「それでは、頃合いを見計らってまた来る。頼んだぞ」
「はい。その頃には仕上がっていると思いますので」
霞を入り口まで送ると、空が部屋に戻って来た。
「琥珀くん、びっくりしたでしょ?」
空が自分用の湯飲みを手に取ってから、尋ねた。
琥珀は豆大福を頬張ったまま、頷いた。
急いで飲み込んでから、
「まさか、霞さんがいるなんて思わなくて。よくお店に来るんですか?」
「うん。時々、今みたいに衣類を染めて欲しいって頼まれたり、ここの区画も見回りしてくれるのよ」
「ここ、そんなに危ないように感じませんけど、回っているんですか?」
この区画は中心地である一画から離れているし、民家が多く静かな場所だ。危険なことは少ないように思えるのだけれど。
「一応ここも彩街の中にあるから、回る必要があるのかもしれないわ。
「青鈍さんも服を染めてもらうんですか?」
「それもあるけど、後は変わったことがないか聞きに来ることもあるわね」
「へえ、なんか警察官みたいですね」
「確かにそうね。私達のいた世界で言うと警察官ね」
琥珀は最後の豆大福を放り込む。お茶に口を付けようとした時、霧のことを思い出した。
急いで窓を見ると、霧はだいぶ濃くなっていた。
「さっきより白くなってる!」
琥珀は窓に両手を張り付けて、窓の景色を凝視した。
「早めに帰ろうと思ったのに……」
「これくらいならまだ大丈夫そうだけど。琥珀くん、霧が晴れるまでここで待つ?」
空が窓を開けて外の様子を確かめる。先程と比べて視界は悪くなっていたが、まだ景色は見渡せる。
「いえ、僕帰ります」
「大丈夫? 私、送って行こうか?」
「大丈夫です。急いで帰りますから」
琥珀は空の申し出を断ると、風呂敷を適当に畳んで帰る支度をした。
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